カナリヤ・カラス | ナノ


朝、起きる。

いつも通りのことだ。当たり前のことだ。だが、今日の目覚めは至極当然に訪れるそれとは異なっていた。


「…………」


悪夢を、見なかった。

連日連夜、悪い夢に魘されていた訳では無い。しかし、程度は異なれど、彼の眠りの多くは過去の忌まわしい記憶に苛まれて然るべきものだった。

それがどうしたことか。ここ最近、彼の夢見はすこぶる良好であった。

夢を見ていた、という実感はあれど、その内容は意識の覚醒と共にすっかり忘れてしまっているのだが。毎晩熟睡出来ていることは確かだ。


とうの昔に割り切ったつもりで、ずっと抱え続けた古傷。その痛みを今になって忘れられたというのならきっと、夢に見ること自体無かっただろう。

無数の亡霊達がいい加減、呪いだ祟りだといった非生産的活動に飽いてくれたのか――などと、らしからぬスピリチュアル的思想を鼻で笑うと、鴉はベッドから降りた。


そろそろ、朝から眉を吊り上げたひよこがモーニングコールにやって来る。洗面所に退避して、もぬけの殻となった部屋を前に眼をぱちくりさせる彼女に後ろから声を掛けて驚かせてやろう。

そうと決まればと襖を開けた瞬間。「ぴゃっ」という素っ頓狂な声と、軽く身を竦めた彼女に鉢合わせ、鴉は眼を瞬かせた。


「おっ、おはようございます、鴉さん……今日は早いですね」


朝の指定制服と鴉が定めた白いフリルエプロンを纏い、手にミトンを付けたままやってきた少女が、別段乱れてもいない前髪を整えながら、僅かに視線を逸らす。

どうせ今日も起きていないだろうと思って此処に来てみれば、鴉が自分で起きていたオマケに絶妙なタイミングで鉢合わせたので、少し気まずいのだろう。
朝陽を吸い込んだように輝くプラチナブロンドを白魚の指で弄るだけで、恐ろしく絵になる美少女――雛鳴子は、そのままプイっと顔を背け、小さく唇を尖らせた。


「起きてたなら、さっさと顔洗って来てください。あと髭剃って、服着て、ついでに今日も早起きして朝ご飯を作った私を讃えてください」

「雛鳴子様、今日もお有り難うごぜぇます」

「顔が馬鹿にしてる!」

「生まれつきこういう顔ですー」


ぷりぷり目くじらを立てる雛鳴子の頭を適当に撫でて往なし、鴉はそのまま洗面所へ向った。

後から、着替えを持った雛鳴子がついて来る。まるでカルガモの親子だと笑いながら洗面台の蛇口をひねると「此処に着替え置いておきます。着てたものは其処のカゴに入れておいてください。あと新しいタオルはそれです」と矢継ぎ早に指示が飛んで来た。
これではどちらが親だかと苦笑していると、雛鳴子が台所へ戻らんと踵を返した。


「今日の朝飯は?」

「概ねいつも通りです。ご飯とお味噌汁と卵焼き……おかずは昨日の余り物です」

「卵焼き甘い?」

「えぇ、まぁ……出汁巻きの方が良かったとか言われても、甘いのしか出しませんので悪しからず」

「いや。俺、卵焼きは甘い方が好きだし、今日の気分もそっち。褒めて遣わそう」

「はぁ……それはどうも」

「素直に褒めたのに」

「やっぱりさっきのは馬鹿にしてましたね!」

「カカカ」


頬を膨らませながら台所に帰っていく雛鳴子を横目で見送りながら、シェービングクリームの缶を手に取る。
そろそろ残り少なくなってきたかと思えば、洗面台には既に新しい缶が置かれていた。どの程度の周期で無くなるか、把握しているらしい。

此方のことが分かってきたものだと感心しながら、鴉は無精髭の処理に掛かった。

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