カナリヤ・カラス | ナノ


「はぁ、職業体験?」


金成屋に三年ぶりとなる新メンバーが加わり、一週間が経った。

新メンバー、もとい第二の犠牲者となったギンペーは当初の契約金・一千万に加え、当面の生活費や、生活拠点となる部屋の手配の為に更に借入額を大きくする事となり、結局、彼の背負う負債は二千万にまで膨れ上がった。

この一週間、彼は実家からの追手を撒きつつ、鷹彦からゴミ町についての教えを受け、最終的に此処からほど近いアパートに落ち着けるようになったらしい。彼の金成屋入りこそ許可した鴉ではあったが、「部屋に空きはねぇし、あったとしてもクソガキを家に入れる気は毛ほどもねぇ」と全面的に拒否していたので、潜伏と拠点探しで一週間のロスタイムとなったギンペーだが、その顔は存外晴れやかなものであった。雛鳴子が軽く、イラっとくる程度に。


「そ。今日の集金は、コイツ連れて仕事の説明をしながらやれ。まだまだぺーぺーの雛鳴子ちゃんでも、それ位は出来んだろ」

「だから、その呼び方はやめてくださいって、何回も言ってますよね?ってか、なんで私が」

「俺がやりたくないから。以上」


が、デスクに足を乗せ、卑猥な雑誌を捲りながら、この物言いで新人教育を押し付ける鴉の方が、神経を逆撫でてくれるのは言うまでもない。

ギンペーが契約金を返済出来る等と、まるで思っていないだろうに。それらしい事をさせて満足させようとしているのだから、この男は本当に性格が悪い。

鴉がやろうとしていることは、ギンペーの独り立ちの手助け等ではなく、鯛がくっついた小海老を弄ぶような戯れだ。ギンペーの契約には「五年内であっても、返済が無理だと思ったら諦めて工場の権利書を持ってくる」というルールがある。これにより、ギンペーにとっては下手をすれば、鴉にとっては上手くいけば、大戦貴族の工場の所有権は一週間と絶たずして鴉の手に納められる事となる。

尤も、鴉の本命はギンペーを使った貴族界の諜報にある為、工場の方には期待していないのだが、そちらもその気になれば頂戴出来るので、彼は兎角機嫌が良かった。そんな鴉の上機嫌っぷりも然る事ながら、実家という逃げ道を有して此処に居るギンペーの存在も、雛鳴子には面白くなかった。


「っつー訳だ新入り。まずは簡単な仕事から確実に覚えていけ。危険度の高い仕事を任せられるようになるまで、しっかり下積みしとけよ」

「了解っす!」


本当に。こうも容易く鴉に乗せられ、今日から始まる新生活に浮足立っている青年が、雛鳴子には心の底から面白くなかったのだ。



「えーっと、あの……雛鳴子ちゃん?」


足早に金成屋を出た雛鳴子の後ろを着いて行きながら、無言のまま突き進む彼女に、不吉なものを感じ取ったらしい。
ギンペーは、取り敢えず何か話さなければと駆け足で隣に並び、雛鳴子の顔を覗き見たが、予想通り、彼女は最高に不機嫌そうな面持ちをしていた。そのあからさまに苛立ってますという顔ですら、心臓がドキリと高鳴る程に美しかったので、ギンペーは思わず息を飲んだ。

死の淵に立たされていた時はそれどころではなく、ここ一週間も顔を合わせる事が無かったので、今になって痛感させられるのだが、雛鳴子は破格級の美少女と言える程、美しく、可愛らしい顔立ちをしている。鴉が一目で気に入って買い取ったというのも頷ける、透き通った白い肌に、整った目鼻立ち。長い睫毛に縁取られた大きな瞳は宛ら青い宝石だ。顰め面すら絵になる程の美貌を前に、ギンペーがどぎまぎしていると、雛鳴子から氷柱のような声と視線が飛んできた。


「……これから、集金に行きます。金成屋の中では一番簡単な仕事ですが、一番大事な仕事でもあるので、ちゃんと覚えて下さい」

「あ、あぁ……うん」


冷たくそう言い放つと、雛鳴子はギンペーからプイッと顔を背け、また足早に歩き出した。自分より二、三個歳下であろう女の子に、こうも冷たい態度を取られると、かなり凹む所ではあるが、ギンペーは持ち前の明るさで、何とか彼女と打ち解けよう、と雛鳴子に積極的に絡んでいった。


「あ、あのさ! 雛鳴子ちゃんは、金成屋になって三年目なんだっけ? 集金以外にも色々やらせてもらってるの?」

「家事全般、雑用、運転、事務仕事、偶に資金稼ぎをやってます。失敗する毎に多額の負債が掛かって、利益らしい利益は殆ど出てませんけど」

「………ひ、雛鳴子ちゃんってさ、金成屋のいわゆる紅一点だよねー。女の子一人で大変な事とかない? 俺、よかったら手伝うけど」

「人のこと手伝ってる余裕は貴方に無いと思いますし、貴方に助けてもらう事で解決するような問題も無いので、気にしないでください」

「……そ、そういや鷹彦さんって良い人だよね! 家決まるまでの間、ゴミ町を案内してもらったんだけどさ〜、色々分かって助かったよ!」

「それは鷹彦さん本人に言ってあげるといいと思います」

「…………雛鳴子ちゃんって、鴉さんと一緒に住んでるんだよね? 恋人……とかじゃないの?」

「はぁあ?!」


それまでギンペーの問いかけに、前方を見たまま淡々と答えていた雛鳴子が、凄まじい形相で此方を睨み、叫んだ。あの人形のように整った顔の、何処の筋肉がどう動けばこんな凄まじい表情になるのか、とギンペーがたじろいていると、額に青筋を浮かべた雛鳴子が、ガッと胸倉を掴んだ。


「何処をどう見てそんなこと言ってんだ、えぇ?!」

「ごめんごめんごめん!! そんなにカンに障ることだとは思わなかったんだ、ホントごめんって!!」


想定外の地雷を踏み抜き、可憐な少女に気圧され、懸命に詫び入れるという情けない姿を曝す事になったギンペーだが、幸いにも此処はゴミ町。雛鳴子の怒声に振り返る者も、ギンペーの不甲斐無さを嗤う者もいない。無関心な住民達は此方を気にする事無く、薄汚れた洗濯物を眺めながら煙草を吹かしたり、ゴミ山をほじくり返したりしている。都であれば、奇異の眼や好奇の眼が多少なり向けられるだろうに。此処では一切それが無い。

やはりこの町はどうかしていると、ギンペーが助けを求めるように辺りを見回す事を止めた頃。雛鳴子は先程よりも一層不貞腐れた顔をすると、ギンペーの胸倉から手を離し、とぼとぼと歩き出した。突如、火が消えたような雛鳴子の有様に暫く呆気に取られていたギンペーだったが、随分距離が空いた所で立ち尽くしている場合ではないと気が付き、慌てて彼女の背中を追いかけた。


「その……ご、ごめんね? あんなこと聞いちゃって……」

「……もういいですよ。さっき以上にエグい聞き方されたこともありますし……」


はぁ、と大きく溜息を吐いた後、雛鳴子は少し尖らせた唇で、ぽつぽつと返答した。先刻まで苛立ちが迸っていたその顔は、虚しさと悲しさに沈んでいる。自分が不用意な事を口走ったがばかりにと、みるみる込み上げてきた罪悪感に冷や汗を掻きながら、ギンペーはあたふたしながら弁明を始めた。


「あの、何ていうか……鴉さんと雛鳴子ちゃん、仲良く見えたっていうかさ! 同じと所に住んでるっていうし、もしかしたら付き合ってるのかなーって思っただけで、何か怪しい事してるんじゃとか、そういう意味は全然」

「……仲良く見える?」

「ひ……雛鳴子ちゃん?」


ギンペーはてっきり、雛鳴子が鴉とふしだらな関係にあると疑われたと思って傷付いたのではないかと考えていたが、彼女の逆鱗は其処では無いらしい。今度は手を出さずに、しかし、先ほどより凄まじい殺気を湛えながら、雛鳴子はギャンギャンとギンペーに吼え立てた。


「だぁれが、あのキング・オブ・ド屑の思い遣り欠如人間殿堂入りのセクハラカス野郎と仲良しだってぇ?! 何処に眼ぇ付けてんですかコラァ!!」

「そ、其処なの怒るとこ?!」

「当たり前じゃないですか! あんなのと恋人だなんて思われるの、心外です! 不愉快です! 最低最悪です!!」


雛鳴子は、捲し立てるようにず鴉への罵詈雑言を並べ、顔が真っ赤になるほど頭に血を昇らせた。余程許し難いのだろう。だんっだんっと地団駄を踏みながら、雛鳴子は常日頃蓄積させた不平不満を爆発させる。


「どいつもこいつも……こっちは日々あの悪魔に取って食われないようおっかなびっくり生きてるってのに……。やれ『二人はどこまでいったんだ』だの、『趣味変わってるんだな』だの……っざけんじゃねぇですよ!!」

「ひ、雛鳴子ちゃ……」

「貴方も分かってるでしょう?! あれは人の皮を被った悪魔です、鬼です、外道畜生です!!」


反射的に後退りしてしまう剣幕でそう言うと、雛鳴子は大声を出した所為で薄ら浮かんできた涙をそのままに、ビシッとギンペーを指差した。


「あれにひっくるめられてるって自覚を持ってください! 何も知らない子どもみたいにはしゃいで、浮かれて……正直、見ててイライラします!! 加えてこの戯言! 仕事前だってのにその気の抜けた顔! 冗談もほどほどにしてください!」

「か、顔まで?!」


まさかそこまで嫌われているとは、とショックを受けるギンペーを置いて、雛鳴子はズカズカと地面に八つ当たりするような足取りで行ってしまった。

その怒り様と口ぶりから、雛鳴子が鴉の事を蛇蝎視しているのは確かだ。しかし、それ程までに嫌っている相手にしては――と、呆けた頭で思惟して数秒。雛鳴子の姿が随分遠ざかっている事に気が付いたギンペーは、大慌てで駆け寄って行くも、彼女に掛ける言葉を見付けられず。これ以上彼女の機嫌を損ねないよう、暫くは黙っていようと、ギンペーは溜め息までも喉の奥へと押し込んで、雛鳴子の三歩後ろを歩いた。

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