FREAK OUT | ナノ


人が牢獄と呼ぶこの地も、彼女にとっては止まり木に過ぎなかったのだろう。


(愛ちゃん……私、本当に、本当に貴方に会えてよかった)

(真峰!俺もすぐに卒業して、お前に追いつく!!だから、まだ勝ち誇ったりするんじゃないぞ!!)


息が詰まるような鉄格子に囲まれ、項垂れ、鉢植えに根を下ろしてきた者を嘲るかのような鮮やかさで、彼女は翼を広げ、飛び立って行った。

その鮮烈な輝きは、人々の憧憬を攫うには十分過ぎる程に眩しくて。誰もが彼女の姿を追うように狭い空を仰ぎながら、深く根差した絶望を振り解かんと邁進するようになって、早二週間――。


「――……い。……のい…………綾野井!!」

「はっ、はい!!?」


目に見えて呆けていることが多くなった彩葉に、蘭原はこれで何度目かと舌打ちした。

少し前まで、ありとあらゆるものに怯え、びくびくと周りを窺い、一秒たりとて気を抜くことが無かった。その彩葉が、座学の授業中でも、基礎訓練でも、昼休みでも、魂を何処かに飛ばしてしまったかのように放心するようになった。

気を抜けば其処に付け入られ、虐げられることが無くなったから、ではない。
相も変わらず、自分が声をかける度に体を跳ねさせ、怯えたような目をしてくる彼女のことだ。慢心している訳ではないだろう。

それでも、班実習の真っ只中で呆けるとはいよいよ末期だと、蘭原は彩葉の両頬を抓み上げた。


「いい度胸だな、綾野井。疑似フリークスとの戦闘訓練中にぼさっとするとは……お前の希望配属先は、豚のエサか?ん?」

「ご、ごごご、ごめんなふぁい、らんひゃらひゅん」


頬の肉を引っ張られ、まともに発語出来ない状態で、あたふたと詫び入れてくる彩葉を見ていると、もっと手に力を込めてやりたくなる。だが、今は彼女を弄り倒している場合ではないと、蘭原はあっさりと彩葉を解放した。

今は実習中。しかも、辺りは疑似フリークスだらけという状況だ。気の緩みは死に繋がりかねない。だからこそ気を引き締めてやらねばならぬと、蘭原は、赤くなった両頬に手を宛がう彩葉の頭を軽く小突いた。


「……また、真峰のことでも考えていたのか」

「…………うん」

「うん、じゃない。このバカ野井が」

「あうっ」


もう一発、喝を入れるついでに拳を頭頂部に下ろし、蘭原は深く溜め息を吐いた。


愛がRAISEを卒業してから二週間。彩葉は事あるごとに彼女の身を案じ、時にこうして我を忘れる程に考え込んだりしている。

初めての土地で上手くやっていけているのか。第五支部に馴染めているか。無理をしてはいないか。風邪を引いたりしていないか。ちゃんとご飯は食べているか――。

お前は母親かと言いたくなるレベルで、愛の心配をする彩葉に、蘭原は心底呆れていた。


「いなくなった人間のことを気にしている場合か、お前は。俺の恩恵に肖って支援部行きを逃れたとはいえ、まともな配属先にありつけると決まった訳じゃないんだぞ。これまでの分を取り返すくらいの気構えで臨まないでどうすんだ」

「…………ごめんなさい」


それまで、何をしたところで無駄なのだと諦めて、最底辺に座り込むことを良しとしていた彩葉も、愛の影響を受け、変わった。

自分に出来ることを全うし、自分にしか出来ないことに磨きを掛け、非力であっても無力ではないのだと、彩葉なりの強さを身に付けんと足掻き、もがき。クラス一の劣等生であった綾野井彩葉は、サポーターとしての力を評価され、実習の成績を徐々に上げつつある。

その甲斐あって、先の中間査定にて、彩葉はほぼ確定していた活動支援部への配属を棄却されることになったのだが――それでも、手放しで喜べる成績ではなかった。

最底辺を逃れても、未だ彼女の行き着く先は底辺の域を出られるか危ういのだ。他人の心配をしている場合ではない。まして、自分達を置いて飛び立っていった奴のことなど、気に掛けるまでもないと、蘭原は項垂れる彩葉の頭に手を置いた。


「それに……アイツなら心配いらないだろう。この俺を差し置いて、先にRAISEを出て行った女だぞ、アイツは」

「……蘭原くん」


未だうじうじと思い悩むつもりなら、このまま髪を引っ掴んで連れ回してやる。

そう脅しを掛けるつもりで置いた手の平で、おっかなびっくり此方を見遣る彩葉の頭を粗雑な手付きで撫でた自分に対し舌打ちすると、蘭原は物陰から顔を出し、近くを徘徊する疑似フリークスの位置を確認して、GOサインを出した。


「そうと分かったら、行くぞ綾野井。担いでやるから、俺の傍を離れるなよ。このお荷物野郎」

「は、はい!」


――そうだ。いつまでもあんな奴のことを気にすることはない。此処に身を置いていた時分から、彼女は、自分達の手の届かない所にいたのだ。

だから、空を仰いで、遠く輝く星を掴もうとするような真似をするのは、止めてしまえ。

もっと見るべき相手が、手の届く位置にいるだろうと。蘭原は瓦礫に足を取られかける彩葉の手を掴み取って走り出した。


彼女の目を焼いた、鮮やか過ぎる少女の面影。それを塗り潰さないことには、自分は”英雄”に勝ち得ない。彩葉の意識を攫う程の輝きを得て、初めて自分は彼女に勝利出来る――ようになる、筈、だ。

自身にそう言い聞かせながら、蘭原は彩葉を連れて駆けていく。その視線の先に、燦然と輝く黒い光を見据えながら。


「……蘭原さん、真峰がいなくなってから、綾野井に対して妙に過保護になったよなぁ」


そんな彼を別方向から見ていた取り巻き達は、揃って溜め息を吐いた。


”新たな英雄”真峰愛。彼女はRAISEに大きな波紋を齎し、多くの者に変革を齎した。

特に、その影響を最も間近で受けた彩葉と、最も強烈に受けた蘭原の変わり様と来たら。かつての彼等が知れば、目を剥き、口を開け、これでもかと驚嘆することだろう。


蘭原当人は否定するが、誰の目から見ても彼は変わった。

これまで彼の世界にはただ一人の敵も無く、彼こそが絶対にして最強の、揺るぎ無い王者として君臨し続けていた。しかし、突如として現れた少女――真峰愛によって、彼が積み上げてきたものは跡形も無く粉々に砕かれ、残されたのは、みっともなく散らばったプライドの欠片だけ。

その欠片以外の全てを捨て去って、蘭原は”英雄”に挑む道へと踏み出した。

いつまでも井の中の世界に縋っていては、自分は何者にもなれない。ちっぽけな過去をかなぐり捨て、前に進まなければ、可能性は万が一にも生まれないのだと。
君臨者であった蘭原は、挑戦者として世界と向き合うようになったのだが、愛がRAISEを出てからの彼は、これまで以上に躍起になっている節がある。

何に対しても熱心というか、我武者羅というか。彩葉に必要以上に干渉し、逐一手を焼いてやっているのも、愛への意趣返しだと思われるのだが。それにしてもあれは……と、取り巻き達は額に手を押し当てた。


「今までの反動なのか、罪悪感からなのか……もしかしたら、別の理由もあるかもだけどなぁ」

「別の理由って?」

「さぁな。それより、俺達も行くぞ。モタモタしてると、ケツに火ぃつけられちまう」

「お、おう。そうだな」


それを口にすれば、きっと蘭原は激しく怒るだろう。少なくとも、彼がそれを自覚していない範疇にある以上は、指摘するのも言及するもの避けるべきだ。憤慨する彼の厄介さを誰よりもよく知っている取り巻き達は、君子危うきに近寄らずと口を噤み、蘭原の指示通りに足を動かした。


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