FREAK OUT | ナノ


赤い光が一閃。その閃きが消えると共に、血飛沫が上がり、やがて腸が零れ落ちる音と共に、フリークス――イグノランスが膝を付いた。


「馬鹿、な……この俺、が」


辺り一面に散らばるフリークスの死体。その一つと成り果てたイグノランスを、血走った眼で暫し見詰めた後、鬼怒川は長脇差を鞘に納めた。

それがスイッチを切り替える合図となって、それまで彼を狂奔させていたものが強制的にシャットダウンされていく。

同時に、酷い疲労感と受けた傷の痛みに見舞われたが、此処で倒れてなるものかと強く踏ん張って、鬼怒川は霞む意識をどうにか繋ぎ止めた。


「はぁ……はぁ……。クソ……やっぱり……≪蕾≫ともなると、楽にやられちゃくれねぇか…………ッ」


≪蕾≫ランク率いる軍勢を相手に、理性を完全に飛ばしきらず勝利出来たのは僥倖と言えよう。

とはいえ、第四の門を解放したのもあって、能力解除後の反動の重さは絶大だ。
狂乱状態にあった時は気にならなかった傷も、致命傷とまではいかないが、かなりの深手。戦闘開始から今までずっと限界を越えた動きを続けていた為、全身の筋肉も引きちぎれそうな痛みを訴えている。

これでも≪蕾≫を討てた対価としては些末な痛みと言えるのだろう。しかし、未だ吾丹場は戦場。
敵勢を牽引する十怪のカイツールが討たれるまで、此処を離れる訳にはいかないのだ。

例え満身創痍でも、其処に戦いがあり、守るべきものがあり、尽くすべきものがある以上、鬼怒川は止まれない。


鉛を纏ったように重い足を引き摺り、血を流す患部を千切ったワイシャツで縛り、輪郭のはっきりとしない視界を晴らさんと、返り血と汗に濡れた目元を拭い、鬼怒川は進む。


――早く、行かねば。今こうしている間にも、彼女は戦っているのだ。


あのカイツールを相手に、ボロ雑巾も同然の自分が何処までやれるかは分からない。だが、自分の中に僅かでも力が残されているのなら、行かなければ。

それは、彼女を救える、救えない以前の問題だと、鬼怒川が歯を食い縛りながら瓦礫の山を一つ一つ乗り越えていた時。


「キヌさぁーーーん!!」

「その声……蜂球磨か」


背後から迫り来る声と足音に振り向けば、其処には大きく手を振りながら、小走りで此方に向かってくる蜂球磨と、その後ろに続いて歩いて来る櫓倉姉妹の姿があった。

三人共、顔も体も泥や返り血に塗れ、あちこちに傷が見られるが、大事ないようだ。

フリークスが集中している海岸線を担っていたので、もしものこともあり得ると心配していたのだが、どうにか切り抜けてきてくれたらしい。
安堵感からか、眉の下げながらも明るい笑みを浮かべてきた蜂球磨に、鬼怒川も愁眉を僅かに開き、小さく息を吐いた。


「よかった……そっちも終わったんですね」

「ああ……海岸線も、どうにかなったみてぇだな」

「侵入を試みるフリークスは、概ね撃退しました」

「後のことは海岸防衛拠点担当に任せ、此方に」

「そうか……」


大事ないとは言え、三人もかなり手負いだ。

過度に能力を使った為か、蜂球磨は片腕が殆ど上がらず、手も紫色に変色している。櫓倉姉妹も、縁の方は足をやられたのか緑に肩を借りている状態。緑の方は顔に攻撃を受けたのか、頭部の左半分を包帯で覆われ、見るも痛ましい。


それでも、彼等が海岸線から離脱し、市街地まで戻って来たのは、恐らく自分と同じ想いからだろう。

未だ煙る吾丹場の空を一瞥し、鬼怒川は、傷だらけの部下達に敢えて手厳しい言葉を選んでかけた。


「ご苦労だった、と言いたいところだが……未だ仕事が残ってることは、お前らも承知してこっちに来てるよな」

「ええ……俺達も見ての通りボロボロなんで、カイツール相手に秒殺されるかもですけど」


既に満身創痍の人間が助太刀に向かったところで、壁にもならないかもしれない。最悪、足を引っ張ることになるかもしれない。此処で座り込んで、結末を待ち続けるのが賢明だろう。

だとしても、指を咥えている間にも彼女が必死に戦っていることを思えば、粘つく泥を纏ったように重い足も、自然と前に出る。

死地に向かっていることが分からないのかと、他人のような自分に囁かれても。
今此処で彼女の為に戦えないのなら、自分に生きる意味など無いのだと、蜂球磨は心臓を突き刺すように、胸に親指を立てた。


「でも、美郷さんが頑張ってるんです。俺も、最後の最後まで足掻いてもがいてみせますよ」


今も、この胸の中には彼女に救われた日のことが鮮やかに焼き付いている。

混み合う駅の中、暴れ出したフリークスに呼応するかのように覚醒し、その力を目の当たりにした周囲の人間から、お前も化け物なのではないかと疑われた時。人混みを掻き分け、その真ん中で孤立していた自分に手を差し伸べてくれた。


あの時、彼女の優しい声が、柔らかな微笑みが、握られた手の温もりがあったから、自分は今こうして、此処にいられる。

それがこの命を懸ける理由なのだと、恐怖を噛み砕くように歯を見せて笑った蜂球磨であったが。


「「何格好付けてるの、蜂球磨のくせに」」

「いっでぇ!!」


強がりを見透かされたのか、櫓倉姉妹に背中を叩かれ、蜂球磨はビィンと背筋を伸ばした。

ちょうど傷を負ったところを打たれたのか。大した力で叩かれていないにも関わらず、蜂球磨は痛い痛いと声を上げるが、騒ぎ立てる元気が残っているならそれでよしと、櫓倉姉妹は彼に負けじと真っ直ぐに背を伸ばし、誓いを立てるように申し出た。


「副所長、私達も行きます」

「相手が十怪だろうと、其処に所長がいるのなら」

「「それが、私達の戦う理由です」」


文句の一つ二つ言ってやらねば、という顔をしていた蜂球磨は、彼女達の言葉を受け、口をぐっと横に伸ばすように噤み、改めて背筋を質した。

やり方はともかく、気合いを入れられたのだ。ならば、此処で水を差すような真似はしないでおこうと、蜂球磨は櫓倉姉妹と共に、迷い無き顔で鬼怒川を見遣る。


「行きましょう、キヌさん」

「「私達、覚悟は出来てます」」


それは、彼女の為に命を賭す覚悟であり、彼女の為に生き延びようとする覚悟でもあった。


悪徳の樹が消え去り、全てのフリークスが根絶されるその日まで戦いは続く。その果て無き道を行く彼女の盾となる為に命を懸け、剣となる為に生を勝ち取ろう。

それこそが自分達の存在意義であると、曇り無い眼で語る蜂球磨達に、鬼怒川は口角を上げた。


「……そうと決まれば、こんなとこでチンタラしてられねぇな」


彼等が心から、彼女の為に戦おうと言うのなら、何も躊躇うことはない。

共に傷だらけの体を引き摺って、みっともなく足掻いてみせよう。全ては、我等が”聖女”の為に。


そう誓い合うように笑むと、鬼怒川は先程よりもぐっと軽くなった足で、いざ彼女の元へと踏み出した。


「行くぞ、お前ら!第五支部栄枝事務所の底力、十怪に見せてや――」

「き、鬼怒川副所長!!」


が、その歩みは、駆け付けて来た偵察役の所員達によって止められた。


「よかった……皆さん、ご無事だったんですね」

「あ、ああ……。どうした、お前ら。そんな面して」


所員達の顔は、凡そこの状況下には相応しない、酷く明るい色をしていた。

まるで、重責から解き放たれ、燦々とした希望を浴びたような。
そんな面持ちの所員達を訝りながら、もどかしげに足踏みしていた鬼怒川達であったが、これ以上とない喜色に彩られた言葉に、彼等は揃って硬直した。


「こんな顔にもなりますよ!!」

「やったんです……。彼女が……真峰さんが、カイツールを倒したんですよ!!」

「な――」

「そ、それマジで言ってんの?!」

「冗談でこんなこと言える訳がないでしょう!!本当の本当です!!」


俄かには信じ難い。だが、所員達の言う通り、こんなことを冗談で言える訳もなく。彼等の様子からするに、カイツールが倒されたというのは事実に違いあるまい。
鬼怒川達は、行き場を無くした闘志が急速に燻っていくのを感じながら、拍子抜けして崩れ落ちてしまいそうな体で、どうにかこうにか立ち尽くした。


腹を括り、勇んだ傍からこの展開。不謹慎だが、妙に呆気ない終わりだと感じてしまう。

強大な絶望を打破し、勝利を掴み取ってくれた愛に対し感謝すべきところだというのに、どうにも不完全燃焼でいけない。

素直に喜びきれない自分を宥めねばと、無理に笑みを作ったりしてみたが、頬は引き攣るばかり。
それでも、徐々に勝利の喜びは浸透してくるもので。鬼怒川達は、安堵感に屈するように、その場に座り込んだ。


「所長は……栄枝所長は無事か?」

「勿論、ご無事です!現在所長は、真峰さんを救護班に任せ、避難シェルターに向かわれています。市民達の不安をいち早く取り除いてあげる為に、カイツール討伐成功の報告と、今後の指示をしてくるとのことで……。負傷者は救護テントで治療を。動ける所員は引き続き、市内に潜伏している眷属達の討伐や、生存者の探索をとのことです」

「……そうか」


何はともあれ、栄枝が無事なら、それで十分だ。

自分達が消化不良に終わったのも、ある意味最良の結末と言えよう。
増援が来るまでもなく、カイツールを討伐出来たということは、愛と栄枝にとっても、自分達にとっても幸いなのだ。

だから、多少の遣り切れなさは笑い飛ばしてしまおうと、鬼怒川は苦笑しながら、ズボンのポケットから煙草を取り出した。


「……本当に、終わったんだな」

「なんか、妙に呆気ないっていうか、物足りないっていうか……」


そう言いながら肩を竦めた蜂球磨に、今回ばかりは労ってやろうと、鬼怒川は一本、煙草を差し出した。

喫煙頻度が少ない為、基本もらい煙草で済ませている彼のことだ。銘柄はこの際、何でもいいだろう。
案の定、蜂球磨は有り難そうに煙草を受け取り、ついでにライターも貸してくれとジェスチャーでねだってきた。

副流煙を嫌う櫓倉姉妹は、戦いで痛んだ肺に毒を送るような真似をするなと盛大に眉を顰めてくるが、こんな時こそ紫煙に慰めてもらうに限るのだと、鬼怒川は咥えた煙草に火を点けると、蜂球磨にライターを投げ渡した。


「これだけ吸い終わったら、行くぞ。まだまだやることは山積みだ。体力が有り余った分、働かねぇとだ」

「……そうっすね。美味しいとこは持ってかれちゃいましたけど、寧ろ此処からが大変っすからね」


未だ、夜は深い。

暗がりに映える白い煙を眺めながら、鬼怒川は重い腰を上げ、避難シェルターの方へ向き直した。


(俺も、すぐに向います。所長)

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