FREAK OUT | ナノ


「…………」

「眼が覚めたかい、慈島くん」


混濁した意識が、思考を取り戻す。


奔流に呑まれ、荒れ狂う波濤に揉まれた末、穏やかな岸に打ち上げられたような感覚だった。

甚振られた体はぴくりとも動こうとしない。痛みは無いが、酷く気怠かった。鉛のように重い肢体を寝具に横たえ、視線すら動かすことなく、慈島は呟いた。


「…………俺、は」

「寿木女史に刺され意識を失い、真峰くんと共に此処に運ばれた。傷はとうに癒えていたが、中々眼が覚めなかったのでな。私が診ていたという訳だ」

「…………そうだ、愛ちゃん……!」


瞬間、脳裏を過る情景に、慈島は跳ね上げるように上体を起こした。


寝ている場合ではない。彼女が――愛が倒れたのだ。

あの子は無事なのか。彼女が倒れた理由は何か。状況は、状態は。


火が点いたような焦燥感に煽られ、病室を飛び出そうとした慈島であったが、彼の体はその場で縫い付けられたように静止した。

この先へは行かせまいと、白縫が腕を伸ばした為だ。


「…………白縫、」

「……すまない。まだ君を、彼女の元に行かせる訳にはいかないのでな」

「それ、は…………」


その言葉の意味を問うより早く、慈島は思い出した。

何故、自分がこんな所に居るのか。それこそが、白縫が此方を阻む理由なのだと察すると共に、慈島は力無く寝具の上に腰を落とした。


(貴方が喰らうべきは、フリークスでしょう。なのに……なんですの、その顔)


愛が、血を吐いて倒れた。

何が起きたのかも分からぬまま、彼女を助けなければと駆け寄って、痩せ細った小さな体を抱き上げた時、自分は――あの日と同じことをしようとした。


(まるで、化け物そのものですわよ……貴方)


刃に映る自分の顔は、人とは呼べないものの形相をしていた。

牙を剥き、涎を垂らし、眼を光らせ、滴り落ちる血を啜り、柔らかな肉を貪らんとしていた。十年前、その身に流れる化生の血が目覚めた時と同じように。


「……俺は、この体が”怪物”に成り果てようと構わないと思っていた」


死の淵から蘇った後、己の出生を知った慈島は、この身がフリークスに近付きつつあることを受け入れた。

認めることなど出来ない。だが、半人半フリークスという異形個体(イレギュラー)が人として生きるには、人間性の喪失を前提にしてでも戦い続けなければならなかった。
人の為に戦う。それだけが彼の免罪符だったからだ。


戦う毎に、喰らう毎に強くなるなら、何れその身はあの巨大樹すら屠る武器となる。
その為だけに存在を許された特攻兵器。慈島は、その在り方を良しとした。

厭われ、疎まれ、蔑まれ、虐げられようとそれでも彼は、人を愛し、護りたいと、そう願った。その先に褒章も称賛も無く、自壊の果てに独り野垂れ死ぬことになろうとも。彼は人の為に生き、人の為に死のうと誓った。それなのに、だ。


「だが……体と共に、心まで化け物になって……いつか、人を喰うかもしれないことになるのだけは、堪えられない…………」


アクゼリュスを喰ったことで、未だかつてない力を得た感覚があった。

有象無象のフリークスを喰い続けたとて、決して辿り着くことの無い境地。同格のフリークスをあと二、三回喰らえば、あの樹に届き得ると確信出来た。

それ程までの強い力がただ贈与される訳もないと、腹を括っていた。深化に伴う自我や理性の焼失を覚悟していた。だが、それらは小さな波一つ立てることもなく、慈島の体は穏やかな湖畔のように凪いでいた。

激しい餓えも、身を焦がすような衝動も無く、吾丹場から戻ってからの慈島は以前と変わらぬ人間性を保ち続けていた。

だから、油断していた。自分は未だ人間として機能していると、思い込んでいた。
彼女の血に揺るがされた、その時まで。


「俺は、心だけは人でありたかった……。そう、なれると思っていた……。それなのに、俺は…………」


葛藤も躊躇いも無く、息をするように彼女に牙を剥いたことが、恐ろしかった。

何一つ感知出来ないままに自分は、焼け爛れた理性を捨て、獣に成り果てようとしていた。あそこに永久子がいなければ――間違いなく、彼女を喰らっていただろう。あの、夢のように。


「……一つ聞かせてもらおう、慈島くん」


へし折らんばかりに己の腕を握り締める慈島に、白縫は重々しく問い掛ける。それを明らかにすることが、彼と彼女を打ちのめすと予感していながら。それだけが慈島志郎という人間を申し訳程度に証明するが為に。


「君は此処に来るまで、誰かを食いたいと思ったか?こいつは美味そうだと、そう感じたことはあったか?今、此処に居る私に対しては?」

「…………それ、は」


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