12万打SS 淡海 | ナノ


「好きです!俺と付き合ってください!」

「ごめんなさい、無理です」


ジーニアス期待の新星・結賀瑛介、二秒でフラれる。FREAK OUT本部ロビーで起きたこの事件は、瞬く間に上野雀にある第二支部まで広がった。


「聞いたぜ、淡海ちゃん。ジーニアスの隊員に告られたのに秒で振ったんだって?」

「うん。全然知らない人だったし、タイプじゃなかったからぁ」


先日、所用で本部に趣いた際、結賀瑛介に「一目惚れしました!」と衆人環視の中で大々的に告白されるも、それを一呼吸も置かずに断ったという淡海のあっけらかんとしたコメントに、猿田彦は軽く肩を竦めた。


慢性的な人手不足に悩まされているFREAK OUTでは、次世代の能力者の育成が大きな課題として常に掲げられている。

故に、FREAK OUTは身籠った女性職員に賞与と給付金の贈呈、育児休業や勤務時間短縮制度の導入などの方策で、能力者出生率の向上に努めている。

また妊娠・出産による退職や事務職異動も認められる為、危険な戦線を退くべく、貪欲に励む女性職員も少なくないという。
その中には、自分の地位向上やステータスの為に、より強い能力者との間に子を成そうとする者もいるとのことで、精鋭部隊ジーニアスは凄まじい競争率とのことだ。

それでなくともジーニアスは、エリート中のエリート部隊として、女性職員達の羨望の的。彼等の目に留まり、何とか関係を持とうと、本部支部問わず多くの女性職員が躍起になっている中、そのジーニアスからの誘いを一切の迷いなく断るとは。
幾ら好みに掠らないとはいえ、せめて連絡先の交換くらいしても良かったのではないかと、猿田彦はコンビニで購入してきたエスプレッソコーヒーを啜った。


「でもジーニアスだろ?関係持って損無いと思うけど」

「えぇ〜。でも私、好きな人いるし」

「そっかぁ、それじゃ断…………え?」


空になった容器がベコッとひしゃげる。

今、彼女は何と言ったかと、猿田彦は眼鏡の位置を直した。疑うべきは眼では無く耳だというのに、冷静さを欠いた頭は体にちぐはぐな指示を繰り出す。

何度も眼鏡のブリッジを押し上げながら、猿田彦は淡海の言葉を反芻し、今のは聞き間違いではないかと問い掛けた。


「……淡海ちゃん、好きな人いるの?」

「いるよ〜。もう二年くらいずっと好き〜」

「そ、そうなんだぁ……へぇ〜…………そっかぁ〜……」


当たり前のことのように話しながら、淡海が顔を綻ばせる横で、猿田彦は握り潰したコーヒーの容器を更に凹ませた。


淡海には、恋い慕う相手がいる。それも、二年も前から。


時期的には、彼女が第二支部に来た辺りだ。ということは、そういうことも有り得るのかと、猿田彦は僅かな期待を胸に、耳打ちするように尋ねた。


「……此処の人?」

「気になる〜?」

「ま、まぁ、ね……」


悪戯っぽい笑みで覗き込まれ、猿田彦は咄嗟に眼を逸らした。

何を責められたでもないのに後ろめたい気持ちになるのは、浅はかな希望を抱いたからか。色んな意味で心臓に良くないなと猿田彦が心の中で胸に手を宛がう隣で、淡海は「えへへ〜、どうしよっかなぁ〜。教えちゃおかなぁ〜、やめようかなぁ〜」と愉しそうに笑っている。
まるで修学旅行の夜のようだと猿田彦は頬杖を突きながら、横目で淡海を見遣った。


改めて見るまでもなく、淡海は女としての魅力に富んでいると猿田彦は思う。

ふんわりとした長い黒髪に、可愛らしくも色気のある顔立ち、豊満な胸、何処か儚げな雰囲気。そりゃあジーニアス隊員だって見初めるだろうと、猿田彦は溜め息を吐いた。彼が憂鬱になる理由など一つとしてないのに。


否、理由はある。淡海が魅力的であることで猿田彦が落ち込む訳は、確かにあるのだ。

それを知る由も無く、淡海は「ど〜ち〜ら〜に〜し〜よ〜う〜か〜な〜」と数え歌を口遊んでいた、が。


「無駄口を叩いている暇があるならキーボードを叩け」

「ふぎゃっ」


丸めた資料で勢いよく頭を叩かれ、淡海が素っ頓狂な声を上げて机に沈む。うら若き乙女を虫を潰すように引っ叩く人間など、此処には一人しかいない。猿田彦は、頭を抱えて悶絶する淡海の後ろに視線を向け、額からたらりと汗を流した。


「しょ、所長」

「お前もだ、猿田彦」

「いてっ」


許しを乞うように見上げて見たが、時既に遅し。猿田彦も淡海よろしく、在津に頭を叩かれた。音からするに、力加減は殆ど変っていないだろう。こういうのは男女平等とは言わない。見境が無いと言うのだ。

それにしても容赦がないと猿田彦がズレた眼鏡を直している横で、淡海が不服そうに頬を膨らませ、在津を見上げた。


「センセぇ、私ちゃんとお仕事してましたよぉ」


淡海の言う通り、彼女は口を動かしつつ手も動かし、しっかり業務は進めていた。完全に手が止まっていた此方が責められるのはまだしも、淡海が叩かれる謂われは無い――などという理屈は在津には通じない。


「そうか。なら、黙って集中してもっと仕事しろ。業務はまだ山のように残っているぞ」


在津は、仕事中の歓談を嫌う。業務上必要な報告・連絡・相談でない限り、一言も発することなく黙々と仕事に勤しめというタイプだ。その在津が席を外していたので、息抜きがてらにと淡海に声をかけていたのだが、其方に気を取られ、仕事は手付かず、在津が戻ってきたことにも気付けなかった。

これはまぁ、去り際にもう一度叩かれても仕方ないかと、猿田彦は追撃を喰らった後頭部を擦りながら、パソコンに向かい、独り言のように呟いた。


「……厳しいなぁ。いつものことだけど」

「センセだからねぇ〜」


眼を液晶画面へ戻す前、ふと見遣った淡海の顔は、嫌ににこやかなものだった。

在津は優れた能力者であり、仕事も出来るが、上司として好かれる人間ではなく、凡そ所員は彼に苦手意識を抱いている。だが淡海は、所員達が敬遠している在津の手厳しさや堅苦しさを好いている節がある。

そういうところが先生らしくて良いのだと彼女は言うが――もしや、そういうことなのかとまたしても動きが止まった猿田彦の横で、淡海は袖を捲ってキーボードに向かう。


「よーし、集中集中。お仕事片付けちゃうぞ〜」


その一言が五月蝿いと遠くから叱咤されても、淡海は嬉しそうにふくふくと笑う。それを、蛇蝎の如く睨み付ける視線に気付くこともなく。





昼休憩から戻ってきた淡海は、自分の机を見て瞠目した。一言で言うのであればそれは、惨状。それに尽きるものであった。


「あ……淡海ちゃん」


顔を蒼白させながら、猿田彦がその惨憺たる光景を隠さんと慌てて淡海の前に躍り出るが、それはとうに彼女の眼に映っている。

彼とてそれを分かっているだろうに、それでもこうして覆い隠そうとしてくれたのは、猿田彦の優しさに違いないと、淡海は眼を細める。


「ありがとね、カズくん。私が戻る前に、片付けようとしてくれて」

「あ、あの……」

「大丈夫大丈夫。私、気にしてないから〜」


ひらひらと片手を振りながら、残る片手で猿田彦が手に持ったコンビニの袋を受け取り、淡海は机の上にばら撒かれたものを端から放り込んでいった。


昼食の為に席を立ち、此処に戻って来るまでの間に、淡海のデスクは酷く荒らされていた。

オフィスの隅に備え付けられたゴミ箱を引っくり返し、その上に飲み物をぶちまけ、ガムを吐き捨てられ――これをどうして、大丈夫なんて言葉で片付けられるのだと猿田彦が悲痛に眉を顰めても、淡海はただただ笑っている。


「私ねぇ、人に嫌われやすいみたいだから、こういうのよくあるんだぁ。だからへーき」


取り乱すことが出来た方がマシだと思いながら、事実を受け止められるだけの土台が出来ていることを今は喜ぼう。淡海の顔は、そんな笑みを浮かべていた。


彼女は昔から男を強く惹き付ける性質を持ち、それ故、同性から酷く嫌悪されることが多かった。

女というのは、より女として優れているものを妬み、嫉み、排斥せんとするもので、淡海は学生時代から度々、こうした手酷い仕打ちを受けていた。


自分が何をしたでもないのに不条理だと嘆く心は、とうに死に絶えた。相手に対し憤ることも、我が身を憂いて悲歎することも忘れた。

こうして平気な顔をして笑って、何も無かったことにしておけば、それでいい。手応えが無ければ、相手も面白くないとすぐに引き下がるし、何より自分が傷付かない。

怒りも悲しみも、自分の傷口を開くだけで何の役にも立たないのだ。だから、これも無かったことにしてしまっていいと、淡海は笑いながら机を片付けていく。


大方、犯人は自分が気に入らない女性所員の誰かだろう。この派手な荒らし様からするに、複数人に違いない。

自分が同性に好かれないことは理解しているが、今になってこのような形で嫌忌されたのは、恐らくジーニアスの彼との一件だろう。

かのジーニアスからの申し出を断り、涼しい顔をしているのが気に入らない。或いは、ジーニアスから声を掛けられたこと自体が腹立たしい。そんな感情をぶつけられた結果がこれなのだろうと、淡海は苦笑した。


彼女からすれば、そんなこと言われましてもという話だが、相手からすれば知ったこっちゃないのだろう。淡海が悪かろうが悪くなかろうが、向こうにとって重要なのは淡海の存在が忌々しい。それ一つである以上、困ったことだと苦笑いするしか出来ない。そんな淡海の姿が痛々しくて、猿田彦は、どうしてもっと早くに此処に戻っていなかったのかと切歯した。


あと五分早ければ、止められたかもしれない。あと十分早ければ、防げていたかもしれない。そもそも外食せずにいれば、朝コンビニに立ち寄った時に昼食も一緒に買っていれば――。

そんなどうにもならないことばかり考えていても、淡海は救われない。だのに、せっせとゴミを拾い集める淡海を手伝うことさえ出来ず、猿田彦はただ打ち拉がれた。

その光景を見て見ぬ振りをしながら、所員達が各々の業務に打ち込む音が、オフィスに虚しく響き渡る。それを掻き消したのは、在津の声だった。


「何をしている」




昼休憩も終わり、とうに午後の就業時間が始まっているというのに、何故机の片付けをしているのか。そう問い詰めるような冷ややかな声に、猿田彦が憤りを覚える中、淡海は困ったように視線を宙に逸らした。

誰の眼から見ても、淡海の机が何者かの悪意によって荒らされたのは明白だ。だが、在津が聞きたいのはそんなことではない。仕事をする気があるのか否か。彼が言っているのは、そういうことだと淡海は適当な言い訳を考えながら、ゴミを片付ける手を動かし続けた。


「え〜っと……ちょっとドジっちゃって。すぐに片付けてお仕事戻りますので、お気になさらず〜」

「淡海ちゃん、」


猿田彦とて、在津が求めている答えは分かっている。それでも、これを無かったことにして良い訳がないと、猿田彦は淡海に代わって一言申し出てやろうと、既に淡海の方を見てすらしない在津に向かって一歩踏み出した。

向こうの席から、笑い声も立てずに淡海を嘲っていた女性所員が床に倒れ込んだのは、まさにその時だった。


「カ……は……ッ!」

「お、織加!」


酸欠を起こしているのか。女性所員は顔を蒼白させ、痙攣を起こしている。

このような芸当が出来るのは、第二支部には一人しかいない。空気を操る能力――絶空(アスフィケーション)。その使い手、在津巧二ただ一人だ。


「……第二支部の品格を損なうような、くだらない真似をするな」


其処でようやく、淡海達は気が付いた。彼が何をしているのかと問い掛けていた相手は淡海ではなく、彼女であったということに。


駆け寄った隣席の所員を容赦なく突き飛ばし、在津は倒れた女性所員を、地面に転がる虫を見るような眼で見下ろす。それは己の部下に、人間に向ける眼差しにしては余りに冷酷だ。見ている此方の血の気が失せる程に。

在津は凡そ、常に何かに対し憤ったり苛立ったりいるが、これ程までに赫怒している様は見たことがない。

第二支部の品位に関わると言われれば、彼が能力を使った折檻にまで及んだのも納得がいかないでも無いが、在津自身が何かされたでもないのに、彼が此処まで憤っていることが、淡海にも猿田彦にも、他の所員達にも信じられなかった。

しかし、他人に干渉することも干渉されることも嫌い、誰がどうなろうと知ったことではないという顔をしているあの在津が、誰かの為に怒るなど。

それこそ有り得ない。きっと今日は、そう、きっと、虫の居所でも悪かったのだ。


「も……申し訳、ありま…………」

「まともに謝罪も出来ないのか」


だが、在津が平伏するようにして謝罪する女性所員の頭を掴み上げ、淡海の方を向かせた時、猿田彦は希望の残り火が吹き消されるのを感じた。


「相手の方を見て、頭を下げろ。そんなことも分からん輩が、第二支部に籍を置くな」


――ああ、その顔は、誰がどう見たって、より深く恋に落ちたもののそれだ。


感極まって、声も出せずにいる淡海の横顔を見遣りながら、猿田彦は最初から望みなど無かったことだろうと、潰えた想いを放り投げた。

そういうところが好きだというのなら、自分にはどう足掻いたって勝ち目はない、と。








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