夢を見た

 一面の自然であった。自分の生まれた国ではお目に掛かれない様な、素晴らしい自然であった。
 普段自分が呼吸をしている惑星の大気と同じ大気なのかと疑う程に、清流に似た何処までも澄み切った空気。丸で生命の喜びを謳う様に瑞々しく快活で鮮やかな草花。遥かな山脈は雪を頂き、深緑の山麓に何処までも青く鎮座している。蒼穹に太陽は秋晴れの優しさと春の暖かさを両立させ、植物を焼く事なく光を惜しみもせずに降り注いでいた。大気が動き風が植物を撫でる度に緑の匂いが鼻を掠め、仄かな花の香りに気付かせてくれる。
 体の真ん中がむず痒いと云うか面映ゆいと云うか、此が感動或いは感激と言うモノなのだろうか。質量を持った暖かいものが留処なく湧き溢れていた。
 非の打ち所がない、本当に素晴らしい自然だった。
 体の力を抜き、倒れ込む様にうつ伏せに寝転ぶ。植物はひんやりと体の熱を逃がしていくが、不快な感じはなく寧ろ心地よく感じられた。立っていた時よりも緑の匂いが一層濃くなり、顔や首などの晒された素肌に葉が触りくすぐったさを覚える。
 ふっと笑みが零れ、女性の髪に触れる様な優しい手付きで草の手触りを楽しむ。
 葉の先を触れるか触れないか擦れ擦れに撫で上げ、地面に近い所を指で梳かしていく。指の間を過ぎていく葉は新芽なのか、絹の様に柔らかく肌を傷付ける事は無かった。
 手を止め深呼吸をし目を閉じた。視覚が閉ざされた分、敏感に働き始めた聴覚が葉の擦れる音や風が擦れ違う音を捉える。
 ふと、じわりと弛緩した身体が地面に沈み込む様な感覚に陥った。重く地面に縫い付けられた様に臥す身体。酒に酔った時の気怠さに似ているが、それよりももっと深くシリアスだった。
 瞼を下ろした暗闇から触手が漫ろに這い出、味見をする様に撫で回し、手足を絡め取ると、するりと首に絡み憑きずぶりと引き込もうとしている。
 闇に呑まれ霧散する自我、光量が失われ埋没する感覚、意識が宙に浮かび上がる様な浮遊感。自分が段々と稀薄になって行き、最後の一片が消えようとしたその時――声が、聞こえた。

「夢で寝るなんて貴方、正気ですか?」

 突如として襟首を掴み上げられた衝撃で意識が引き戻された。
 浮上した意識に驚愕し、思考が停止する。
 中途半端な高さに持ち上げられた所為で膝から上が地面から離れ、掴まれている襟に体重が掛かり喉が潰れ噎せそうだ。息苦しさから解放されようと腕を突っ張ろうにも、微かに痙攣するだけで虚しく草を掠っている。
「随分と鈍い様ですね。まぁ無理もないでしょう、短い時間とはいえ死んでいたのですから」
 呆れた声音に襟を放され、どさりと地面に墜落し顔面を強か打つ。
 顔面の鈍痛に反し意識は明確に明けていくのが解る。
 そうか、あれが死なのか。闇に溶け行くような魂が霧散するような、消えて無くなると言う確信的で確実な感覚。
 魂は何処に行くのかと言う問いに、総てにと答えたのは誰であったか、そんな事を思い出す。質量保存の法則と言う絶対的な理がある以上、その答えは正しいのだろう。あの侭死んでいたら自分は総てになっていた、不思議な気分だ。
「……いた、い」
 倦怠感を訴える身体に鞭打ち、のろのろと起き上がり顔を押さえる。
 鼻からの出血はない様だ。此処はあえて自分のつまらぬ自尊心の為に『鼻血』ではなく『鼻からの出血』と表す事を許して欲しい。
「戻って来られて良かったですね。僕のお陰ですよ、礼を言いなさい」
 自分を荒療治とも言える方法で叩き起こした主を見上げるが、相手は太陽を背に悠然と佇み、容姿まで確認するに至らなかったものの、立ち姿のシルエットすら品位と気品を備える、『その様』に生まれた自分とは違う次元の人間なのだと思った。
「……お前の、荒療治に対する謝罪と、賠償を請求する……!」
「おやおや、其れが九死に一生を与えた恩人に対する物言いですか? ふらふらの癖に良く回る舌だ。百歩譲って礼くらい素直に言ったら如何なんです?」
「俺はそんな危機に陥っていたつもりはないし、例えそうであったとしても――」
「助けてなんて頼んでない、等と月並みな事言わないで呉れませんかねぇ。興が殺がれます」
 言葉を遮られたことに少々の苛立ちを覚えたものの、その苛立ちが呆気なく霧散してしまう程の目前の男の美貌に言葉を失った。端正で秀麗、それでいて説明するのに困る程これといった特徴のない作り物のように美しい男だった。




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