くゆる。
冬島の透明な朝焼けに白煙を吐く。煙と吐息の境界を目で探しながら、自分の体質ではどちらも同じだと気付き馬鹿馬鹿しくなった。
想像以上に時間を費やしてしまった捕り物を終えて船に戻れば、迎えた景色は山積みになって倒れている海兵で。それらに舌打ちをくれてから、葉巻を揉み消して執務室の扉に手を掛けた。
陽光と呼ぶにはまだ青白く、ただ幽かな明度が流れ込む窓際のソファ。
そこに座っていたのは。
「……なまえ」
少し、髪が伸びたか。
「おかえりなさい」
まるで待ちくたびれたとでも言いたげに一度大きく伸びをして、彼女は微笑んだ。
「毎度の事だが」
威嚇も溜息も、こいつには効かない。
「……自首ならもっと穏やかにできねェのか」
授与式以来、ソファに投げ出したままのコート。それにぶら下がる勲章を、彼女の細い指先が弄ぶ。
「昇進、されたんですね」
「……うるせェ」
後ろ手に、静かに扉を閉めた。
「お前の懸賞金も跳ね上がってるじゃねェか」
「はあ、ありがとうございます」
「皮肉だ、馬鹿野郎」
そうですか、と笑いながら。勝手知ったる、とでも言う様に慣れた手付きで珈琲を注ぐ。ご丁寧に、二人分。
「お変わり無い様ですね」
「……気にくわねぇな」
「砂糖は入っていませんよ?」
「その口のきき方がだ」
そう、この船から唐突に失踪したあの日からは。
「お前はもう、おれの部下じゃねぇだろうが」
死んだものだと思っていた。生きているなら、戻らない理由など無い筈だと。その2年後に開かれた本部会議。議題は“過去最凶”と呼ばれる犯罪者集団について。幹部リストの羅列の中でなまえの名を見付けた時に、初めて気が付いた。
あどけない笑顔に、謀られていたのだと。同じ海を臨みながら、今も生きているのだと。
始末書やら報告書やらを整理する時間の中で、気付けば窓の外に目が向く。己の不甲斐なさを、心の底から軽蔑した。なのに、こいつは。
「私と、一緒に来ませんか?」
萎縮するでもなく、悪びれる訳でもなく。
「……このおれを、革命軍に誘おうってか」
「はい」
そう短く言い切る真っ直ぐな瞳。
「寝言は死んでから言いやがれ」
「死んでしまったら、夢も見られないでしょう」
くすり、と薄い声を立てて微笑んだ。
「言いたい事はそれだけか」
その細い体に向けて、ゆるりと白煙が伸びる。
「どこにも連れ出してやった事は無かったが」
肩を、腕を、腰を。――――煙が絡め捕る。
「初めて腕を引いて行ける場所が、大監獄になるとはな」
瞬間。抱き留めたと思ったその体は、腕の中には無く。
「……分かってる癖に」
背後から、囁くような声。背中から回された腕。小さな手には、背に挿していた筈の十手が握られていて。
「貴方では、私に勝てません」
ぎゅ、と狭められた腕の中で、胸元の素肌に十手を押し当てられていた。
「相変わらず」
胸に溜まる香りは、たった一度だけ抱いた夜と同じ。
「可愛くねぇ女だ」
あまり力の入らない腕を上げて、せめてその小さな手を掴もうと。
「……また、口説きに来ますから」
うなじに触れた、柔らかい湿度。
「……なまえ」
十手が床に転がり、ごとりと重い音が響くと同時に、背中に感じていた体温がふわりと薄れる。伸ばした手は、静かに虚空を掴んだ。
「待て!!!」
すぐに振り返るも、その先では開け放たれた扉が、きぃ、と小さな音を立てるばかり。
「……馬鹿野郎が」
ソファに深く腰を沈め、ただ息を吐いた。まだ甘ったるい熱だけが残るうなじに手を重ねる。
「―――そこじゃねえだろうが」
独言に自嘲を重ねて、新しい葉巻に火を付けた。
冬島の透明な朝焼けに白煙を吐く。煙と吐息の境界を目で探しながら、自分の体質ではどちらも同じだと再度気付き、馬鹿馬鹿しくなった。
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