12万打SS 栄枝 | ナノ


彼女は、花を愛していた。

FREAK OUTでは、花は十怪を彷彿させる不吉なものとして忌避されていたが、それでも彼女は花を愛でていた。

巡回中、植え込みの花を見て眼を細めたり、子供のような顔で事務所の外に作った花壇の手入れをしたり、フラワーショップで買った花束を活けたりする彼女の姿は、所員達のみならず、市民達の記憶にも強く根付いていることだろう。


だから、彼女が所長として就任してからのFREAK OUT第五支部は、花で溢れていた。
色とりどりの、美しい花で。


「また新しい花ですか、所長」

「鬼怒川さん」


FREAK OUT第五支部は、緑で溢れている。
外の植え込みやグリーンカーテンに始まり、オフィスやロビーに置かれた花瓶、鉢植え、ハンギングバスケット、プランター。花屋を営む市民に、うち以上の品揃えだと言わしめた程の花々は、全て彼女――第五支部所長・栄枝美郷が買い集めた物だった。

これらの大半は彼女の自費で購入したものだが、所員や市民、更には彼女のファンだという他市の人間や、他支部の職員からのプレゼントも多い。

中には、彼女を口説かんとする不埒な輩から贈呈された物もあったが、それは所員達が内密に、それとなく処分しておいた。それに関しては、自分が指示したこともあれば、無かったこともある。
如何にも軽薄な、女たらしで有名な某医療部長から、気障ったらしい薔薇の花束が来た時などは、満場一致で処理したものだが、それはさておこうと、鬼怒川は栄枝が窓際に置いた真新しい鉢植えを覗き込んだ。


「えっと……これは、えーっと」

「オダマキです」


鉢植えの中には、青紫色の花が植えられていた。

花の見分けなど、有名どころ以外殆ど判別出来ない鬼怒川は、こんな花もあるのかと顎を撫でながら、オダマキ、と確めるように呟いた。


――オダマキ。アキレギアとも呼ばれるその花は、野生のものは山地から高山にかけて分布する山野草だという。栄枝が購入してきたものは園芸用に品種改良されたもので、様々な色の花があるが、この色が最もポピュラーなものらしい。


鬼怒川がそれを知るのは、帰宅後、家にある植物図鑑を開いてからのことだった。栄枝と少しでも話が合うようにと買った物だ。

熟読したところで、今一つ頭に入っていないので、この始末だが。こうして新しい花が来る度に、これがどういう花なのか教えられるのも、悪くなかった。


「オダマキは夏に弱いので、涼しくなるまで室内にいてもらうことにしました。秋になったら植え替えをして外に置くので、それまでは此処で」

「外に出しても大丈夫なんですか?」

「はい。オダマキは寒さに強い花なんですよ」


そう言いながら、オダマキの花弁を軽く指先で突く栄枝に、鬼怒川は何とも形容し難いむず痒さを覚えた。


彼女とこうして話していると、胸が擽られているように、こそばゆくなる。

その何気ない仕草や、目配せ一つで容易く欣喜雀躍する心を押さえつつ、鬼怒川はオダマキが加わった窓際を眺める。


「しかし……だいぶ増えてきましたね。外にも中にも」

「そうですね。私が所長に就任してから三年……随分数が増えましたね」


第五支部に緑が増えたのは、栄枝が所長として就任してからだ。

出先で一目惚れしてしまったと衝動的に買ってくることもあれば、前々から欲しかったのだと余所から仕入れてくることもあった。

だが、これだけの種類の花が第五支部に溢れているのは、彼女がある時に決まって、新しい花を買ってくることに起因していた。


「今度来る、新入りのものですか」

「はい。真峰愛さんの誕生花……その中で、一番彼女らしいものを選んできました」


第五支部に新たな所員が加わる時、栄枝は必ず、その所員の誕生花を事務所に迎え入れている。

蜂球磨の時はコレオプチス、縁と緑の時はオーブリエチア。そして、自分達が所長と副所長として就任した時は――。


「ふふ、憶えてますか、鬼怒川さん。最初はやっぱり、鬼怒川さんのお花にしようってオニユリを持って来たら、なんて毒々しい花だって前所長に言われた時のこと」

「……ええ、忘れる訳ないですよ」


忘れられる訳がない。彼女が一番最初に、自分の花を置いてくれた時の喜びを、どうして忘れられよう。

すぐに他の所員達の花が追加され、前所長に不評だったオニユリは瞬く間に埋もれたが、それでも、一番最初に彼女が選んでくれたということが、今でも鬼怒川の誇りだった。


「懐かしいですね。あれから色んな人が此処に来て、その度に花が増えて……気が付けば、こんなにたくさん」


この慣習が始まってから三年。花の数は増え続けているが、第五支部所員の数は殆ど変っていない。寧ろ、緩やかに減りつつある。


フリークスとの戦いで命を落とした者がいた。体や心を壊し、戦線を退いた者がいた。市民を守れなかったことで思い詰め、自ら命を絶った者がいた。何処にいってしまったのかも分からぬまま、消えてしまった者がいた。フリークハザードを起こし、仲間の手によって屠られた者がいた。異動になった者もいれば、一身上の都合により退役した者もいるが、此処を去った直後に訃報が届いた者もいた。


実に多くの人間が、此処を離れた。迎え入れられた者より、送り出された者の方が勝る程に。
それも、仕方のないことだ。FREAK OUTは、常に死と隣り合わせだ。今日を生き抜くことが出来ても、明日死なない保障は無い。そんな場所にいれば、得るものより失うものが多くなるのは必然。これまで無数の死を目の当たりにしてきた栄枝もまた、それを痛感していた。

だが、それを当たり前のことにしたくはないのだと、栄枝は所員の花を置くことを決めた。

何があろうと、自分と共に戦ってくれた人々のことを、風化させてしまわぬように。彼等が確かに此処にいたことを、いつでも思い出すことが出来るようにと、彼女は、全所員の花をこうして第五支部の各地に置いている。二人分を除いて。


「いつかこの中に、彼岸崎さんのお花も加えられたらいいのですけど」

「ああ……あの野郎は確か『”死人花”なんで不吉なもの、置くべきではないですよ』って、勝手に片付けて……何度所長が買い戻しても、何処かにやっちまってたんでしたね」

「ええ。他のお花にしても片付けられてしまって……。彼岸崎さんのお花だけ無いのも寂しいので、いつか置かせていただければいいのですが」


一つは、栄枝自身の花。そしてもう一つは、頑なにこの慣習を拒む、左腕の物だった。


あの男が二人目の副所長として就任してすぐ、栄枝は彼の花を事務所に迎えたのだが、それは一日と経たずして、片付けられてしまった。

花が気に入らなかったのだろうかと、栄枝が別の花を用意しても、彼は断固として自分の花が
置かれることを許さず、三度めにして栄枝が折れてからは欠番状態になっている。


何かにつけて彼女に反発的な彼のことだ。”魔女”の庭に植えられるのは勘弁願いたい、とでも言いたいのだろう。そう考えていた鬼怒川だが、昨今は、もしかするとそうではないのかもしれないと、思い始めていた。


あの男が、彼女を”魔女”と呼び、その聖性を執拗に煙たがるのは、酷く汚れたその手で綺麗な物に触れることを拒むように、己が彼女の傍にいることを許すことが出来ないからなのではないかと。時たま、そんな風に思えた。

ただの考え過ぎかもしれない。彼女が「彼岸崎さんは良い人ですよ」と言うので、そう思ってやろうとしているせいかもしれない。それでも、時々思うのだ。かつてこの手を人の血で染めてきたが故に、彼女に触れることが出来ない自分とあの男は、何処か重なる、と。


とても認め難いが。彼がそれを聞いたなら、そんな訳がないと鼻で笑ってくるのが見えているが――と、想像して苛立ちを覚えた鬼怒川は、やっぱり有り得ねぇなと舌打ちした。

ちょうどそのタイミングで、鉢植えに水をやり終えた栄枝は、壁掛け時計に眼を向けながら、うんと伸びをする。


「さて、そろそろ巡回の時間ですね。今日も暑いので、熱中症の注意喚起もしておかないと」


外は凄まじいまでの快晴。天気予報では、記録的な猛暑日だと言っていた。

暑さで倒れる市民が出ないよう、見回りがてら声掛けもしていかなければと足を進めていく栄枝の背中を、鬼怒川は急ぎ足で追った。


「自分も、お供させていただきます、所長」

「いいんですか?今日は特に暑いそうですよ」

「えぇ。この暑さじゃ、他の奴等は行きたがらないでしょうから…………不肖、俺が」


時に、鬼怒川は思う。彼女が”聖女”でなければ、自分はこの手を、彼女に伸ばすことが出来たのだろうかと。

だが、彼女はどうしようもなく”聖女”であり、故に、自分は彼女に心惹かれた。

それに、もし彼女があの男の言うように”魔女”であったとしても、自分はきっと、彼女は”聖女”であると信じ続けてしまうだろう。


だから、この手は届かなくていい。こうして彼女の傍にいられるだけで、彼女のことを想っていられるだけで十分過ぎるのだからと、鬼怒川は栄枝の右隣を行く。


「ありがとうございます、鬼怒川さん」


目の前で微笑む、誰よりも清らかなこの人が、何れ自分の命を握り潰すとも知らずに。


「では、行きましょう。吾丹場市に住まう皆さんが、今日も平和な一日を過ごせるように」








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