FREAK OUT | ナノ


何故か忘れてしまっていた記憶が、知らぬ間に封をされていた思い出の断片が、目蓋の裏、頭の中に広がっていく。

酷くぼやけているけれど。それでも確かにあったものだと言える感覚が、暗がりに浮かび上がる。


(見付けた、愛ちゃん)


幼かった頃の自分に手を差し伸べる彼の姿が、涙を止めさせようと掛けてくれた優しい言葉が。泣き疲れた体を支えてくれた背中の温もりが。

重なって、蘇って――其処で愛は、ハッとと目を覚ました。


「い、慈島さん!?」

「う、うん……慈島、です……」


布団を蹴り上げながら放った、見事に裏返った声に返されたのは、困惑を絵に描いたような表情と妙な敬語であった。間もなく訪れる、外の雀の囀りが聴こえる程の静寂の中、愛は寝起きの頭で現状を整理し始めた。


まず今の時間は、朝だ。カチコチと嫌に音が響く壁掛け時計の長針は七を指していて、外は昨日と打って変わって晴天。窓から眩い朝日が差し込んでいる。次いで此処は、恐らく……というまでもなく、慈島の自宅であった。

彼の家は、事務所のある雑居ビルの上階にあると前もって聞かされていた。本来ならば昨日の内に、用意されている自分の部屋に行って、業者に運んでもらった荷物を解いていたのだが――思い出すだけで唸り声が出そうな一件により、扉の向こうにあるのだろう自室は今もダンボールだらけの状態だ。


此処で愛は、自分が寝かされていた場所が、リビングであることに気が付いた。

荷だらけの部屋に寝かせる訳には行かないと、彼が気を利かせたのだろう。起こしてくれればいいものを、ご丁寧に布団を此処まで運び、寝かせてくれていたらしい。服装も昨日の――フリークスに裂かれた服の上に、慈島のスーツが被せられたままなのも、勝手に着替えさせることに彼が抵抗を持ったからだろう。


あれこれ気を遣わせてしまったようで、心底申し訳ない。彼の心遣いに胸を痛めながら、愛は兎に角お礼と謝罪をしなければと、寝起きの頭を忙しなく動かす。

何から言うべきか、どう伝えるべきか。愛が頭を抱えて必死に思案していると、慈島がぎこちなく口を開いてきた。


「気分は、どう?よく寝てたけど、体調に問題とか……」

「あ、いえ……お、お陰様で……」

「そうか……なら、よかった」


静寂が再度来襲するのは、思っていたより早かった。またもや外で楽しそうに騒ぐ雀の声が響く中、さて此処からどうすべきかと悩む二人は、改めて今後の生活について真剣に悩んだ。

昨日の一件により、愛が自立するまで二人が暮らすことは両者同意のもと、もう覆ることはないものとして再決定した。しかし慈島と愛は、かつて何度か顔を合わせていたとはいえ、長らく会って話をしていない、限りなく赤の他人である。おまけに歳も一回り以上離れ、性別も男と女。現段階で分かる共通点があるとすれば人間であること位の二人は、どうにも拭いきれない気まずさに見舞われた。

こういうものは時間が解決してくれるのだろうが、その間、こうも息苦しい中で暮らしていかなければならないというのは、いただけない。相手のことを思えばこうなるのも仕方ないし、お互い悪い感情は持っていないので、どうにかなるまで妥協すればいいのだが。

取り敢えず、気兼ねなく日常会話が出来る程度にならないと互いに辛い。だから慈島も愛も、二人揃って何か言わなければ、何か言わなければと悩んでいたのだが、この重い静けさを裂いたのは、ピーーーーッと喧しく喚くヤカンの音であった。


「……まずい、火かけたままだった」


ドシドシと重い足音を立て、慈島が早足で台所へ向かう。

台所は所謂対面式のダイニングキッチンで、上体を起こした状態のままでも、慌ててコンロの火を消す慈島の姿が見えた。朝食の支度をする傍ら、自分の様子を見てくれていたのだろうか。被せられたままの慈島のスーツをきゅっと握り締め、愛は改めて慈島にお礼と謝罪をしなければと考え――鼻を衝く焦げ臭さに眉を動かした。


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