FREAK ICE | ナノ


誰かに手を差し伸べられる人になりたいと、強く願った。


(大丈夫。お前はもう、一人じゃない)


迷惑にならないよう、疎まれないよう、自分の心を凍らせた。

涙を流してしまったら、不愉快に思われてしまうから。気に障るようなことをしてしまったら、また、捨てられてしまうから。

だから、全然大丈夫だと無理に笑ってみせた私に、あの人は言ってくれた。


(忌み嫌われるかもなんて思わなくていい。捨て置かれてしまうかもなんて考えなくていい。誰かの為に、自分の為に、一人で凍える必要なんてない)

(お前の傍には、俺がいる。母親は違うが……俺達は、互いにたった一人の兄と妹だ)

(だから、泣きたいなら好きなだけ泣け。お前には……”帝京最強の男”がついている)


そう言って、大きな手を差し伸べてくれた彼のようになりたいと思った。


わあわあと大声を上げて泣いたあの日からずっと。私は、兄のように誰かを救う為の強さが欲しいと、そう願い続けていた。






「……よ…………深世!」

「ほへぁっ?!」


盛大に肩を跳ねさせ、素っ頓狂な声を上げたところで、突き刺さる周囲の視線に気が付いて、深世は立て掛けたままの本で顔を隠した。


――図書館ではお静かに。


子供でも知っているルールを、無意識的にとはいえ破ってしまうとは。申し訳なさと気恥ずかしさで死にそうだと項垂れる深世の肩を小さく揺らしながら、茉子は何事かと問い掛ける。


「ちょっと、大丈夫?ぼーっとしちゃって……もしかしなくても、熱中症?」

「う、ううん。ちょっと考え事してただけだから」

「考え事?……ああ、もしかして進路希望のこと?」


そういえば、そんなものもあったなと思いながら、深世はやんわりと頷いた。


先日、終業式後のホームルームで担任教師から配られた進路希望調査票。夏休み中の面談日までに、第一、第二志望の学校名を書いて来るようにと言われたその書類は、未だ手付かずのまま。

自分の面談日は来週になるので、余計なことを考えている場合ではないなと、深世は誰に咎められた訳でもないのにバツの悪そうな顔をしながら、読書感想文の為に借りようか否かと眼を通していた本を閉じる。


「深世は第一志望、何処にするの?」

「んんー……私としては御田高校受けたいなって思ってるんだけど、お兄ちゃんが私立のがいいんじゃないかって」


学期末に配られた通信簿の成績は、可も無く不可も無く。しかし、やはり数学が非常に微妙なところであったが為に、先日、雪待が金鳳学園のパンフレットを貰ってきた時のことを思い出し、深世は一層顔を暗くした。


「でも、私立は学費が凄いって聞くし……しかも金鳳女学園だよ?私みたいな田舎の芋、絶対浮くに決まってる……」

「確かに。金鳳って帝京でトップクラスのお嬢様学校だもんね。あそこ、挨拶が『御機嫌よう』で、校内に送迎車用の駐車場があるらしいよ」

「うう……自転車通学とかしたら射殺されそう……」

「金鳳行ってまでチャリ通って逆にメンタルすごくない?」


絢爛たる学舎、高貴なる校風、気品溢れる生徒達。何れも写真で見るだけでも圧倒され、三年間通うことを想像するだけで慄いた。

山と畑に囲まれた、長閑さを絵に描いたような田舎で暮らしていた自分が、帝京有数のお嬢様学校に通うなど、無理だ。私のような庶民がいてごめんなさいと毎日勝手に肩身の狭い想いをするに違いない。

他にも私立学校はあるのだし、せめて金鳳学園以外で……と訴えてみたが、兄は「それなら死ぬ気で勉強するんだな」と言って、まともに取り合ってくれなかった。


彼がそうも金鳳学園を推奨してくるのは、近場で、契約能力者が駐在していることが大きいが、同時に深世の貧乏性の矯正を狙っているらしい。

その出自のせいか、深世は何かと遠慮がちで、自分の為に金銭が発生することに罪悪感を覚える性を持つ。衣食住、全てに於いて最安値で構わないと常に腰を低くして生きる深世に対し、雪待はそろそろ荒療治が必要だと思い、いっそお嬢様学校にでも入れてみるかという考えに至ったとのことだ。


とはいえ、最優先すべきは深世の意見だ。彼女が市立を望むのであれば、無理に金鳳学園に入れようとまでは思っていない。その上で雪待が金鳳学園を推すのは、成績が落ちたらお嬢様学校の刑に処されると、深世が必死に勉強するだろうとの考えだ。要するに、脅しである。

これが愛の鞭というやつなのだろうと、兄の意地悪い優しさを噛み締めながら、深世が溜め息を吐いた、その時。カウンターの方へ歩いて行く黒いセーラー服姿の美少女に一同は、まるで時が止まったように見入った。


「…………見た、今の?」

「見た。やばい、マジでモノホンのお嬢様だ」


やはり、噂をすれば影だ。墨の川のような黒髪を靡かせながら、ハードカバーの書籍を持って優麗と歩く少女は、金鳳学園の生徒だった。


制服に定評のある金鳳学園だが、夏服も非常に魅力的であった。

ワンピースタイプになったセーラー服は、スカートは踝丈から膝下丈に。襟部分は黒地から白地に、袖のラインとリボンも白に変更され、冬服と比較して全体的に涼やかに様変わりしている。
一度は着てみたいという憧れを抱かせる可愛らしさだが、同時に、あの制服を着こなせるのは本物のお嬢様だけだろうという諦念に見舞われる。

擦れ違い様、此方の視線に気が付いたのか。小さく微笑んで会釈してきた少女が、人形のように整った顔立ちをしていたせいかもしれないが、深世も茉子も、自分にはとてもあの制服を着こなせないなと嘆息した。


「なんていうか、オーラが違ったよね。なんか超ノーブルって感じだったし、めちゃくちゃいい匂いした」

「……やっぱり、金鳳は心臓に悪いからやめようかなぁ」

「それがいいかもね。人間、適材適所ってものがあるよ、うん」


真のお嬢様というものを目の当たりにして、深世はひしひしと感じた。美しい薔薇が咲き乱れる花園に、芋が紛れ込んではいけないと。


些か不安ではあるが、やはり第一志望は御田高校にしよう。

兄にそう告げれば、家庭教師をつけられることになるだろうが、金鳳学園に通う学費に比べれば、家庭教師代の方が圧倒的に安いし、三年間息苦しい想いをするより、あと一年と少し頑張った方が良いだろう。

決意を固めさせてくれた名も知らぬ女生徒に感謝しながら、深世が次の読書感想文候補の本を手に取ると、既に本選びに飽き始めていた茉子が、頬杖を突きながら隣を見遣った。


「成績足りないの、数学くらいなんでしょ?だったら、教えてもらいなよ。同じ御田志望だし、数学強いもんね、仁奈ちゃんは」


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