僕は宇宙人系男子 | ナノ
「出張編集、ですか」
「如何にも」
日比野さんから助言をいただいてから三日後。業務を終え、ロッカールームで着替えていた僕に、月峯さんが厚みのある封筒を差し出してきたことが、事の発端でした。
「我が力を試さんとする神の遣いが、この禁断の書記に目を通さんとしているのだが……未だ完全なる覚醒に至っていない我が力が彼奴らに通ずるのか、些か不安でな」
要約しますと、月峯さんの通う専門学校に今度出版社の編集さんがいらっしゃるそうで、その際に見せる漫画の出来が不安だ、ということだそうです。
編集さんに見られるというのは、大きな機会と聞いています。作品を気に入っていただければ
担当に就いていただける可能性もありますし、そこからデビューに繋がることもあります。
「そこで我が友よ! 良ければこのネー……禁断の書記の力量を量ってはくれまいか! そして、奴らにこの闇の力が通じるかアドバ……助言を授けてほしいのだ」
月峯さんは以前の出張編集で、あまりいい評価を頂けなかったらしく、今回こそチャンスをものにしたいそうで。僕にネームを読んでもらい、手直しを要する部分などがあればアドバイスしてほしい、ということでした。
予期せぬお願いに、僕は眼をパチパチとさせましたが、月峯さんは真剣そのもので。僕としても、断る理由は無いので承諾したいところですが。
「構いませんが……僕でよろしいのですか」
何せ僕は、宇宙人です。地球の漫画を幾つか読んでいるとはいえ、宇宙人の目線からアドバイスしてもいいものか。他に適任の方がいるのではないかと、快諾に至らなかった僕ですが、月峯さんは是非僕にと、ネームの入った封筒を突き出します。
「無論だ! 他に頼める人がいな……この禁断の書記を目にして狂気に飲まれぬのは我が友しかいないのだからな!」
「日比野さんはどうでしょう。様々な漫画を読まれているそうですが」
「ひ、日比野女史は駄目だ!! あいつは『面白いっす!』か『よく分かんないっす』か『すげーっす!』の三パターンしか感想がない!!」
「ああ……」
確かに、日比野さんは良くも悪くも素直といいますか、実直といいますか。
月峯さんが欲しいのは具体的なアドバイスですから、日比野さんのざっくりとした感想ではネームの直しようがありませんので、彼女に見せるのは止めることにしたようです。
そういうことなら、お断りする理由はありません。
「では、微力ながら……月峯さんのお役に立てるよう、努めさせていただきます」
「お、おう! 頼んだぞ友よ! えっと……えふん。では早速、これを――」
これもまた、地球人について学ぶいい機会だと思います。
地球の漫画について造詣を深めるということは、地球の文化、流俗、並び地球人の思考の理解にも繋がります。
月峯さんにも喜んでいただけたようですし、僕にとって今回のお話は願ったり叶ったり。全力で取り組ませていただかねば、とネームの入った封筒を受け取ろうとした、まさにその時でした。
「おいコラ月峯ぇええ!!」
「ヒッ?!」
ロッカールームに響く声に、月峯さんが盛大に跳び上がり、勢い余って封筒を床に落してしまいました。
そんなに驚くこともないような……とは思いますが、苦手意識もあるのでしょう。
あの声のトーンで呼ばれる時、月峯さんは大抵何かしらのミスを起こし、それについてお説教を食らうというのがパターン化していますので。
なんて考えている合間に、怒りの形相を浮かべた火之迫さんがロッカールームへと踏み込んで、怯える月峯さんに怒号を飛ばします。
「お前、また消耗品発注忘れやがったな?! 明日は発注出来ねぇんだから気ぃ付けろって何回言ったら」
「す、すみません! すみません! い、今からやります!!」
「もうやったよ!! ったく、水飲み鳥みてぇな謝り方しやがって。謝りスキルばっか伸ばすんじゃねぇよ」
月峯さんは、見た目に反し大変おっちょこちょいな方です。
わざとではないですし、本人も気を付けてはいるのですが、こうして度々何かを忘れたり、間違えたりしてしまうことがあり、その都度こうして火之迫さんにお叱りを受けています。
火之迫さんは誰にでも共通して手厳しい方で、月峯さんにだけ厳しいという訳でもないのですが、怒られる頻度が多いせいか、月峯さんは火之迫さんを過剰なまでに恐れているようです。
それでもこの仕事を辞めないガッツを、火之迫さんも買っているので、敢えて甘やかさないのだと聞いたこともありますが。
「大体、いつも退勤前にやることやったか確認しろって毎回毎回……」
いつもながら見事なお説教っぷりだと、すっかり傍観していた僕は、火之迫さんの視線が床に向けられたことに気が付き、しまったと思いました。
火之迫さんの乱入ですっかり失念していましたが、そういえば月峯さんは封筒を落されたままで。落ちた衝撃で何枚かネームが床に散らばって、それが火之迫さんの目に留まってしまったのです。
「なんだこりゃ」
「そ、そそそそ、それは」
火之迫さんがネームと封筒を拾い上げる前で、月峯さんは可哀想なくらいオタオタと狼狽します。
地球人――特に日本人は、自分の描いた絵や漫画を、ごく一部の、趣味嗜好に理解のある人物以外に見せることを忌避すると聞きます。月峯さんも、きっとその類でしょう。
このコンビニエンスストアで、月峯さんの描いた漫画を読んだことがあるのは、僕と日比野さんだけだ、と以前言っていましたし、僕らに見せるのにも結構勇気を出したとも言っていました。
正確には「我が禁断の書記を目にしても尚、ルナティックに陥らぬかどうか……その判別に難儀した」とコメントされていたのですが。
ともかく、そんな月峯さんが火之迫さんにネームを見られるというのは非常にまずい事態です。
流石に先程のような勢いで、漫画の内容についてツッコミを入れてくるということは無いとは思いますが、困り顔で返却されても、それはそれで月峯さんの負うダメージは甚大でしょう。
僕は、どうにか話を切り離さねばと、まじまじとネームを見遣る火之迫さんに思い切って声をかけることにしました。
「あの、火之迫さん、それは」
「…………」
「……火之迫さん?」
思いがけず、非常に真剣な眼差しで、じっくりとネームを読み込む火之迫さんの姿に、僕も月峯さんも言葉を失いました。
ツッコミ所を探しているのか。これは嵐の前の静けさなのか。そんな恐怖心がじわりじわりと込み上げてくる静寂の中に、火之迫さんがネームを捲る音と時計の秒針が動く音だけが響きます。
未だかつて、こんなにも時間の進みが遅く感ぜられることがあったでしょうか。
一体これからどうなってしまうのだろうかと、月峯さんと共に戦々恐々としながら、僕は肌を刺すような静けさの中で立ち尽します。
そうして、無限にも感じられた数分間が経過し、全てのネームを読み終えた火之迫さんが零した第一声に、僕らは眼を瞠りました。
「……主人公のキャラ付けが甘い」
「「…………え」」