妖精殺し | ナノ


来客を告げるベルの音と共に、店内に転がった明るい声。その稚けなさに思わず眼を向けると、十一、二歳程の少女が軽やかな足取りでやって来た。


「やぁ、蛾ヶ条(ががじょう)くん。いらっしゃい」

「どうも、おじ様。お久しぶり!」


勾軒に溌剌と挨拶を返した少女は、蛾ヶ条というらしい。ふんわりとした朽ち葉色の髪に、丸い瞳、マスタード色のパーカーの上に白衣を纏っており、見た目は少し風変りな小学生といった印象を受ける。

しかし、少しも何も、此処に踏み込むことが出来ている時点で、彼女はただの子供ではない。


「化重さん……もしかしなくてもあの子」

「至極当然、魔術師だ」


少女の名は、蛾ヶ条かの子。彼女もまた、喫茶ストレリチアに属す魔術師であり、化重は顔見知りらしい。
あまり関わりたくなさそうな顔をして、彼女と眼を合わせないように壁の方を見ているので、苦手意識を持っているのだろうか。

何だかんだと言いながら面倒見のいい彼だが、小さい子供の相手をするのは不得意なのか。などと考えている時だった。


「あっ、いたいた! 化重クン!!」


適確に此方に向けて飛ばされた明るい声に、化重が轟沈した。

彼女が来た時点で、何か諦めたような様子ではあったが、それでも気落ちしたらしい。心底辟易としながら、依然壁を見つめ続ける化重だが、パタパタと駆け寄ってきた蛾ヶ条はそれに構わず、明るい声をかける。


「よかった! 今日はヒマしてそうだね!! という訳で早速お願いがあるんだけど!!」

「嫌な予感しかしねぇが、一応聞いてやる。なんだ」

「実はだね、最近この近くでユニコーンが出たという情報が入ってきてね! そう、ユニコーンだよ、ユニコーン!! すごくない?! このコンクリートジャングルにユニコーン!!」

「ユニコーンって……あのユニコーンですか?!」


――ユニコーン。

その名を知らぬもの無し。著名度で言えば、幻想生物の中でもトップレベルの一角馬だ。


額に螺旋状の筋が入った一本の角を持つ、紺色の瞳の美しい白馬。その角は穢れた水を清め、解毒作用を有し、特効薬の材料として珍重され、ユニコーンの角と偽ったイッカクの牙が多数売買されていたことでも有名である。

主な棲息地域は山間部や森林だが、時たま人里に降りて来ることがあるという。

ユニコーンは非常に傲慢で、自らの力に絶対の自信を持っている為、人を恐れない。故に、其処に街があろうと摩天楼があろうと、ユニコーンは自由気儘に歩き回るのだが、それでも都会に姿を現すことは稀有である。


「魔術薬剤師としては、ユニコーンの角は喉から手が出る程欲しいアイテム! しかも天然モノよ天然モノ!! 海外から仕入れるとなると値段も馬鹿にならないし、滅多にこっちまで出回ってこないレア物!! これを逃したら何時手に入ることか!!」

「魔術薬剤師?」

「魔術的効果を持つ薬を精製・調合することを生業としている、魔術薬のスペシャリストだ。万病の薬から媚……惚れ薬まで、あらゆる薬を作っている」

「ほへぇ」


眼を爛々と輝かせる蛾ヶ条に迫られる化重に代わって解説してくれたアルベリッヒの言葉を反芻しながら、春智はユニコーンユニコーンと声を上げる蛾ヶ条を見遣る。


――あんな小さな子も、魔力認識をクリアして、魔術師として活躍しているとは。


自分はまだまだ努力が足りないと春智が項垂れる横で、蛾ヶ条は化重にユニコーンの角を熱烈にねだり続ける。

いよいよ化重も、無視していられなくなったのか。視線を壁から蛾ヶ条に向け、辟易を絵に描いたように顔を顰める。


「お前、ユニコーン捕まえんのにどんだけ苦労するか分かってんのか」

「分かってるよぉ〜〜だからお願いしてるんじゃんかぁ〜〜」


ユニコーンは非常に気性が荒く、一突きで象をも殺すことが出来る角、馬や鹿を凌駕する俊足を持ち、相手取るのが非常に厄介な妖精だ。
その上、捕えようにも激しく抵抗し、人間に飼われるくらいならばと自死する程で、ユニコーンと対峙するのであれば狩猟しかない。

古来より多くのハンターが、その角を求めてユニコーンを捕えようとしては命を落としてきたと言われる。そんな幻想生物を相手にしろなど、簡単に言ってくれるなと化重は溜め息を吐くが、蛾ヶ崎は引かない。


「私だってね、どうにか出来るならどうにかしてるよ。でもさぁ、しがない薬剤師がユニコーンと戦うってのは無理あるじゃない。だから、妖精殺し様にお願いするしかないなぁ〜って」

「何も戦わずとも……ユニコーンを手なずけて、眠らせるなりすればいいのではないか?」


しかし、そこまで化重に頼むこともないだろうと、アルベリッヒは脇から口を挟み込んだ。

獰猛で、手の付けようのない暴れ馬であるユニコーンだが、これを鎮める方法が一つだけある。
ユニコーンは乙女の純潔を何よりも愛する妖精で、処女にのみ異常に懐くという習性を持ち、美しく装った生粋の処女を見ると恐ろしく大人しくなり、その膝の上で眠ってしまうと言われている。

化重は確かに腕の立つ幻想ハンターだが、ユニコーン捕獲に関しては蛾ヶ条の方が適任であろう。捕えたユニコーンの解体や運搬くらいなら、化重も請け負ってくれるのではと疑問を呈したアルベリッヒであったが。


「あー、無理無理。私、処女じゃないから、ユニコーンに秒で刺し殺されちゃうわ」

「「?!!」」

「お前ら勘違いしてるみたいだから補足しておくが、こいつを見た目で判断するな。これでもお前らより年上だぞ、この女」

「具体的に何歳なのかはナイショだゾ!」


何を隠そう、蛾ヶ条かの子はこの既に成人済みであり、男性経験もある為、ユニコーン捕獲適正を有していないのである。
見た目には未だキャベツ畑やコウノトリを信じていそうなものだが、年上。そして、非処女。
春智とアルベリッヒが眼と口をこれでもかと開けて驚愕する中、蛾ヶ条は手を合わせ、改めて化重にユニコーンの狩猟を希う。

「という訳だから、お願い! 報酬はきっちり支払うから、何卒!」

「はぁ……馬鹿に付ける薬でも作ってくれるってんなら、喜んでやるんだがな」

「いいじゃないか、受けてやりなさい、叶」

「勾軒さん」

「ユニコーン程の妖精が出たとなれば、議会からも討伐依頼が来るだろう。遅かれ早かれ、だ。かの子ちゃんの頼み、聞いてやりなさい」


勾軒の言う通り、ユニコーンが現れたとなれば、魔術師議会も動き出すだろう。

ユニコーンは角は勿論のこと、その毛皮も瞳も魔術業界では絶大な価値を有している。
これを狙い、多くの魔術師達がユニコーンに挑もうとするだろうが、相手は凶暴を極めた凶悪妖精。並大抵の魔術師では返り討ちに遭い、仲良く串刺しにされるだろう。

身内にも民間にも犠牲者が出る前に、これを狩猟すべしと、正式な依頼が出るのも時間の問題。

それに、議会からの依頼となれば、ユニコーンの体は議会に回収され、その恩恵に殆ど肖ることは出来ないだろう。今、蛾ヶ条の依頼を受けておいた方が化重にも得ではないかと、勾軒がウインクを決める頃には、決着はついた。


「……またこのパターンか」


だから蛾ヶ条と関わりたくなかったのだと、化重は重々しい溜め息を吐きながら、煙草を取り出した。


「だが弟子、お前は今回連れて行かん」

「え?! ど、どうしてですか?!」


と、いつもの流れで仕事が決まったが、いつものように同行とならなかったので春智は思わず叫んだ。


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