FREAK OUT | ナノ
俺は、”英雄”にはなれない。
(俺は、真峰徹雄。FREAK OUT精鋭部隊ジーニアス所属、”英雄”真峰徹雄だ!)
生まれながらの”怪物”である俺では、あの人のように誰かの希望になる事は叶わない。
(お前は、俺達フリークスを食って強くなる……俺達に近い、俺達の天敵!十怪のケムダー様から生まれた半人半フリークス……”怪物”慈島志郎だ!!)
だが、それでも構わない。
(志郎。俺の家族のこと……よろしく頼むな)
俺が喰って、生きて、戦う理由は、未だ死んでいないのだから。
「ご苦労だったな、慈島」
帝京首都に建つ、巨大ビルティング。その最上階の一室にて、慈島は一人の老人と対面していた。
「在津は上野雀周辺警備の再調整もあるが……元より奴は、獲物を追うのを得意としていない。狩りに関してはお前達の方が優秀だと判断して仕事を回したが……とんだ皺寄せが来たと思った事だろう」
「いえ。此方の担当地区に逃げ込んで来たとなれば、うちが処理するのは当然のことですから……」
外は晴天。窓の外には果てしなく澄んだ青い空と、それを食むように枝を広げる、忌まわしきクリフォトの影が見える。
外が明るい分、部屋の暗がりは浮彫にされ、室内に立ち込める厳格さと重苦しさを助長している。立つ者によっては、冷や汗が止まらず、逃げ帰りたくなるような――そんな重々しさの中、慈島はデスクで報告書を捲る老人を、静かに見据えていた。
「それより……話とは、なんでしょう。神室(カムロ)総司令官」
オールバックにした白髪頭、還暦を越えても尚衰えを見せぬ厳かな風格に、鋭い目付き。慈島が身に纏うそれよりも、一目で遥かに高価で上等なものだと見て取れる、黒いスーツを着こなす彼こそが、FREAK OUT最高責任者、総司令官・神室岑尚(カムロ・ミネマサ)である。
慈島は彼に呼び出しを受け、急遽此処、FREAK OUT本部総司令官室へと足を運んで来たのだが、先日彼から受けた依頼――フリークス・クラフィティー討伐――の報告の為だけにわざわざ呼ばれた訳では無いだろうと、慈島は肩を張って、神室を見据えていた。
「いや、何。大したことではない。ただ、お前の口から直接聞いておこうと思って呼んだのだ」
報告書を適当に机に置くと、神室は組んだ両手の上に顎を乗せた。
視線の高さは此方が上だというのに、高い所から物を見るようなその姿勢に、思わず身が引き締まる。老いを超越した、心身共に漲るその強さをひしひしと感じさせるせいか。放たれる言葉は敢えて軽くされているというのに、指先一つ動かす事すら困難に感ぜられる重圧がある。必然、慈島の警戒心が働く中。神室はしれっと、彼が最も恐れていた場所へと踏み込む一言を発した。
「どうだ、”英雄の娘”――真峰愛の様子は」
神室に呼び出しを喰らった時から、この話が来ることを慈島は予想していた。
予想していながら、何の話かと尋ねたのは、彼がこれを回避したかった為に他ならない。
こうなると分かっていても尚、縋る気持ちを捨て切れない。その揺らぎを見透かしたように、神室の鋭い視線が慈島に突き刺さる。蛇に睨まれた蛙の如く、壁無き袋小路に置かれた慈島は、已むを得まいと深く息を吸った後、口を開いた。
「…………昨日から、学校に通うようになりました」
その一言で、神室の眉がぴくりと動いた事に気付かぬ慈島ではなかった。それでも、慈島は構わずに続ける。彼等しからぬ饒舌さで、本題を眩ませるように。
「母親を失った悲しみから、少しずつ立ち直ってるようで……徐々にですが、明るさを取り戻しています。今日も登校前に……」
「話をはぐらかすな、慈島」
だが、そんなものが通じる相手ではないのは、やはり分かり切っていた事だった。
「分かっているだろう。私が聞きたいのは、そういう話ではないのだと」
歴戦の獣めいた眼が、此方を見据える。些細な誤魔化しも偽りも、断固許可しないと物語る双眸に曝され、慈島は小さく息を飲んだ。
言い逃れは出来ない。だんまりで通せる場でもない。自分はただ、彼の質疑に対し、正しい答えを返すしかない。
悩むまでもない。抗った所で無駄なのだ。潔く、ありのままの現状を報告すればそれで良いのだから、そうすれば良い。そう囁く己の理知的な部分と、神室に間挟みにされても、慈島は賢い言葉を選ぶ事が出来なかった。
「お言葉ですが、総司令官……」
第一声からして反抗。それに神室は、静謐な怒気をその眼に漲らせたが、慈島は退く事なく、続ける。
「彼女は……真峰愛は、確かにあの”英雄”真峰徹雄の娘です。ですが……彼女は未だ普通の高校生です。その身に強大な能力を眠らせているとしても……今の彼女は非能力者であり、この戦いには無関係です。彼女に覚醒を迫る事も煽る事も、俺には出来ませんし……誰にもさせる心算はありません」
無駄骨承知で抗い続けているのは、これが慈島にとって最も譲れない問題であるが故だった。
FREAK OUTは、常に人材不足である。
セフィロトの加護を受けて能力に目覚める人間はごく一握りであり、更にその中から、フリークスを圧倒する戦闘力を有する者というのは、非常に少ない。だのに、相手は年がら年中引っ切り無しに、無尽蔵に湧いて出てくるのだから、それらと戦って命を落とす能力者が後を絶たない。
欠員が出来れば、それだけ穴が生まれ、其処に付け込まれる。そうなる前にと、FREAK OUTは次代を担う能力者の発見と教育に躍起になっている。故に、愛が神室に目を付けられてしまうのも、当然の事であった。
「例え彼女が、次の”英雄”となり得る力が秘められている可能性を有しているとしても……彼女が普通の女の子であり続ける限り、俺は、その平穏を脅かす一切の物を許しません」
神室は、期待しているのだ。”英雄”真峰徹雄の娘が覚醒し、”新たな英雄”として頭角を現す事を。
先の見えない戦いの果て、フリークスの巣窟と化した国土を奪還する為の強力な一手として、未覚醒――故に未知数である愛を、神室は、FREAK OUTは欲している。
だからこそ、慈島はこの話に触れぬよう、はぐらかそうと抗った。ようやっと取り戻しつつある、彼女の平穏と安らぎを奪われぬようにと。だから、余計な干渉を愛の暮らしを壊してくれるなと、慈島は神室に噛み付いたが、それで易々と引き下がる相手では無かった。
「……それが、お前なりの恩返しという訳か」
溜め息混じりに一言呟くと、神室はこの、誠実にして善良、故に非道な男を突き崩すさんと、揺さぶりを掛けた。
「その為に、多くの民間を救う可能性をみすみす逃しても……お前はそれで構わないと言うのか?」
FREAK OUTの力は、国と民を守る為にある。
己の死すら厭わず、命を擲つように戦う事こそ、FREAK OUTの美徳であり、正義である。この方針を倣い、理想で練り固められた姿勢を貫く事が出来る者など、ただでさえ数の多くない能力者達の中でも更に一握りだ。
その一握りに、奇しくもこの男、慈島志郎は当て嵌まっている。
弱きを守るべくあらゆる敵に立ち向かい、不条理に怒り、心から人々の為を想って戦う。そんな慈悲と誠意の心を持つ男。それが、慈島志郎だ。
もう少し、ほんの僅かでも運命に愛されていたのなら、彼もまた”英雄”の名を授かっていただろうに。
生まれからして”怪物”そのものである、この悲しい男は――。
「……彼女が出るまでもなく、俺がやります」
人のまがいものでありながら、人よりも人らしい心で、慈島は誓う。彼女を、この戦いに巻き込ませはしないと。
「例えそれが、鬼畜の所業と言われようと、人でなしと罵られることになろうとも……俺は、元より”怪物”です。この先何になり下がろうとも……俺は、彼女だけは守ると……そう、誓いました」
”怪物”と呼ばれ、”英雄”になれず。それでも腐る事なく、真摯に戦い続けた男が、唯一見せたエゴイズム。
自分を救い、進むべき道を示してくれた”英雄”に報いる為、彼は多くの命と恩師の娘を天秤に掛け、後者を選んだ。何とも身勝手で、非人道的な選択だ。その道を選ぶ事に、彼がどれだけ葛藤した事か、想像出来ぬ神室ではなかったが――。
「大した覚悟だ。流石は”英雄”の弟子だ。…………だが」
それでも、自分一人で全て背負い、全てを救ってみせる等という理想論を、神室は許す事は出来なかった。
「忘れるな慈島。”英雄”の娘である以上、彼女は無関係に成り切れない。いつか必ず来たるその時の、覚悟をしておけ」
彼は、FREAK OUT最高責任者。総司令官、神室岑尚だ。
神室の采配には、国と人の未来が懸っている。この終わりの見えない戦いに、僅かでも勝機を見出せる物があるのなら、それら全てを拾い上げ、手元に置き、あの忌まわしき悪徳の樹と化け物共に対する武力として、磨き上げておかねばならない。
例えその為に、誰かの人生を食い潰す事になろうとも。
「話は終わりだ。下がれ」
総司令官室を出た慈島は、喫煙スペースで煙草を燻らせながら、窓の外を眺めていた。
相変らず、外は清々しい程によく晴れている。この陽気なら、今日も今日とて学校に通っている愛も、心穏やかに過ごせているだろう。そんな事を考えながら、慈島はこの晴れ晴れとした空の下に潜む、無数の脅威に歯噛みした。
煙草のフィルターが擂り潰される程に強く歯を食い縛ったのは、己の無力さを嘆くと共に、怒りを覚えたからだ。幼気な少女すらも戦場に放り込もうとする神室の方針にでも、諸悪の根源たるクリフォトやフリークスにでもなく、彼女の為に何も出来ない己自身に、慈島は苛立っていた。
愛が覚醒するまでもなく、自分がフリークスを殲滅し、この戦いを終わらせてみせると言ったものの、それが簡単に実現出来ないことは、慈島自信がよく分かっている。フリークスを喰らい強くなるこの身を以てしても敵わないような相手が、かの地に跋扈している。容易に蹴散らす事で出来る相手にしても、この空の下、帝京の彼方此方にうじゃうじゃと湧いてくる為、倒しても倒してもきりがない。
こうして手を拱いている間にも、フリークス達は人々の平穏を踏み荒らし、命を脅かす。
自分がエゴを捨て、愛に覚醒を促せば、その惨劇に終止符を打つ事が出来るかもしれない。”英雄”の血を引く彼女が目覚めれば、多くの人が救われるかもしれない。だが、その為に愛に戦いを強いる事がどうして出来ようか――。
二つに一つしか選べない自分を呪いながら、慈島はより多くの犠牲を強いる道を選んだ。
誹られても良い。石を投げられても良い。何と引き換えにしてでも、自分は、彼女を護ると決めたのだ。もう、引き下がる事は出来ない。後悔も、しない。
灰皿に吸い殻を落とし、慈島は止めていた足を前へ進めた。
この身は最初から、人ではなかった。なれば、修羅の道を行くのがそれらしく、相応しいだろう。そう自らに言い聞かせて歩く”怪物”の背中は、身の丈に合わない十字架を背負っているかのように丸まっていた。