妖精殺し | ナノ
ドアを開けた人物を一目見て、春智は息を呑んだ。
歩く度に揺れ動く艶やかな黒髪と、豪奢なイヤリング。夜空を切り抜いて作ったような漆黒と濃紺の布地に、金の縁取りが施されたワンピース。その艶やかさを際立たせる豊満な肢体に対し、何処までも清廉な顔立ちと、穏やかな微笑み。その美しさを喩えるなら、まるで月のようだと春智があんぐりと口を開けていると、勾軒がその人へ声を掛けた。
「やぁ、沙門(しゃもん)くん。いらっしゃい」
「こんにちは、マスター。ご無沙汰しております」
しゃらんと流れるような涼やかな声で挨拶を返した女性は、沙門というらしい。ストレリチアに通うようになって早一ヶ月。此処に訪れる様々な魔術師達と出会ってきた春智だが、沙門は雰囲気でいえば最も魔術師らしいと感じられた。
他の魔術師達が魔術師らしくない容貌の者ばかりというのもあるが、身に纏う衣服や、何処かミステリアスな佇まいは、まさしく魔術の世界に生きる者のそれと言える。
それにしても、本当に綺麗な人だとその一挙一動に見入って呆けていた春智であったが、ふと此方に向けられた金色の眼差しに、肩と心臓が跳ねた。
「あら……あらあらあら?」
長い睫毛を瞬かせながら春智の元へと歩み寄った沙門は、訳も分からぬままに身を強張らせる春智をじぃっと見つめながら、感嘆の声を上げる。
その眼はまるで、珍しい花や不思議な石を見付けた子供めいていて。ぱぁと華やぐ笑みもまた、何処か稚けない。
――これが、くにちゃんの言っていたギャップ萌えというものなのか。
絵に描いたような大人の女性の、少女のような表情に言葉を詰まらせる春智に、沙門は頬の横にしな垂れる黒髪を耳に掛けながら、にっこりと微笑んだ。
「もしかして、貴方が噂の新人さんなのかしら? 化重さんがお弟子さんを取ったと聞いていたのだけれど」
「え、あ……あの……」
「あぁ、いきなりごめんなさい。自己紹介がまだでしたね」
話に聞いて、思い描いていた通りの人物だったので、つい食い気味になってしまったと自省しつつ、沙門は軽く腰を折って、自己紹介した。
「初めまして。私は、沙門真夜加(しゃもん・まなか)と言います。以後、お見知りおきを」
「た、竜ヶ丘春智です! よろしくお願いします!」
ただそれだけの動作でも、星の瞬きに匹敵する美しさに、春智は慌てて頭を下げ、勢い余って椅子に足をぶつけた。何も急ぐことなどなかったのだが、沙門ほどの美人を前に落ち着けまいと、誰に咎められた訳でもないのに心の中で言い訳していると、彼女の視線がテーブルの上に向けられた。
「まぁ、懐かしい。ペンを使った魔力操作の修行……私も子供の頃にやりましたわ」
「あ、あの、これは、その」
慌てて紙を引っ掴んだ春智は、見られるのなら、白紙のままの方がマシだったかもしれないと俯いて、忸怩した。己の未熟さを知られてしまったというより、沙門にみっともない物を見せてしまったことの方が、春智には堪えた。
こんな美人のお目汚しをしてしまうなど、あってはならないと紙を丸めた春智であったが、沙門は、何も恥じることはないと柔らかな笑みを浮かべる。
「よく描けていましたね。ついこの間、魔力認識が終わったと百花院さんが言っていましたから……魔力操作も始めたばかりでしょう? それで此処まで描けるなんて、筋がいいのね」
事実、魔力操作を始めたのは今日が初めてであり、春智としては、あれでも一生懸命やって出来上がった成果なので、それに対し自信を持っていいと言われたのは、嬉しかった。
心の奥にぶわっと花畑が出来たようだと歓喜しつつも、春智は恐縮ですと頭をペコペコと下げる。
「あ……ありがとうございます……」
まるで水飲み鳥のようなその様に、沙門がクスクスと清廉な笑い声を零す。それを冗長だと言いたげな眼で見ていた化重は、回りくどいことはしなくていいと、宙に紫煙を吹き掛けた。
「……授業中だからって遠慮するこたねぇぞ、沙門。こいつには、仕事が最優先とは言ってある」
「あら。お見通しでしたのね」
少し悪戯っぽく返してきた沙門に、化重は溜め息を吐いた。
ストレリチアに赴くことが稀である彼女が此処を訪れた時点で、何かしらの案件を抱えているであろうことは見えていた。そして、彼女が春智の魔力操作修行に関心を示した辺りで、用があるのは自分だと察した化重は、それなら単刀直入に話をしようと、ナッツタルトを片手に沙門の方へと向き直した。
「用件は?」
「依頼……というより、仲介になりますが、よろしいでしょうか?」