妖精殺し | ナノ


――魔術の初歩は、基礎である魔力の放出とコントロールを身に付けるところから始まる。


魔力認識を終えた魔術師の次なる課題は、物体に魔力を流し込むことだ。

魔術を行使するに当たって、最適な魔力量を捻出するというのは基礎中の基礎。よって、水晶を使って魔力放出を学ぶのが第二ステップである。

次頁のシジルに内封されている水晶は、魔力を流すことで下から色が変わるよう作られている。流す魔力が少なければ、水晶全体の色を変えることは出来ないが、魔力が多過ぎると水晶が割れる仕組みになっている。この水晶全体の色が変わるよう、尚且つ、水晶が破損しないよう、流す魔力量を調整し、魔力放出を身に付けるのだ。


「……苦戦すると思ってたんだが、存外早く終わったな」

「えへへへへ」


上から下まで、ルビーのような深紅に染まった水晶を手に、魔力認識にあれだけ手こずっていたのが嘘のようだなと感心する化重の前で、春智は破顔しながら胸を張った。

一ヶ月近く、修行が停滞していたのだ。自分には魔術の才能がないのではと落ち込んでいたが、次の課題は始めて半日でクリア出来た。喜びも一入。失い掛けていた自信も倍以上になって戻ってくる。
腰に両手を当てながら、ふふんと鼻の穴を広げる春智に、魔力放出にも時間を要したアルベリッヒはやや複雑な顔をしているが、勾軒は微笑ましいなと眼を細め、化重も呆れながらも好調なようで何よりと心の中で適当に春智を褒めてやった。


「魔力認識を乗り越えたらこっちのものです! 今の私はまさに快刀乱麻ですよ!」

「そりゃ大したもんだ。んじゃ、次の課題に行ってみっか」


調子がいいのなら、その勢いで行けるとこまで行ってしまえと、化重は春智に次の課題に使う物を投げ渡した。

ポイ、と放られたそれを両手でキャッチし、何だろうと眼を遣った春智は、魔術アイテムとしてはスタンダードなそれにパチクチと瞬きした。


「これは」

「見ての通り、ペンだ。ただし、普通のペンと違って、こいつは魔力をインクにする仕様になっている」


それは、カラスの羽根で作られたペンだった。一般的な羽根ペンと違い、此方はインクに浸さずとも、魔力を流せば書ける仕組みになっており、中には流す魔力の量や性質によって色を変える物、紙に魔力を通さなければ文字が見えない物、逆に文字が消える物など、ポピュラーな道具だけあって種類も豊富。これはその中でも最もシンプル且つ初心者向けの仕様になっている。


「こいつに魔力を流しながら、手を触れずに動かせ。最初は丸とか、簡単な図形でいい。最終的に、自分の名前が書けるようになればクリアだ」


今度のレッスンは、魔力操作だ。


――殆どの魔術は対象に流した魔力を動かすことで、発動する。コップの中に水を注いだだけでは、奇跡とは言えない。中の水を自在に動かして初めて、人は魔術という名の奇跡を手にするのだ。


そんなテキストの一文を思い返しつつ、化重は紙とペンを前に力む春智を見遣る。


「ふっぐぅううう……!」


まずは、テーブルの上に横たわるペンを立てるところからだ。春智はペン先にインクを集めるイメージで魔力を流し、その重みを支点にペンを直立させた。

ペンを立たせるだけでも、重労働だ。とにかく集中しないと、今にもペンが倒れてしまいそうだ。しかし、一度でもペンが倒れてしまえば、持ち直すことは出来ないだろうと、直感が訴える。

何とか直立をキープしなければと、視線と指先に全意識を集める。ペン全体を動かすことは、恐らく今の自分には出来ないだろう。ならば、このまま魔力が溜まったペン先を滑らせていこうと、春智はペンそのものではなく中のインクを動かすイメージで魔力操作に臨んだ。

羽根ペンがまるで、鉄の塊のように重い。少し動かすだけでも、魔力を捻出している腕の神経が千切れそうだ。それが力み過ぎの証だと分かっていながら、化重は敢えて口を出すのを止めた。

まずは一度、春智のやり方でやらせる。それから何が悪かったのかを考えさせ、分からなければ教える。それが彼の教育方針であった。

アルベリッヒは、危なっかしいものを見るようにソワソワとしているが、春智の集中を乱すまいと大人しくしている。勾軒は勿論、ムーまでもが黙って彼女を見守り、時計の音だけがカチコチと響く沈黙が五分続いた後。一頻りペンを動かしたところで限界を迎えた春智が「ぶはぁっ」と仰々しく呼吸をしながら、テーブルの上に雪崩れ込んだ。


「だ……駄目です。保健の教科書で見たやつみたいになってしまいました……」

「もっとマシな例え方あるだろ」


とは言ったものの、それ以外に比喩しようもない歪んだ円形に、化重とアルベリッヒは揃って何とも言えない顔をした。

殆ど力技で動かしたペンは痙攣したかのようにブレまくり、変なところで曲がったり、直線になったりしている。とても丸とは言えない有り様だ。しかし勾軒は、始点から終点までペンを運べただけ上出来だと、春智に賛辞を送る。


「魔力は放出するより操作する方がずっと難しい。初めてでペンを動かせただけでも上々だよ、お嬢さん」

「ほ、本当ですか?!」

「ああ。叶が初めてやった時は、ペンを立てるだけで精一杯だったからな。魔力操作については、お嬢さんの方が上手かな?」

「……二、三時間後には思うように動かせていたでしょう」

「そうだったか。では、お嬢さんがどのくらいでペンを思い通りに動かせるようになるか、楽しみにしていよう」


とぼけた様に笑いながら、今日のお茶菓子――キャラメルナッツタルトとコーヒーを出した勾軒に、化重は不服そうに顔を顰める。

からかわれたのが面白くなかったのか、弟子と比較されたことが気に食わなかったのか。はたまた、昔の話をされて居た堪れなくなったのか。心なしか、子供のように拗ねた様子の化重と、それを見てからからと笑う勾軒を交互に見遣りながら、春智はふと、頭に浮かんだ疑念を口にした。


「あの……もしかしなくても、勾軒さんって、化重さんの魔術のお師匠さんなんですか?」

「おや。言っていなかったか」


勾軒が元幻想ハンターであることを思えば、それはとても自然なことだ。それでも、今日までその考えに至らなかったのは、師の未熟な姿を思い描くことが出来なかったからかもしれない。彼にも見習いの時分があり、苦手としていた魔術があった。そんな当たり前のことが、春智には想像出来なかったのだ。

化重は素人目から見ても優れた魔術師だ。魔術を習い始めた今だからこそ、彼の使う魔術が如何に凄まじいものであるかを痛感する。故に、彼がペンを立てるだけで精一杯であったなど、とても信じられないと春智が小首を傾げる中、勾軒は、開かれた古い記憶の引き出しの中身を懐かしむ。


「叶は春智くんと同じく、非魔術師家系の人間でね。基礎から私が指南していたのだが……懐かしいな。もう何十年前のことだか」


彼是、三十年近く前のことだけあって、回顧すると月日の経過をひしひしと感ぜられる反面、ついこの間のことのようにも思えてくる。

あんなに小さかった子供が、いつの間にか自分の背丈を追い越し、人として魔術師として成長し、弟子を持つようになった。感慨深いことだと思い出に浸っていた勾軒であったが、化重の方はとても穏やかではいられない様子で、その眼は、それ以上は喋ってくれるなと訴えている。

知られたくない、というより、言及されたくないというべきだろう。そのことに気が付いているのが自分一人である内に、この話は終いにしなければと磨いたカップを置いた、その時。
鳴り響いた来店ベルの音に、勾軒はナイスタイミングと心の中で指を鳴らしながら、それとなく話題を来客へシフトさせた。


「おや、珍しいお客さんだ」

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