FREAK OUT | ナノ


「うぉええええ」


トレーニング中に嘔吐するのは久しぶりだった。しかも、能力の反動ではなく、純然たる疲労からの嘔吐は初めての経験なのではないかと、愛は朝食を口にしてきたことを壮絶に後悔した。


「やだぁ、大丈夫?」

「だ、大丈夫です……嘔吐には慣れてるんで……おぇえ」

「嘔吐に慣れてること自体が既に大丈夫じゃないだろ」


アクゼリュス襲来まで、あと七日。早朝から始まった対アクゼリュスを想定した訓練の苛酷さに、心より先に体が悲鳴を上げた愛は、此処に師がいたのなら「昨日あれだけ大見得を切っておきながら、何だそのザマは」と心行くまで罵倒されたに違いないと項垂れた。

訓練開始の前に、愛の基礎ステータスを見る為の体力測定が行われ、其処から「腕の振りが甘い」「もっと腹筋に力を入れろ」と指導を受け、其処からもう一度やってみろの繰り返し。
流石、精鋭部隊は厳しいと思ったのも束の間。準備体操として設けられたトレーニングメニューの消化。息つく間も無い筋力トレーニングと有酸素運動の連続の後、ようやく訓練開始となったが、此処からが更に凄絶であった。

邦守が用意してきた複数の陣形、連携をその場で記憶し、過去の戦闘データを元に調整されたトレーニングマシンを相手に実践。
少しでも動きに乱れが生じれば中断し、最初からやり直し、全員が納得いくまで繰り返し。そうして完成されたフォーメーションも、これは使い物にならないと判断されれば、即座に次のパターンへ移行。
また、途中で新しいアイディアが出ればそちらの検証が始まり、矢継ぎ早に様々な動きを頭と体に叩き込まなければならない。


精鋭部隊とは、どの部署よりも酷烈な戦場に立ち向かうものである。判断の遅れ、統率の乱れが、即死に繋がる。そういう現場に最も立たされるからこそ、あらゆるパターンを想定し、対抗策を備えておく必要がある。

ジーニアスに求められるのは、そういう窮地にこそ発揮される強さであると邦守が説いたところで、愛の胃袋は限界を迎え、止む無く訓練は一時中断となった。


ちょうど、小休止を挟むのに適した頃合いなので、そのまま一時休憩の流れになったが、愛は眼に見えて落ち込んでいた。

自分が戦士として未熟であることは理解している。だからこそ、より研ぎ澄まされた強さを求め、ジーニアス入隊に奮起したが、今日の訓練を経て改めて、己の力無さを痛感させられた。
誰の眼から見ても、自分は足手纏いであった。陣形を覚えきれず、動きに常に迷いがあり、剰え、いの一番に音を上げて、訓練を中断させてしまった。

ジーニアスに入隊したばかり、ついこの間までRAISEの訓練生だった、なんて言い訳は口に出来ない。此処は、そんな言葉が罷り通る場所ではないし、何より、新人という肩書に甘える自分を、愛は許すことが出来なかった。


自分は、もっと強くならなければならない。もう二度と、己の弱さ故に、悲劇を引き起こすことが無いように。誰よりも何よりも、強くならなければならないのだ。

だが、理想は現実に歩み寄ってはくれないものだ。訓練さえまともに熟せず、こうしてトレーニングルームの端で膝を抱えている自分の不甲斐なさに、愛は深い溜め息を吐いた。すると。


「はい、ドーゾ」

「海棠寺さん」

「しっかり水分補給しないとダメよ。体の渇きは心の渇きに繋がるんだから」


差し出されたペットボトルと、厭味も気障っけもない爽やかなウインクを見せる海棠寺の顔を交互に見遣り、愛は頭を下げながらボトルを受け取った。


「すみません……その、皆さんの足を引っ張ったおまけに、お気遣いしていただいて……」

「気にすることないわよ。初めての訓練は皆こんな感じだもの。ね、改太ちゃん」

「其処で俺を引き合いにすんのやめてくださいよ〜。まぁ事実ですけど」


曰く、これはジーニアス登竜門の一つで、凡そ誰もが、此処で最初の洗礼を受けるという。

確かな実力と実績を持ち、己の強さにある程度の自信を持っていた新人達は、今まで以上に苛酷な訓練を前に心身共に一度折れる。
精鋭部隊に選ばれる程の強さが、精鋭部隊に選ばれる程度の強さになる。所詮自分は、井の中の蛙でしかなかったのだと、新入隊員達は思い知ることになる。

しかし、ジーニアスに選ばれる人間だ。此処で挫折し、異動を希望する者はとうに篩にかけられている。

己の実力不足を痛感した新人は、今の自分に足りないもの・必要なものを分析し、それを得る為に何をすべきか模索することで、自らを見直し、新たな力を得る。

これを目的に、ジーニアスでは新人加入後の訓練を平常より一層ハードなものにしているのだが、それを知るのは鍛えられる側から鍛える側になった時である。


「あの誠人ですら、入隊したばかりの頃は飯も食えない程度にへばっていたからな。そう落ち込むな、真峰」

「お兄ちゃ…………兄が、ですか」

「ああ。あいつは物凄い負けず嫌いで、同期にも先輩達にも負けないよう我武者羅になってたからな。時に気絶するまで訓練に没頭することもあったくらいだ」

「顔に似合わず激情家なのよねぇ、まこちゃんは。その辺り、RAISEの頃から変わってないみたいよ」


愛の知る兄は、何でも卒なく熟す人だった。幼い頃から要領が良く、勉強でもスポーツでも大抵のことはすぐに飲み込んで、身につけていた。
そんな彼が、汗水垂らして遮二無二努力する姿など、見た事がないし想像も出来なかったが、自分が知っていることなど、当てになどなりはしない。

家族でありながら、互いにただ一人の兄と妹でありながら、愛は誠人のことをまるで理解出来ていない。
優しかった兄が自分を蛇蝎視するようになってから――いや。きっとそれより前から、愛は誠人の本質が見えていなかった。だから、自分が彼に憎まれる理由も分からぬまま、今日まで平行線を続けている。

最早、血の繋がった他人以下である自分より、同僚であった邦守達の方が彼について知っているのは当然のことだと思えた。


「さて、休憩はこのくらいでいいだろう。午前の反省点と、午後の課題についてミーティングしたら、訓練再開だ」

「あ、待って!お肌のテカリだけ取らせて頂戴!すぐ終わらせるから!」

「愛ちゃん、大丈夫?もう少し休んでる?」

「いえ……お気遣い、ありがとうございます」


あの兄でさえ、死に物狂いでやってきたのだ。自分は、その何倍も努力しなければやっていけない。精鋭部隊の名を背負い、”英雄”を志すのであれば、一分一秒を研鑚に費やさねばと、愛は重い体に喝を入れる。


「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。午前の遅れ……必ず取り返してみせます」


今にも崩れ落ちそうな体を意地一つで支え、頭を下げる。その姿が、かつての彼と良く似ていたので、邦守達は僅かに面食らった。

顔付きも性格も似ていないが、間違いなく二人は血を分けた兄妹だ。それを知らしめるように、彼と同じ色をした瞳は煌々と戦意に燃えていた。


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