霊食主義者の調理人 | ナノ

生まれつき、俺の目には所謂、霊というものが視えていた。


「かーちゃん、じーちゃんが仏壇の飯変えろって」

「あら、やだ。すっかり忘れてたわ」


別にそういう家系という訳ではない。
親父は普通のサラリーマン、お袋も普通の専業主婦。仏壇の飯がカピッカピになってご立腹していたじいちゃんも普通の大工だったし、老人会でブラックジョーク川柳を量産しているばあちゃんも以下略。
この普通だらけの血筋の中、俺は突然変異とも言える霊感を持ち合わせて生まれたらしい。物心ついた時から俺は霊の存在を当たり前のように感知し、時たま周囲を騒然させたりしながらも、まぁ穏やかに暮らしてきた。

現代社会に於いて、霊なんてファンタジーなものは、実在しないというのが当たり前の解釈だ。そんなものが視える力など、社会では異常で異質で、何の役にも立たないどころか、冷めた眼で見られる余計なアビリティなのだと、わりと早い内から判断していたお陰である。もし小中高と全力で霊感キャラとして振る舞い続けるような真似をしていたら、今頃俺は部屋の中に閉じ籠っていたに違いない。自らの適応力の高さに感謝だ。

そんなこんなで、一つのイレギュラーを抱えている以外は平穏そのものだった筈の俺の人生は、クソとしか言いようのない会社に就職したことで激変した。


「お前なぁ、この程度のノルマもこなせないで『帰りたい』なんてよく言えたなぁ?」

「仕事が終わらないのは、お前の手際が悪いからだ!! 残業したくないなら、てきぱき働け!!」

「手当てが出ていない? 残業は、お前の都合だろ? どうして会社が金を出さなきゃならないんだ」


真面目に就職活動に取り組んでいたつもりだったのだが、不景気極まりないこのご時世、幾つもの面接を経て俺が辿り着いたのは、ばあちゃんの川柳より真っ黒な、ザ・ブラック企業。
そこで二年ばかし、奴隷の如くこき使われた果て。肉体も精神も限界を迎えた俺は、上司の顔面に辞表を叩き付けて、会社を飛び出した。

再就職先の目星など付いてもいなかったが、あれ以上あそこにいれば俺は、確実に人一人くらい殺していただろう。殺人の罪を犯して刑務所にぶち込まれるより、無職の称号を携えたまま、また無限地獄のような就職活動に挑んだ方がきっとマシだろうと。そう死に腐った心に言い聞かせながら、ハローワークに向かっていた道すがら。


「き、君! ちょっといいかな?!」


如何にも胡散臭い雰囲気の男に大慌てで声をかけられ、退魔師にならないかとスカウトされた俺は、これまで視えないフリをしてきた世界へ、自ら踏み込む道を選択した。





 
「…………」

「ワン」


昔の夢だと思っていたのは、どうやら走馬灯だったらしい。
やたら息苦しく、命の危機を感じる程度に体が重いと、眠りから覚めた伊調が目にしたのは、まるで邪気のない犬の顔だった。


「……いや、ワンじゃねーよ。なんだお前」

「ワン」

「だからワンじゃなくて……うぐっ!? ちょ、腹に体重かけるのやめ……」


よく手入れされているのだろう、見事なまでに真っ白な毛並みが、ぬっと迫ってきたかと思えば、顔を好き放題舐め回される。
犬は親愛の証として顔を舐めてくるというが、そんなことを喜んでいられる状況ではないと、伊調は犬を引き剥がさんともがいた。

相手が小型犬だったら、顔が涎まみれになってしまったハハハで済ませられたが、伊調の上に乗っかってきているこの犬は、大型どころか超大型犬である。伊調は犬の種類について詳しくはないので知らないが、この犬はグレート・ピレニーズ。山岳地帯で、羊飼いの護衛犬として活躍し、熊や狼と戦ってきた超大型犬だ。
そんなものが無遠慮に体の上に乗っかって、大きな足で鳩尾に体重をかけてきているこの状況。朝は弱い方の伊調も、流石に呆けていられず。渾身の力で犬をどけようと足掻くが、犬の方は構ってもらっていると思ったらしい。一層勢いを激しくしながら、伊調に襲いかかって――もとい、じゃれついてきた。


「ワンワン!」

「っだー! やめろやめろ!! 髪の毛食うんじゃねぇ!! つーかマジで重てぇな、お前! 何食ったらそんなでかくなんだよ!!」

「ワンワンワン!!」

「あああああ、だから髪を食うのはやめろって言ってんだろうがああああ」


犬からすればお遊びなのだろうが、このままではヤバい。主に、頭髪が。

伊調は、力任せに圧し掛かってくるこの犬から、どうにか距離を取らねばと必死に抗った。すると。


「ガストロ、その辺にしておきなさい」


怒濤の勢いで迫ってきていた犬が、ぴたりと止まった。

まさに鶴の一声。ただの一言で場を納めた可憐な声のした方へと、伊調は涎まみれの顔を向けた。


「貴方は、彼を起こす為に来たんでしょう。遊んでもらう為じゃなかった筈よ?」

「くぅーん」


窘められ、すっかりしおらしくなった犬――どうやら、ガストロというらしい――を撫でるその人を見て、伊調はようやく現状を把握した。


「でも、お寝坊さんにはいい着付けになったみたいね?」

「……すみません」


やや棘のある言葉と、毒気を含んだ笑顔。本当に、子供らしくないなと尊敬の意を込めた溜め息を吐きつつ、伊調は後頭部をぼりぼりと掻いた。


「おはようございます、お嬢」

「おはよう、伊調。もう、朝食の時間よ?」



 
悪霊調理人デビューから一夜明け、配属二日目の朝。改めて、とんでもないところに来たものだと辺りを眺めながら、伊調は緩慢な足取りで廊下を行く。


調理人として住み込みで働く、と言われた時から何となくイメージしてはいたが、神喰家は途轍もなく大きく立派な屋敷であった。

石作りの壁、白い窓、深い緑の屋根。クラシカルな二階建ての立派な洋館。豪邸を絵に描いたような屋敷は、内部もその外観に恥じぬもので、家にいるというかホテルにいるような気分だと伊調は豪奢な洗面所で眼を細めた。

伊調に割り当てられた部屋も、置いてある家具は最低限且つ他の部屋に比べてシンプルな物であったが、それでも椅子一つだけでかつての給料一ヶ月分はあるだろう。
そんな物に囲まれての暮らしなど、とても落ち着けたものではないと、床に就くまでは思っていたのだが。


「昨晩は、よく眠れたみたいね」

「あちこち回ったんで疲れたんですよ。俺はお嬢みたいに若くないんでね」


初仕事のポルターガイスト退治を無事に終えたかと思ったら、其処から三件梯子して、羽美子がそれなりに満足したところで屋敷にご案内……かと思いきや、急な依頼が舞い込んできたとUターン。結局、一日で五体もの悪霊を調理することになり、その疲労で伊調が寝付くのは非常に早かった。

如何にも高そうなベッドの寝心地の良さも合っただろう。お陰で、ついうっかり寝過ごしてしまったと、伊調は欠伸を噛み殺す。
そんな彼の横顔を見遣りつつ、羽美子はまた、少女らしからぬ気品溢るる笑みを咲かせた。


「ごめんなさいね。久し振りにいい食事が摂れたもので、ついはしゃいでしまったの」

「……いい食事、ねぇ」


彼女が、世にも珍しい……というか、後にも先にもこの世にただ一人の霊食主義者ということを踏まえても、昨日彼女が口にしたものがそんなにいいものとは思えず、伊調は顎を擦った。

悪霊に味の良し悪しがあるのか。調理したことで変わり映えするのか。

立場上は調理人だが、悪霊の味見など出来ないので、伊調にはその辺がさっぱりであったが、何より、”久し振り”というのが引っかかった。


「お嬢、俺が来るまで何食ってたんだ? いや、霊ってのは分かってるんだが」


普通の食事も普通に摂れるからには、今日まで餓えるということもなかっただろうが。霊食主義者を自称するのだから、恐らく伊調が来るまでの間も何かしらの形で悪霊を食べていたのだろう。

ただ、視えないものをどうやって口にしていたのか。それが気になるのだと問い掛ける伊調に、羽美子は眉を下げて答えた。


「言うなれば、霊の闇雲フォーク刺しね」


思い返して、うんざりしたような面持ちで、羽美子は袖口から霊餐のフォークを取り出した。


神喰が使う唯一にして最大・最強の《討霊具》、霊餐のフォーク。これに当たったが最後。刺し貫かれた悪霊は一口大にまで圧縮され、腹の中に納められるという末恐ろしい道具だ。
何でも、数代前の神喰当主が退魔師教会のみならず、世界中から《討霊具》技師を集め、莫大な資金を投じて作らせた一品ものとのことで。これ一本で、屋敷と家具を合わせても足りない程の値があるという。

そんなものを手遊みに弄りながら、羽美子は伊調が来るまでの日々の食事が如何なるものであったかを、身振り手振り語る。


「視えないけれど其処にいる。ならば当たるまでと、アトランダムにフォークを突き出して、ぱくり。勿論、視える人を傍に置いていたけれど、ナビがあっても実際目に見えないものを追うのは骨が折れたわ。お陰で、霊を食べるまでにすっかりお腹が空いてしまって、食べても食べても殆ど満たされなかったわ。《霊装》もついたままだから、味も今一つだしね」

「はぁ……成る程」


何となく羽美子の言っている意味が分かって、伊調は腑に落ちたと息を吐いた。

羽美子にとって《霊装》がついたままの霊というのは、皮つきの野菜や果物、捌かれていない魚のようなものなのだろう。
調理されていない悪霊は、彼女からすれば原材料ままも同然。それを、フォークに突き刺してそのまま丸かじりしていたのだ。それを思えば、成る程。昨日の食事は素晴らしいものであっただろう。

しかし、それなら普通の食事を摂っていればよかったのではないかと、伊調が視線を下ろすと、羽美子がにっこりと眼を細めて笑んできた。


「だから私、貴方にはとても感謝しているのよ、伊調」


初めて見た時、彼女の整った顔立ちを「人形のよう」と喩えた伊調だが、羽美子は人形と違い、ころころと表情をよく変える。
その殆どは子供らしからぬ、どこかシニカルなものばかりだが。生きた人間らしい豊かな表情は、ただ美しいだけの人形よりもずっと、心臓に悪かった。


「昨日、貴方が振る舞ってくれた悪霊は、どれも料理として昇華されていた。貴方のように優秀な調理人が来てくれて、私、本当に嬉しいのよ」

「……さようでごぜぇますか」


子供の内からこれだ。もう三年、五年の後には、きっと魔性の女になるに違いない。霊食主義、なんて奇癖さえ無ければ、引く手数多。男という男が彼女を求め、連日長蛇の列を作ることだろう。なんて馬鹿げたことを考えている内に、目的地――食堂に辿り着いた。
 

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