FREAK ICE | ナノ


彼女の日常は平穏だった。


父親は、顔を覚えぬ内に別れ、母親は自分を過去の産物として捨て置き、行く宛のない身は、田舎の祖母に引き取られた。

人はそれを悲惨な過去と言うが、それでも、彼女の暮らしは穏やかで、幸せに満ちていた。


それは、祖母がとても優しい人であったからだろう。

祖母は自分を大層可愛がってくれたし、両親に見放された悲しみに暮れることさえ忘れるくらい愛情を注いでくれた。
友達も、そう多くはないが心から信頼出来る人が出来たし、近所の人も優しい人が多かった。
田舎での生活を不便に思ったこともなかったし、彼女の暮らしは満ち足りていた。


祖母が病に倒れる、その時までは。


(ごめんね、深世ちゃん。おばあちゃん……もう、長くないんだって)


祖母は努めて明るく振る舞っていたが、その病状が重いものだということは、目に見えて明らかであった。

元より小柄だった祖母の体は、更に一回り縮んで、細かった腕も、本当に骨と皮だけになって。それでも祖母は、病に蝕まれた体の痛みを堪え、しわくちゃの顔で微笑んだ。残される孫を不安にさせまいと、彼女は必死で抗っていたのだ。


(深世ちゃんのこと……お父さんにもお母さんにも頼んでみたんだけど……断られちゃって。でも……深世ちゃんを一人には出来ないから、おばあちゃん、色んな人に頼んだの。そしたらね……深世ちゃんの後見人になってくれるって人が一人だけ見付かったの)


元々、各地を盥回しにされかけたところを、此処に預けられたのだ。そんな彼女を、今更引き取ってくれる人間などいないと思われていた。

ところが、駄目元で各所に電話を掛けまくった結果、彼女の前に蜘蛛の糸が一つだけ垂らされた。

それは、あまりにも想定外で、あまりにも不透明な――何も考えず掴み取るにはあまりに危うい希望だった。


(一応、お父さん方の親戚……ううん。お父さんと、前の奥さんの息子さんで……深世ちゃんにとっては、お母さんが違うお兄さんなの。……お父さんが、妹の面倒をみてくれって連絡したみたいでね。その件で色々あったみたいだけど……深世ちゃんのこと、引き取ってもいいって言ってくれて)


腹違いの兄がいるという事を、この時、深世は初めて知った。

後から聞いた話によると、彼自身も、腹違いの妹がいることを父親から聞いて初めて知ったそうで。
そんな相手の後見人になることについて、それはそれは揉めるだろうと思われたが――存外あっさりと引き受けたらしい。

曰く、深世を引き取ると決めたのは父への当て付けとのことで、当たり前と言えば当たり前だが、顔も見た事のない腹違いの妹に対する情からではないとのことだが、彼の態度は極めて誠実で。故に祖母も、深世を任せられると判断したのだが、これが手放しで喜べる事態でもないらしいということは、彼女にも察しがついた。


(この間、此処に来てくれてね。少しお話したんだけど……とてもいい人だったわ。でも……深世ちゃんは会ったこともないし、歳も離れてるし……何より、その人ね、FREAK OUTの人なの)


嘉賀崎に住んでいるというその男は、深世とは歳が一回りも二回りも離れている。異性というだけで気まずかろうに、歳も離れているとなれば、不安にもなるだろう。加えて、件の男はFREAK OUTという。

侵略区域から攻め入ってくる化け物――フリークスと戦う、人を越えた力を持つ能力者。常に死と隣り合わせの世界に生きる彼と暮らすということは、かなりの危険性を孕んでいると見てもいいだろう。

祖母が憂慮していたのは、そこであった。


(だから……深世ちゃんが不安だなって思ったり、怖いなって思うなら……無理にとは言わないわ。他にも深世ちゃんのこと引き取ってくれる人がいないか……おばあちゃん、探してみるから)


だが、他に自分を引き取ってくれる人間などいないだろう。どれだけ親戚中を当たっても、知り合いに頼み込んでも、子供一人請け負ってくれる人というのは、そう簡単に見付かるものではない。犬や猫とは違うのだ。

施設に入ることになるか、此処で一人になるか。そのどちらかしか、残された道はない。


(どう、深世ちゃん。深世ちゃんは……どうしたい?)


それでも、祖母は最後の最後まで、孫の後見人を探すだろう。病で痛む体を動かし、息も絶え絶えになりながら。孫を託す場所を求め、彼女はもがき続けるだろう。


(…………私、は)


だから、深世は望んだ。祖母が苦しむことなく、安心して逝けるように、己の鬼胎を押し殺すことを。住み慣れたこの地から遠く離れた街で、顔も名前も知らない兄のもとで生きていくことを。


そうして、自らの心を凍らせ、嘉賀崎で暮らすことを選んだ深世であったが、其処には彼女が思い描いていたよりもずっと、穏やかで温かな世界があった。


(大丈夫。お前はもう、一人じゃない)


何も憂いることはなかった。此処には、自分を家族として傍に置いてくれる人がいて、孤独に凍えるようなこともなくて。ただただ毎日が幸せで、罰が当たりそうなくらい幸せで。父と母の幸福を壊した自分が、こんなにも心穏やかな日々を過ごしていいのかと後ろめたくなることもあった。

それでも彼が、これが当たり前のことだと言ってくれたから、きっとそうなのだろうと騙し騙し息をしてきた。
けれど、やはり自分には過ぎたる幸福だったのだなと、深世は思い知らされた。


母の形をした化け物が、クラスメイト達に牙を剥く惨劇の中で。

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