霊食主義者の調理人 | ナノ


膳手のアジト近くに潜み、スコープ越しに彼を見据える和島姉妹は、一瞬の隙さえ見落とせない緊迫の中で、考えてしまっていた。此処に乗り込む前――神喰邸で起きたことを。脳裏に焼き付いて消えない、あの光景を。


(伊調様、何を……)

(……こうするしか、百年に一人の天才に勝てる術はないだろ)


戦場に於いて、回顧すること程無意味なこともない。刹那のやり取りで全てが決する戦いの場では、来たる一分一秒こそが全て。過ぎ去ったものには、何の価値も無い。それなのに。姉妹二人揃って思うのは、未だ傷の癒えない体で敵陣に乗り込んでいった、あの男のことばかり。


「……彼は、戻れるでしょうか」


どちらが呟いたのか。二人で呟いたのか。それさえ曖昧になってしまうのは、集中自体が途切れた訳ではない証と見ていいだろう。

過去のビジョンを繰り返しながらも、二人は確かに、現状を見据えている。――いや。忘れられない事象が網膜に染みついているからこそ、閑花も静花も、意識を研ぎ澄ませていられるのだろう。

失敗は許されない。一つでもミスを犯せば、全てが台無しになる。そのプレッシャーよりも、彼の想いが、覚悟が報われるように。そして、敬愛すべき主が救われるようにという願いが、彼女達の神経をしなやかに尖らせる。


「……どうか、ご無事で。伊調様」


祈るように引き鉄に指を掛けながら、二人はターゲットを見据える。彼を守るモノが揺らぐその時を、決して見落とさぬようにと。




 
渾身の殴打を喰らい、壁に打ち付けられた膳手は、衣服についた土埃を払いながら、ゆっくりと立ち上がった。

当然だが、彼の体にも防護術式が張り巡らせられており、ダメージは然程通っていない。それでも一発お見舞いしてやれたのだと、伊調は気落ちすることなく、寧ろ快哉とした面持ちで、霊切り包丁を手に構える。


「君なら、来ると思っていましたよ」

「そうかい。そりゃ光栄だ」


まるで感情の伴わない声でそう言い放ちながら、伊調はそれとなく辺りを見渡した。もしかすれば、膳手には共謀者がいるのではと思っていたのだが、どうやら此処にいるのは彼一人らしい。廃屋内の生活感から見ても、それは明らかだ。加えて、現段階で感知出来る霊の反応は十数体。何れも此処より下――地下に集められていること。それらが、屋敷にいた霊程の力を持ってはいないこと。今伊調達のいるフロアに、悪霊の反応はないことも確かだ。

だが、今此処に潜んでいないからといって、それで安心出来はしない。何せ神喰邸に突如、あれだけ巨大な悪霊を呼び出した男が相手なのだ。まばたきしてる間に、目の前に霊を召喚されることも有り得る。

伊調は、膳手と羽美子の位置、廃屋内のざっくりとした間取りを把握すると、常に一定の距離を取れるように身構えながら、膳手に問い掛けた。


「で、わざわざ挑戦状まで残してまで俺を此処に招いたのは、どういう了見だ? まさか、俺も此処で養殖悪霊の調理でもしろってんじゃないよな」

「まさか。不出来な新米を厨房に入れても、邪魔にしかならないだろう? 生憎私は、皿洗いや芋の皮剥きにも困っていないのでね」

「じゃあ、どうして」


膳手が羽美子を狙う理由は、何となく察しがつく。だが、わざわざ痕跡と伝言を残し、此処で自分を待ち構えていたのは何故か。

最悪、市街に生きる人々を捨てて、退魔師教会屈指の術師達を率いてくる可能性だってあったというのに。在り得るリスクを嚥下してでも、膳手が伊調を此処に招き入れたのは何故か――その答えは、想像していたよりも遥かに単純明快であった。


「君は、私程ではないが非常に強い力を持っている。その魂を使って、料理を作りたいと思っていてね」

「……俺を悪霊にする気か」


膳手の企みに、誰よりも驚いたのは羽美子だった。この男は、なんて悍ましいことを考えるのかと、眼を見開き、顔を青くする。そんな彼女を横目に、膳手は懐から霊切り包丁を取出し、その切っ先を伊調へと向ける。


「生前力を持っていたものは、強く、大きく、食べ応えも栄養もある、上質な霊になる。君の魂で作った悪霊なら……彼女もさぞお喜びになることだろう」

「その”彼女”ってのは、羽美子様のことじゃあねぇよな」


その問い掛けに、膳手は答えなかった。無言。それは即ち、肯定と取っていいだろう。伊調はギリッと歯を食い縛ると、渾身の力で霊切り包丁を投げつけた。

風を切るような鋭い一撃。膳手はそれを平然と躱してみせたが、伊調の闘志は漲る一方。次の霊切り包丁をすぐに袖口から装填すると、伊調は戦いに勇む獣のように声を上げた。


「だったら俺は、皿の上になんぞ乗ってやれねぇ。仮に羽美子様の為だとしても……俺は、悔いや怨恨を残さないよう生きてくれって頼まれてんだ。悪霊になんかなってやれねぇよ!!」

「伊調……」

「そうかい。まぁ、頼めば大人しく俎板に乗ってくれるような手合いではないと思っていたよ」


彼の宣戦布告に、膳手はほうと一息吐くと、手に握っていた霊切り包丁をポンと放った。

包丁は空中で一回転すると、すぐに膳手の手に納まり、そこから凄まじい速さでくるりと回り――。


「だから予定通り、無理矢理君を調理することにしよう」


眼にも止まらぬ速さで、宙を切り裂くようにして描かれた魔法陣。其処から放たれたドス黒い光に眼を奪われたのも刹那。バキバキと空間を蹂躙しながら現れたそれに、伊調は瞠目した。


「オォオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!」

「……こいつぁ」

「悪霊の養殖実験で生まれた副産物だ」


それは、屋敷に封じられていたモノよりも遥かに巨大で、醜悪な悪霊だった。鋭利な牙が不揃いに生えた口を大きく開く頭部が、計八つ。それらが全て、長い首を出鱈目な動きで蠢めかせ、出来物のような目玉で此方を見据える。その間にも、頭と同じ数の尾が、びたんびたんと床を打ち、胴体に生えた無数の小さな手足が獲物を見付けた悦びを謳うように宙を掻く。まるで、神話の化け物めいたその姿と、廃屋を潰しかねない咆哮に、思わず伊調も言葉を失う中。膳手は喜悦に満ちた顔で、悪霊を撫でた。


「怨霊を瓶の中に閉じ込め……互いを食らい合わせて残った個体を繋ぎ合わせて作った。こいつの力は、最早祟り神の領域にまで達しているが……残念なことに、育ち過ぎて肉が非常に固い。これをお嬢様に食べさせるには忍びないので……君を倒すのに使うことにした訳だ」


人為的に肥大化された憎しみが呪いを生み、怨念を膨らませ、それらが合わさって、渾沌と化す。そうして生み出されたこの悪霊は、最早存在そのものが災厄。ただ其処にあるだけで禍を招き、生者の世界を脅かす祟り神にも匹敵するモノへと成り果ててしまっている。

こんなモノ、一人で相手取るべきではない。いや、人が立ち向かおうとすること自体、間違っている。そんなこと一目瞭然だというのに、依然逃げ出す素振りを見せない伊調に、羽美子は声を張り上げた。


「逃げて、伊調!! それは……」

「皆まで言わないでくださいよ、羽美子様」


だが、伊調は断固引く気はないようで。さてどの頭から切り落としてやろうかと、祟り神を振り仰ぐ。

本当に、巨大な悪霊だ。中級悪魔が可愛く思えてくる程度に。――なんてことを考えて、また気を抜いてはいけないなと、伊調は霊切り包丁を放り、羽美子を縛り付ける鎖を断ち切った。


これで、不安の芽は一つ潰えた。膳手の目的が羽美子である以上、彼女が人質に取られることも、狙われることもないだろうが、戦闘に巻き込まれてしまう可能性は否めなかった。しかしそれも、こうして羽美子が自由を得たことで、どうにかなりそうだ。膳手の方も、彼女の解放を妨害してこなかった辺り、危惧していたのかもしれない。

一先ずこれで、戦闘に没頭出来そうだと、伊調は床をトントンと爪先で小突きながら、羽美子に下がっているようにと促す。


「霊が視えないあんたが、匂いだけでその存在を感知する程の化け物だ。俺なんかじゃ立ち向かったところで、嬲り殺しにされるのが関の山ってね」

「じゃあ――」

「だが、それでも俺は……あんたの専属調理人として、此処で引く訳にはいかないんですよ」


彼とて、分かっている。こんな化け物を相手にすることがどれだけ馬鹿げているか。祟り神にまで上り詰めたモノに対峙して、無事は済まされないことも。しかしそんなことは、単身膳手に挑むと決めた時から承知している。全て覚悟の上で腹を括り、自分は此処に来たのだ。

だから、自分は引けない。逃げられない。


「来いよ、養殖! その頭全部ぶった切って、皿の上に並べてやらぁ!!」

「オオオオオオオオオオオオオォォォ!!!」


轟く咆哮の中に飛び込むように、伊調は祟り神目掛けて踏み込む。

あまりに迷いのない、猪突猛進とも言える切り込み。あんなにも巨大な相手に、正面から真っ直ぐ突っ込むなど、自殺行為もいいところだ。羽美子は、見ていられないと目を覆いたくなる衝動を堪えながら、今ならまだ間に合うからと叫び声を上げる。


「無茶よ、伊調!! ――伊調!!!」


何も、伊調が死ぬことはない。彼は自分が大人しく、従順にしていれば、それでいいのだ。だから、自分の為に命を投げ出すような真似をしないでくれと嘆願する羽美子の声を聞きながら、伊調は祟り神へと跳躍する。


「調理――開始だ」

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