霊食主義者の調理人 | ナノ


その男は、生まれながらに異端であった。

今から三十年前、一人の赤ん坊が母親の命と引き替えに、生を受けた。母子共に健康そのもの。妊娠発覚から臨月まで何一つとて異常はなく、出産も予定日ドンピシャで迎え、誰もが愛しい我が子を腕に抱き、涙ながらに微笑む彼女の姿が見られると、そう信じて止まなかった。だが、母親は彼を生み落すと同時に、息を引き取った。

まるで彼を産むことで役割を終え、その生涯に幕を引かれたような。そんな、あまりに唐突な死。それだけながらただの不運と言えたが、母の葬儀が終えた直後、見開かれた赤ん坊の瞳を見た誰もが、これは呪いだと、そう痛感してしまった。赤ん坊の眼は、父親の血筋から見ても、母親の血筋から見ても有り得ない、金色をしていたのだ。

見ているものを呑み込むような、人間離れしたその瞳の色を恐れ、父親は生まれて間もない赤ん坊を施設へと預けた。この子供を傍に置いておけば、自分も妻と同じ道を辿ることになるだろう、と。そうして恐怖に屈した父親は、それから二週間も経たぬ内に、事故で命を落した。


更に悲劇は続き、赤ん坊が引き取られた施設で、職員や児童が事故や病に見舞われることが相次ぎ、彼が三歳になる頃には、施設内で四人が故人となった。
これは流石に、何か悪いものが憑いているのではと、施設の職員らは彼をその道では有名な霊媒師に見せることにしたのだが、霊媒師は彼の姿を一目見た瞬間、悲鳴を上げて逃げ出した。

後日尋ねた別の霊媒師も同様に、彼を見るや酷く取り乱し、その子供を連れて一刻も早く帰ってくれと捲し立て。次に頼ろうとした霊媒師に至っては、電話の段階で堪えられないと言ってきた始末。一体、彼は何者なのか――。それが発覚したのは、四人目の霊媒師のもとを訪れた時だった。


「この子には、何も憑いていない。だが、この子の強すぎる力に引かれて、辺りの人間によくないモノが憑いている。周囲で事故や病気が多発するのは、その為だ」


四人目の霊媒師が、怯えながらそう話したところで、施設の職員達は彼を別の施設に移すことを決定した。

そんなことを繰り返し、繰り返し。次から次へと施設を盥回しにされて、いつしか”不幸の子”の烙印を押された彼の人生が変わったのは、十歳の時。


「もう大丈夫。もう誰も、貴方の周りで不幸になんてならないわ」


近付けば不幸が伝染ると言われ、誰にも歩み寄られることのない孤独の中にいた彼に、一人の少女が手を伸ばした。

彼女は、彼の噂を聞き、その力に引かれてきたモノを退治せんとやってきた退魔師――名は、神喰澄子。当時十五歳にして、神喰当主の座についていた彼女は、生まれながらに自分だけが目にしてきたモノ達を片っ端から平らげ、驚きのあまり言葉も出ない彼の手を取り、こう言った。


「下を向かないで。しっかりと、其処にあるモノを見据えて。何も恐れることなんてないわ。寧ろ、奴等の方が貴方を恐れているの。だから、貴方は堂々と顔を上げて」


物心ついた時から――いや。この世に生まれ落ちた時からずっと、彼は怯え続けていた。周りの人間には視えないモノ。それが自分を睨みながら、他者に憑いていく様を何度も何度も目の当たりにして、恐れていた。あれが自分を巣食いに来るのは何時だろう。自分はそれまで、あと何人の人を犠牲にしたらいいのだろう、と。

そんな、誰にも理解されない恐怖、圧倒的な孤独と絶望を膝と一緒に抱えながら生きていた彼にとって、彼女はあまりに強く、優しく、美しかった。


「これからは、貴方と私で、あいつらを倒していくの。そうして、皆を幸せにしていくの。それが、貴方が力を持って生まれた理由……。貴方は、誰も不幸になんてしないのよ」


何故、自分はこの世に生まれ落ちてしまったのだろうと、何度も何度も考えていた。
母の命を奪い、辺りの人間に災厄を振り撒き、”不幸の子”と蔑まれ、恐れられ。こんな自分に、生まれてくる理由も、価値も無いのではと、子供ながらにずっと考えていた。

だが、その日。己の胸の中で繰り返したその問いの答えを、彼はついに見出した。


「そして、他ならぬ貴方自身が幸せになるのよ、膳手尋彦くん」


嗚呼、自分はこの御方の為に生まれてきたのだ。この命も、この力も。全ては、この御方――澄子様の為にあったのだ、と。


こうして、齢十歳にして、自身の天命を悟った膳手尋彦は、教会所属の退魔師となり、僅か半年の研修で悪霊調理免許を取得。最年少悪霊調理師として教会を大いに賑わせ、以後二十年に渡って、神喰家に仕え続けた。


「ごめんね、羽美子」


彼女が――神喰澄子がこの世を去る、その時まで。





 
「おや、ようやくお目覚めか」


眼を開けた時、最初に映ったのは見慣れぬ天井と、ぶら下がる管。それが自分の腕から上へ――そうして点滴バッグへと繋がっていることを視認したところで、伊調は傍らに立つ老齢の男に気が付いた。


「……大先生」

「うむ、如何にも。よろしい。どうやら、意識も記憶もはっきりしておるようだな」


魔法使いのおじいさん、を絵に描いたような白髪頭に丸眼鏡。最高位の術師のみが袖を通すことを許された紫色のローブに身を包むその人こそ、退魔術教会が誇る現代退魔術の権威・大徳寺森羅(だいとくじ・しんら)。通称、大先生である。


「体の方は? 折られた骨や、切られた肉は繋いだが、違和感はないか?」

「……いや。多少の痛みはありますが、問題はありません」

「三日三晩寝ていれば、体も痛む。それは、まぁ、自然治癒に任せておけ」


大徳寺は豊かな髭を撫でながら、体を起こそうとする伊調を宥めるように、ぽんと彼の頭を叩いた。

退魔師教会が誇る回復術の施しを受け、悪魔に痛めつけられた伊調の体は、ほぼ全快している。とはいえ、三日も意識が戻らずにいた程のダメージを受けたのだ。意識が戻った傍から起き上がることもない、と大徳寺はベッド脇の椅子に腰かけた。
其処で伊調はようやく、自身が退魔師教会の病棟にいることを把握し、深く溜め息を吐いた。


――そうか、あれからもう、三日が経ったのか。


ずっと眠りこけていたせいか、妙に昔のことにも思えるが、ほんのついさっきのことだったようにも思える。
目蓋を閉じれば鮮明に蘇る。初めて対峙した中級悪魔。捕えられた主の叫び声。全てを掻っ攫っていった炎の熱と、色。そして、あの男の顔――。

一切霞むことなく、全てが脳裏に焼き付いて離れない。もう二度と見たくもない悪夢のように片付けられない、あの日の記憶。それを繰り返し、頭の中で反芻する度、こうして生きて戻れたことが奇跡だと思う反面。嗚呼、生き残ってしまったのか、俺は、という想いも湧いてくる。

折角助けられておきながら、よくないことだと思いながらも、伊調は顔を顰めずにはいられなくて。大徳寺はそんな彼に眉を下げつつ、最後に見た時とはだいぶ様変わりした教え子に、労いの言葉を掛けた。


「まさかお前が此処までやられるとは……。相手が悪魔であったという前情報だけでもあれば、こうはならなかったろうに」

「…………買いかぶり過ぎですよ。俺は……そんな大した奴じゃない」


そう、自分は所詮、数十年に一人程度の奴だった。百年に一人の、本当の天才を前に己を知った、井の中の蛙だったのだ。
そう自嘲するように、伊調が苦々しい笑みを浮かべるのを見て、大徳寺は居た堪れなさそうに髭を抄いた。

伊調の実力も才能も、紛うことなき本物だ。類稀なる霊感も、瞬く間に退魔術を習得していったそのセンスも、習得難易度トリプルSクラスの悪霊調理術さえ体得してみせた技量も、間違いなく素晴らしい。だが、それ故に彼は此処に来て、越え難い大きな壁にぶち当たってしまったのかもしれない、と。大徳寺は眉を顰める。

凄まじい能才を見初められ、退魔師教会に来てから半年足らず。これまで何もかもがとんとん拍子であった分、今回の敗北は堪えることだろう。自分の力の過信。経験不足による詰めの甘さ。それらが招いた、最悪の事態。加えて、それを全て突如現れた先任調理人に掬われる始末。


――彼女が心配していた通りにならなければいいのだが。


大徳寺が、さてどうしたものかと考えあぐねていると、ややあって、伊調が口を開いた。


「……お嬢さ…………神喰羽美子は」

「昨日もお前の見舞いに来ていたぞ」

「そうじゃなくて」

「お前が此処に運び込まれ、眠り続けている三日間、彼女は食事に困ってはいない。膳手が、お前の代理として調理に当たっている」

「……そうですか」


伊調が倒れてから、神喰邸には膳手が滞在し、依頼を端から片付けている。羽美子はその間を縫って、毎日欠かさず見舞いに来ては、伊調はどうだ、彼はいつ目覚めるのかと大層心配していたのだが、今の彼にそれを伝えても、後ろ暗さを助長させるだけだろう。

先日の一件で、彼が最も気に掛けているのは、羽美子のことだ。自分が慢心したがばかりに、彼女を危険に曝したこと。何があっても守り抜くと心に決めた主を、この世にただ一人の霊餐使いを、悪魔の手に渡してしまったこと。悔やんでも悔やみきれない。詫びのしようもないと、伊調は羽美子のことを心底気掛かりにしている。

此処にいた頃の彼は、そう忠義心の強い男だとは思わなかったのだが。神喰に来てからの日々で、何か心境の変化があったのだろう。それが皮肉にも、今の彼を追い詰めている訳だが。


「……大先生。あの人……膳手尋彦って」


そんな中。未だ塞がっていない傷を自ら穿り返すように、伊調は突如現れた先任――膳手尋彦について尋ねた。

彼については、神喰の専属悪霊調理人となることが決まった折に幾つか耳にしている。百年に一度の逸材。まさに退魔師となる為に生まれてきたかのような、卓抜した霊感と技術の持ち主。僅か十歳にして悪霊調理師免許を獲得した、教会始まって以来の天才。だが、そんな彼が抱える一つの翳りが、伊調の中で魚の小骨のように引っかかって。それがどうにも気持ちが悪いと言うように尋ねると、大徳寺も概ね似たような様子で答えてくれた。


「ああ……。五年前、突如行方を眩ませ、消息を絶っていた、先代の悪霊調理師だ」


十歳の頃より神喰に仕え続けてきた、至高の悪霊調理人・膳手。そんな彼は五年前、突然屋敷から姿を消し、以後、音信不通。消息不明。生きているのか、死んでいるのか。それさえ誰にも掴めぬまま、徒に時は流れ続け、彼の存在は半ば伝説へと成り果てようとしていた。そんな矢先に、再び姿を現し、神喰現当主の命を救ったというのだから、退魔師教会も大いにざわついている。

これは何かの災厄が来るという啓示なのか。はたまた、大いなる力の導きか。恐るべき事態の前触れではないかと戦々恐々とする者がちらほらと現れる中、伊調も何か不穏な匂いを感じているらしい。

天井を仰ぎながら、視えそうで視えない、靄掛かった何かを見据えようとするように目を細めながら、口を動かす。


「五年前って確か……神喰の先代当主が亡くなった年ですよね」

「そう。先代当主たる澄子様が亡くなられたそのすぐ後に、膳手は屋敷を出て、何処かへと姿を消していた。五歳にして当主の座を継がなければならなくなった、幼い羽美子様を置いて……な」


膳手が、神喰先代当主・澄子に心酔していたことは、教会内ではあまりにも有名な話だ。

彼に生きる道を示し、退魔師の道を行くことを勧めた張本人。あまりに強過ぎる力を持って生まれてしまったが為に、生まれながらに孤独であった彼に手を差し伸べた、まさに、救いの女神。それが膳手にとっての神喰澄子であり、そんな彼女が命を落した時の彼の憔悴っぷりもまた、教会ではよく知られている。


――人は、光を失った時、あのような顔になるのだと、当時の膳手を見た者は語る。

まるで太陽が撃ち落されたのを目の当たりにしたかのように、澄子を亡くした膳手は酷く消沈し。彼女の葬儀の際には、心此処に在らずといった様子で、まともに会話も出来ないような状態であったという。だから、五年前に彼が姿を消したこと自体には、誰もあまり疑問を抱かなかった。


「奴は、澄子様を心の底から敬愛していた。故に、澄子様の後を追って……などと噂されていたが、まさか生きていたとはな」


誰よりも愛し、誰よりも敬い、神の如く崇め奉っていた澄子を失い、何もかも投げ捨ててしまったのだろう、と。誰もがそう考え、膳手に同情していたくらいだ。故に、膳手が生きていたこと。再び神喰家の前に姿を現したことは、天変地異の予兆と騒がれるのも致し方ない気がするのだが。


「しかし、膳手め……。五年もの間、羽美子様を放っておきながら、今更のこのこと……一体、何を考えておるのか」

「……あの人があそこに来てくれなければ、死んでました」


書置きの一つも残さず、母を亡くし、不安で仕方ないだろう羽美子を置いて行った膳手を詰るように額の皺を深くする大徳寺だが、それさえ、今の伊調には痛撃らしい。より一層、どんよりと沈み込んで、伊調は点滴に繋がれたままの腕に力を込め、拳を握った。


「……お嬢様は、この世でただ一人の霊餐使いだ。あの人でなければ救えないもの、あの人でなければ倒せないものが、この世には溢れている。なのに、俺は」

「……あまり自分を責めるな、伊調」


後悔先に立たず、とはよく言ったものだ。あの時ああしていれば、なんて考えればきりがない。なのに、仕方がなかったなんて言葉では済ませられなくて。伊調はベッドシーツを握り締めながら、何もかも取り零そうとした己の手を責め立てるように、掌に爪を立てる。それを窘めるように、大徳寺は彼を宥めるが、今の伊調にはそれを聞き入れられる余裕がなかった。


「あればかりは仕方ない。お前程の逸材でも、結崎氏がいても、下準備なしに中級悪魔相手では――」

「俺じゃなければ勝てた相手だ」


噛み付くような声で大徳寺の言葉を遮ると、伊調は上体を起こし、大徳寺の制止も聞かず、ベッドから降りた。

ただひたすらに、居心地が悪かった。このまま床に臥せていたら、いよいよ自分というものが無価値になってしまいそうで。誰に責められているでもないのに、何かに駆られるようにして、伊調は覚束ない足取りで、ふらふらと歩き出していく。


「……現に、あの人は勝っていた。不意打ちじゃなくても、一対一でも、最初からでも……あの人なら、勝っていたに違いない」

「何処へ行く気だ、伊調」

「……ハローワーク、ですかね」


背を向けているにも関わらず、反射的に引き攣った笑みを浮かべながら、伊調は病室のドアに手をかけた。


――こうして起き上がれるようになったのだ。これ以上、此処にいる意味はないでしょう。


そんなことを、どこか拗ねた子供めいた背中で語りながら、伊調は逃げるように、大徳寺の前から去っていく。


「……百年に一人の超天才が戻って来たんだ。俺はもう……あの屋敷にはいられないでしょうから」


パタン。哀愁漂う音を立て、ドアが閉まる。その後に続く、弱々しい足音を聴きながら、大徳寺は大きな溜め息を吐いた。


「……全く、最近の若いもんは」


あれは、相当重傷だ。自分が後を追い掛けていったところで、どうしようもないだろう。ならばと、大徳寺はベッド下に潜むものへと声をかけた。


「お前。あいつを頼んだぞ」


待ちくたびれて寝呆けていたそれは、大徳寺の声に耳をピクリと跳ねさせると、大きな伸びをしながら鼻をひくつかせた。
 


next

back









×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -