鴉雛@ | ナノ
雛鳴子は女である。当たり前のことだ。だが、少し前まで雛鳴子は子供であるという認識の方が強かった。
「……何ですか、人の顔をジロジロと」
「いや。今日も可愛い顔してんなと思って」
「馬鹿なこと言ってないで、さっさと朝ご飯食べてください」
彼女との生活が始まって三年。みすぼらしくも美しい貧民街の少女は、鴉の見立て通り――否、それ以上に美しく成長した。
痩せぎすの体は毎日の食事によって適度な肉付きを得て、女性らしいラインが形成され、胸は未だ発展途上だが尻からふくらはぎにかけての曲線美は今でも十分唆るものがある。
大人びてきた顔が見せる少女らしい稚い表情も、息を飲むような美しさも、波打つプラチナブロンドの如く煌めき、すれ違う者は男でも女でも振り向き、その姿を目で追いかける。
鴉の見込み通り、あと二年もすれば雛鳴子は女性として完成された姿になることだろう。
しかし想定外に成長が早いので困ったものだと、鴉はほうれん草のおひたしを噛みながら、向かいの雛鳴子を眺める。
十五歳など、まだまだ尻の青い子供だと侮っていたが、これは全然いける範囲だなと、鴉は契約期間を五年にしたことを少し悔いていた。
中身は子供そのもの。体も成長途中だが、女として認識出来る。いや、女として認識してしまうと言うべきだろう。
鴉は契約に於いては何処までもフェアであり、誠実である。その一点を一度でも違えてしまえば、金成屋という商売が成り立たないことを彼は心得ている。
あくまでルールに則った上で、全てを奪い尽くす。それが金成屋のモットーであり、鴉のスタンスだ。よって、負債者である雛鳴子にもそれを適用しなければならない。
「お箸が止まってますよ」
「悪い、見惚れてた」
「馬鹿も休み休みにしてください。逐一ツッコむのに疲れます」
「なら、突っ込まれる側に回ってみるのはどうよ?俺は朝イチでもスタンバイ出来るぜ」
「朝から盛ってんじゃねーよ」
冷ややかにそう吐き捨てると、雛鳴子は自分の皿を下げるべく台所へ向かった。
朝食の片付けついでに皿を洗いたいから、とっとと飯を食えと視線で釘を刺された鴉は、肩を竦めて味噌汁を啜る。
契約の都合で手が出せないなら、向こうから希うように仕向ければいいと、朝も昼も夜も、こんな調子でモーションをかけているが、至極当然、雛鳴子が靡くことはない。
こういう口説き方が逆効果なことを、鴉はとうに理解している。本気で雛鳴子を落とそうと思うのであれば、真摯に誠実にやるのが最も効果的だ。だが、分かっていても出来ないことはあるものだ。
たまには毛色を変えて、真面目に口説いてみるかと思っても、言葉は喉で痞えて、結局いつものような軽口になる。そして、雛鳴子を憤慨させる。
別に、それでも構わないのだ。鴉が正真正銘の本気を出せば、雛鳴子がどう足掻いたって完済不可能な額の借金を背負わせ、今すぐにでも諦めさせることだって出来る。何をしても無駄なのだから、早い内に楽になってしまおうと、その身を委ねる彼女を好き放題に出来る術を、鴉は幾らでも有している。
だのに、こんな風に一進一退を繰り返し、意味の無い駆け引きに興じているのは、彼女の容姿以外に心惹かれるところがあるからか。
「ちょっと、まだ食べ終わってないんですか」
「ん、ああ……悪い悪い」
「全く……これから仕事なんですから、もっとテキパキしてください。子供じゃないんですから」
鴉の手によって情け容赦無く心を挫かれたなら、雛鳴子はこの勝ち気さも毅然さも失くしてしまうだろう。
だが、もし二年後、雛鳴子が完済に失敗して自分の手に落ちることになったとてしも、それが死力を尽くした結果であるのなら、彼女は全てを受け入れるだろう。果てしなく嫌な顔はするに違いないが、正々堂々戦ったのだから文句は言うまいと潔く負けを認めるだろう。その先には、きっとこれまで通りの彼女がいるに違いない。だから自分は、こんな風に無為な時間を過ごしているのだと、鴉は自嘲した。
「そこまで欲しがってたつもりは無かったんだけどな」
「……? ご飯多かったですか?」
「ちげーよ」
これはまるで、恋や愛の話ではないか。
己に似つかわしくない欲望の形を噛み砕くように、鴉は胡瓜の浅漬けを咀嚼した。