小説 | ナノ

迷い舟



偉大なる航路とは良く言ったもので、相対して凡々たる私はそのど真ん中でしっかりと迷子になった。

波は静か。天候も良し。……なのに、方向が分からない。

ちょっとした航海なら慣れていると、油断が招いたこの結果。

今朝までには港に着いて約束の物をお得意様に届けなきゃあいけないのに、今はもう日も暮れかけている。諦めて寝てやろうかと思った時だった。

「……!」

遠くに霞む小さな船影。正面からゆっくりと近付いてくるそれに向かって、手元にあるものを高く振りかざして無我夢中で大声を張り上げる。嬉々とした胸中、爺ちゃんがよく言っていた言葉を思い出した。苦境にある時こそ、日頃の行いがものを言うのだと。

船には羽付き帽子の男が乗っていた。

助かった、と思ったんだ。すれ違い様のその男に、船ごとぶった斬られるまでは。





「ぇっっっくしっ!」


近くにあった小さな無人島。

ぱちぱちと火の粉を吹き上げる焚火の脇で、男に借りたマントにくるまり服を乾かす。

「……刀なんか振り回すからだ」

私は大切な商売道具を振り回してたんだ。必死で気付かなかった。

「いつもの物好きな好戦者だと思った」

男の話していることはよく理解できない。それでも船ごと沈められた原因は、私の日頃の行いーーーつまり、いつも魚屋のゲンさんを手伝うフリをしてクエやシロアマダイをくすねている事だとか、島の漁師たちと夜毎興じる花札でイカサマを使って勝ちまくった事の因果という訳でもないらしい。出会い頭の人間に挑み掛けられる事が日常だという、どうにも残念なその男の生活習慣のせいだ。

とにかく刀はなんとか引き上げたけど、私の船はとっくに海の藻屑となった。

「……あ、まずい!」

海水に浸かってしまった刀は放って置くと錆びてしまう。

「えっと、誰だっけ?」

「ミホーク、ジュラキュール・ミホ」

「あー、覚えらんない。いいから手伝って!」

そう言って20本余りもの刀を押し付け、川を探しに走る。男は、開いた口が塞がらないというような顔をしたけれど、それでもついて来てくれた。





山手に向かって半時ほどに進んだ頃、滝の音が聞こえた。

「はぁ……良かった……」

息の上がり切った私を横目に、大荷物を担いだ男は涼しげな顔をしていた。剣や刀をひとつひとつ流水に晒し、塩気を丁寧に落としていく。

「……今更なんだが」

何も言わず作業を手伝っていた男がぼそっと呟く。その所作は、刀の扱いに慣れているように見えた。

「何?」

「人に名を聞く前に、まず自分が名乗るのが礼儀というものだろう」

「……なまえ」

初対面の人間を無言で切り沈めるような男に、礼儀について諭されたと。島に帰って近所の人にそう話しても、きっと誰も信じてくれないだろう。……いや、納得されても腹が立つから、このことは黙っておこう。

「なまえ、お前は剣士か?」

「まさか!ただの鍛冶師だよ、そういう家系でね」

ふぅん、と返事ともない声を上げたきり、男はまた黙った。横目でその姿を眺めながら、洗い終えた刀の水気を拭っていく。……それにしてもこの男、半裸で寒くないのかな。なんて、どうでもいい事を考えている内に全ての刀の手入れが終わった。服も乾いている頃だろう。

山を降りた頃には、もう日も落ち切っていた。出発できるのは、きっと明日になる。

「あ」

「どうかしたか」

「船、無いんだった」

「どこまで行く?」

「マリージョア」

表情の捉えづらい目付きだが、男は少し驚いている様子。

「まるっきり、逆方向に進んでいた様だが」

「あ、…………そう」

「まぁいい、おれもそこに向かう所だった。こちらの用事が済むまで暇を潰せるなら帰りも乗せるが」

呆れたように額に手を当てて言われると、情け無くなるじゃないか。

「ああ、助かるよ」

「大切な刀なんだろう。沈めかけて悪かった……あと」

「ん?」

「それを、返してもらえると嬉しいのだが」

「あ、ごめん!」

急いで着替えて、マントを男に返した。

それから男は、気を使ってか船の寝具を貸してくれた。外で寝かせるのは悪いかなとも思ったし、女性として扱われる事にあまり慣れていなかったから、少し気遅れはするんだけれど。…ここは甘えさせてもらおう。

ああ、今日は疲れた…

視界の端に見える大きな刀が気になるけれど

もう……眠い……

意識は、マントと同じ匂いのするシーツに溶けるように吸い込まれていった。





目を覚ますと、船はすでに島を出発していて。慌てて飛び起きて甲板を見ると、刀はきちんと並べられている。

「昼過ぎには着く」

船の真ん中にどかりと座り、背中を向けたままで男はそう言った。

「あ、ありがとう。刀整理してくれたんだ。えっと、あー……」

「ミホークだ。お前、覚える気が無いだろう」

あぁ、確か昨日も一度名前を聞いたんだったな。

……ん?

ミホーク?

嫌な予感がした。

勢い良く振り返り、昨夜から記憶の片隅に残っていた刀を手に取って見る。

黒く光る十字の大刀。世に名高いその最上大業物は、王下七武海の一人の所有物だ。

「…………!!」

「あまり勝手に触られると困る。手入れなら足りていると思うが」

「あ、ああ……」

無礼はお互い様だと思う反面、少し背筋が冷えたのも本当だ。……でも、生来好奇心には勝てない性分だったりもする訳で。

「ねぇ鷹さん、この刀一度振らせてもらえやしないかな?」

ついこんな言葉が出てしまう。

「……お前は阿呆か」

「阿呆でもいいよ、それで振らせてくれるなら阿呆がいい!」

鷹は底無しのような深い溜め息を吐くと、くるりと振り返り、船の定位置に戻ってしまった。

「子供に握らせる刀等、生憎持ち合わせておらんのだ」

「……」

子供は余計だろうが。

「マリージョアに何の用がある?」

体よく話を交わされた。それ以上駄々をこねても、余計な心の傷を背負うだけなんだろうから別に良いけど。

「新しく仕立てた刀を納め奉りに。あの刀らは政府のお偉いさんの物になるんだと。可哀想にね」

「あれは全てお前が仕立てた物か?」

「うん、そうだよ。あんな奴らにくれてやるには先代の……亡くなった爺ちゃんの刀は勿体無いから」

鷹は並べてある刀に手を伸ばす。私はすかさず、その手首を押さえて制した。

「どこぞのおっさんに触らせられるような刀は、ここには無いね」

「……」

金色の目が丸くなる。ざまぁみろ。

それから鷹は、ぷいと背中を向けたまま、港に着くまで黙ったままだった。

「明日、夜明けにはまたこの港に来い。遅れたら置いて行く」

「はいよ」

「あまり余計な所をうろつくなよ」

「……はいよ」

保護者のような口振りに納得は行かないけれど、とりあえずそこで鷹と別れた。

予定の遅れをどやされたものの、刀は全て売れた。代金には、少し……というかかなりの色を付けたけど、死にかけたんだからそれくらいはいいだろう。大切になんか扱われやしないと、頭では分かっているけど、一通り刀の手入れの指南を、日が暮れるまでこってりと叩き込んでやった。

この内の何本かは、いつかきっと私のもとへ帰ってくる事になる。今は、忘れていたい事だけど。




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