FREAK OUT | ナノ


眼を閉じて、息を吸い込む。

自分の細胞一つ一つを認識し、肉体に眠る力の全てを確めるように。取り込んだ酸素を、指の先にまで巡らせていくように。呼吸と鼓動を繰り返し、愛は集中力を高めていく。


――薄らと光が透ける暗がりの中では、誰もが一人だ。
だからこそ、自分をはっきりと認知出来る。

この体を動かす原動力。それを構成するもの。闇の彼方、幽かな明るみの中に浮かぶ、彼の姿。

そう、これが私の全てなのだと確認したところで、愛はゆっくりと目蓋を開いた。


<班実習ケースF・仮想戦地に於ける民間人救出ミッション。Aクラス第八班、出動まで五、四……>


見渡す限り、鈍色の空。黒煙を上げるビル群と、炎に飲まれた家々。
コンピューターグラフィックによって作り出されたものと分かっていても尚、息を飲むような景色を眺めた後、愛はスタート地点の下方向で蠢く有象無象に視線を向けた。


<三、二、一……>


視認出来るだけでも、相当な数だ。
だが、不思議と恐怖は無い。寧ろ、高揚感にも近しい胸のざわつきを感じる。

これが、始まり。”新たな英雄”真峰愛は此処から羽撃いていくのだと、高鳴る心臓に押し出されるように、愛は足場から飛び降りた。


<ミッション、スタート>


急降下。目まぐるしく移りゆく景色に身を任せ、真っ逆様に風を切る。

まるで、自ら死に向うようだと僅かに自嘲しながら、愛は黒光の翼を広げた。





「今回の実習は、ケースF。戦場に於ける民間人救出ミッションだ」


編入手続きを終え、正式に彩葉や蘭原の所属するクラスに配属されたその日の内に、クラスの担当教官――研本篤貴(とぎもと・あつたか)から実習内容が発表された。


班実習は大きく分けて二つ。RAISEの校庭を使って行われるもの、屋内の大規模訓練室を使って行われるものがある。

校庭で行われるのは小隊での基礎訓練。主に肉体・精神のストレス耐性や、体力強化と言った、非能力者の軍事機関で行われるものと凡そ似たような訓練内容だ。
屋内で行われるのは、より実戦に近い環境下での架空戦闘訓練がメインで、市街地や山間部、対岸地帯等、様々なフィールドで、疑似フリークスとの戦闘や追跡、陣地防衛といったミッションに臨む。

今回の班実習は後者。大規模訓練室での民間人救出ミッションが課題である。


「フィールドはフリークスの大群に襲撃された市街地。疑似フリークスが多数徘徊している戦場から、取り残された民間人役の人形を救助するのが目的だ。クリア条件は、人形を救護テントまで運ぶこと。よって、人形を疑似フリークスに著しく破損された場合、その場で即時失格とするので留意するように」


疑似フリークスは、FREAK OUT科学部が作り出した訓練用のクローン動物である。
様々な動物にフリークスの体細胞を埋め込むことで生み出されたもので、オリジナルの遺伝子を元に量産されている。

この疑似フリークスにもランクが存在するが、あくまで本物のフリークスに倣って付けたもので、同じ≪蕾≫ランクでも、疑似フリークスと実物のフリークスとでは大きな差がある。
元々、疑似フリークスは、フリークスへの対抗馬として作り出された生物兵器なのだが、実戦投入されることなく、訓練用に用いられるようになったのは、これに起因する。
とはいえ、フリークスの頑強さ、獰猛さを持っていることに違いは無く、知能も犬並みにはある。訓練用に躾を受けてこそいるが、油断すれば重傷を負い兼ねない相手だ。

RAISEでは、生死の淵に立たされる恐怖と、それを乗り越える度胸を付けさせることを目的として、疑似フリークスを実習に使用しているのだが、個人訓練中、ドローンを相手してきた愛は、疑似フリークスを交えての訓練はこれが初めてであった。

一度、こんなものがいるのだと指村に写真を見せてもらったことがあるが、緊張感を持たせる為とはいえ、あんな趣味の悪いビジュアルにしなくても……と眉を顰めた記憶のみ。
実際、疑似フリークスがランクごとにどの程度の強さを有しているか等は、これから調べて行かなければならないだろう。

そんなことを考えながら、愛は研本の説明の傍ら、ノートに班実習の攻略ポイントを箇条書きしていった。


「採点は、ミッションクリアで五十点。そこにフリークス討伐ポイント、クリアタイムポイント、その他行動点を算出し評価する。ではまず、フリークス討伐ポイントについて説明しよう。今回のミッションは、あくまで民間人の救助だ。よって、疑似フリークスと戦闘する必要性は無いが、疑似フリークスは倒した数だけ貢献値として加算する。
疑似フリークスのランクは≪種≫、≪芽≫、≪蕾≫の三種類。与えられる討伐点はそれぞれ、五点、十点、三十点だ。高ランクの疑似フリークス程、大きな討伐ポイントが与えられる。高得点を目指すなら、積極的に狙っていくといいだろう。尤も、高ランクのフリークスは数が少ない。≪蕾≫にもなれば、探し回っても中々遭遇することはないだろう。加えて、常々言っている通り、戦場では迅速な行動が求められる。救助を必要とする民間人がいるなら、尚のことだ。点稼ぎの為にフリークスを探し回っていると、クリアタイムポイントで大きな減点を食らうぞ。より良い評価を狙うなら、民間人救出の道すがら、速やかにフリークスを討伐していくことを推奨する」


実戦に近い訓練と謳っているだけあり、屋内での班実習では、精確・迅速・適切な行動が求められる。

今回のような救出系ミッションでも、討伐系ミッションでも、クリアまでに要した時間が、大きな加点・減点対象となる。
高得点を狙って疑似フリークスを倒すことに感けていれば、本末転倒ということだ。
あくまで討伐ポイントはボーナス点と捉え、研本の言う通り、民間人救出の傍ら遭遇したフリークスを倒せるだけ倒していく、というスタンスを取るのが一番だろう。

愛はフムフムと頷きながら「深追い・欲張り厳禁」「移動中に倒せるだけ倒す!」と、簡素なイラストと一緒にノートに書き加えた。


「行動点については、ミッション中の個人行動について加点・減点する。仲間の援護や、適切な状況判断など、ミッションクリアに大きく貢献するような行動を取った場合、幾らか評価に加算する。逆に、戦場であるにも関わらず軽率な言動を行った者、民間人を置いて逃げ出す等、FREAK OUTの本分に背くような行動を取った者は減点対象となる。これを訓練と思わず、本当の任務だと思って取り組むように」


此方については、真面目にやっていれば失点は無いだろうが、より高得点を狙うなら、意識するに越したことはないだろう。

ふぅと小さく息を吐きながら、これについても彼女と話し合った方がいいだろうと、愛は前の席で背を丸める彩葉を見遣った。


「実習内容説明は以上だ。これからフィールドの地形図や過去の実習記録などの資料を配るので、当日までに対策を練るなり、役割分担を決めるなりすること。それと、今回はスタート地点を三つ用意している。それぞれのプランに応じ、ミッションに有利な出発地点を選べ」


もう既に緊張しているらしい。資料のプリントを回してきた彩葉の顔色は、どうにも優れない。
愛は、微かに震える彩葉の手をプリントごと握り、面食らった様子の彼女にコクリと頷いてみせた。


――大丈夫。これから二人で、考えよう。


愛の意思は、言葉にせずとも彼女に伝わったらしい。彩葉は愛の手を軽く握り返し、ぎこちない笑顔を見せると、背筋を伸ばして前を向き直した。





それから三日間。愛と彩葉は如何にして高得点を稼ぐかについて、穴が開くほど資料を眺めながら考えた。


班実習に於ける班員の最大人数は四人。蘭原の班は、その上限マックス。彼と取り巻き三人で構成されている。
よって、頭数の差は二倍。相手の方がミッションの攻略は容易く、片手間に疑似フリークスを倒して稼げるポイントも大きいだろう。其処を補う為の策を、愛と彩葉は必死で考えた。

蘭原班より高得点を叩き出し、彼等の鼻を明かす為に。何より、今後の自分達の為に、と。愛と彩葉は持てる力、全てを注ぎ込み、班実習攻略に当たった。


「あいつら、マジで二人でやる気かよ」

「いくら”英雄”の娘だからって、足手纏いにしかならねぇ綾野井とじゃ、ろくな結果出せねぇだろ」


机と机を寄せ合い、資料を広げ、あーでもないこーでもないと策を講じる二人の姿に、蘭原の取り巻き達は些か呆れた。


蘭原班は、蘭原一人のワンマンチームではない。このクラスでも指折りの実力派が、三人ついている。
加えて、この班で熟してきた実習の数も相当なもの。互いの実力については熟知しているし、連携も取れている。

それが女子二人――しかも、一人は戦闘面についてはゼロどころかマイナス値の綾野井の、急造チームに負ける訳がない。勝敗は、既に決しているようなものだと、誰の目から見ても明らかだ。
だのに、ああも必死に、懸命に、掴めない勝ち星を掴みに掛かっているのを見ると、いっそ哀れに感じる。

取り巻き達は、教官に頼んで、今回のシチュエーションと似たような実戦のデータは無いかとまで尋ねに向かった愛と彩葉を横目で見遣りながら、憫笑を浮かべた。


「こりゃ、テキトーにやっても勝てるだろうよ。何せこっちには、蘭原さんがいるんだしよ」

「そうそう。いっつもテキトーにやってても高得点取れるんだから、張り合ってやる必要なんか……」

「お前ら、それ本気で言ってんのか」


が、彼等の笑みは、蘭原の突き刺すような声によって凍りついた。


「ら、蘭原さん?」

「……見てただろ、お前らも。真峰愛の、あの眼」


誰もが――無関係な他班の面々までもが蘭原班の勝ちを信じて疑っていないというのに。蘭原は至極真剣に、配られた資料に目を通し、高得点を稼ぐ最善の策を考案していた。

それはまるで、追い詰められた状況下で、死にもの狂いで生き抜く為の術を見出すかのように。蘭原は血眼になって、愛達から勝利をもぎ取らんとしていた。


「あの眼は、何をしてでも相手を食い殺すって眼だ……。綾野井と二人だからってナメてかかったら……お前ら、喉笛食い千切られんぞ」

「え……”英雄”の娘が相手だからって、そこまで警戒するこたないんじゃ」

「違ぇよ、ボケ!!”英雄”の娘だから、じゃねぇ……あれが、真峰愛だから警戒すんだよ!!」


さっきから、何を呑気にしているのかと取り巻き達に吠え立てながら、蘭原は机を叩いた。


両親共に優秀な能力者で、生まれながらに強者の素質を持ち合わせ、人の上に立つことが約束されていた。それが、蘭原琢也という男だ。

最初から全てを手にしていて、いつも期待と尊敬と畏怖の眼差しを向けられて、それに応えるかの如く、何もかも力任せに押し進めていく。そういう生き方しかしてこなかった――否。そういう生き方を出来たが為に、そうしてきた。

故に、彼は挫折を知らない。恐れを知らない。圧倒的な敗北も知らない。絶対強者である筈の蘭原琢也の生涯に、そんなものが介入することなど、ただの一度たりとて無かったのだ。


だが、食堂での一件で蘭原は初めて、自分が喰われるという感覚を知った。

あの時、愛に射竦められて、蘭原は本能的に悟ったのだ。蛇に睨まれた蛙。井の中の蛙。――そう、自分はこの鉢植えに君臨していた蛙で、目の前の相手はそれを飲む蛇なのだ、と。


「クソ!何が”英雄”だよ……。あんな眼……”英雄”がしていい眼じゃねぇだろ……クソが……」


堪え難い屈辱と同時に、今も尚、心臓が竦むような恐怖を味わされた蘭原は、我武者羅にならざるを得なかった。

彩葉がいるからと、二人ぽっちの班だと舐めてかかれば、自分は確実に喰われる。
舌なめずりしてくるそれを振り解き、今一度、自分が唯一絶対の存在である世界を取り戻す為に、手を尽くさなければならないのだと、蘭原は取り巻き達を睨み付けた。


「とにかく……手ぇ抜いた奴はぶっ殺すからな。お前ら、死にたくなかったら死ぬ気でやれよ」


蛙と自嘲しても尚、彼が井の中の王であることに違いはない。
その実力は間違いなく本物であり、本気を出した彼に出来ないことなどないと、そう思わせる実績もある。

なのに、どうして先刻までと同じように笑うことが出来ないのかと、強張った顔から笑みを消しながら、取り巻き達は実習の対策に臨んだ。


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