カナリヤ・カラス | ナノ


「お、おはようございます……鴉さん」


雛鳴子が男・鴉に買い取られるという形で拾われ一夜が明けた。

一張羅のワンピースに皺を作る訳にもいかず、鴉が寝間着に使用しているシャツを着て寝る事になった雛鳴子だったが、様々な不安をよそに彼女は無事、朝を迎えた。
用意された布団をしっかり被ったお蔭で寒さで風邪を引く事もなく、最も危惧した鴉が寝込みを襲ってくる、という事もなかった。

全身潔白という奇跡のような朝の訪れ。しかし、油断は出来ない。相手は、ゴミの腐臭と人間の狂気が渦巻く町で生きる男なのだから。


「美人は三日で飽きるっつーが、一夜明けてもまだ飽きを感じないのは、俺にもお前にも救いだな」

「開口一番それですか」

「あー、悪かったな。おはよう、今日も今日とて貧相な体のお嬢ちゃん」


ゴミ町の空気のせいで、とても爽やかとは言い難いが、それでも清廉な太陽煌めく朝からこの発言に、雛鳴子は盛大に顔を顰めたが、鴉は悪びれた様子もなく、しれっと新聞を捲る。こんな男でも新聞を読んでいるというのだから、分からないものである。


「成長期だからって一日で成長する訳ないでしょう。犬だって待てくらい出来るんですから、そのネタは封印してください」

「本当に成長期に見合う成長をしてくれんならいいんだけどよ……まぁ、いいや」


言いながら、鴉は新聞を適当に畳んでテーブルの上に投げ捨てると、ソファから立ち上がってうんと体を伸ばした。

あの黒いコートを着ていない所為か、彼の体は昨日よりも背が高いように見えた。横の面積が減ったせいだろうか。何にせよ、頭幾つ分も背の高い相手なので、見上げているだけで首が痛くなる。
不服ではあるが、首関節の為にも背が伸びる必要性はあるなと雛鳴子が唸っていた時だった。


「早速だが、返済の為の仕事を始めてもらうぜ、雛鳴子」

「……! 仕事、ですか?!」


雛鳴子が此処に留まる目的は、彼との契約により背負う破目とになった一千万もの負債を返済する為にある。

今日から仕事が始まる、というのは昨夜の内に聞いていたが、朝一番から来るとは思っていなかった。雛鳴子は胸に手を当て、不安を訴える鼓動と共に服を握り締めた。

鴉の事だ。大金叩いて買ったものがすぐさま駄目になるような仕事は任せてこないだろう。が、彼の性格からしてまともな仕事が来るとも思えないし、金成屋という胡散臭く、かつ危険な匂いしかしない商売に真っ当な業務があるとも思えない。

自分に出来る事だろうか。失敗したら、どうなってしまうのだろうか。ぐるぐると頭の中に最悪のイメージが渦巻いて眼が眩んできた雛鳴子に、鴉は煙草を燻らせながら、最初の仕事を告げた。


「朝飯作れ」

「………………え?」

「あ゛? 聞こえなかったのか?もう一回言うぞ。朝飯を、作れ」


雛鳴子は額に指を押し当て、考えるまでもないその言葉の意味について考えた。鴉は仕事をしろ、と言った。そして、朝飯を作れと言った。つまり――雛鳴子の初仕事は、朝食作りだ。


「わ、私の仕事って家政婦ですか?!!」

「文句があるなら今すぐお前の体に朝飯盛るぞ」

「文句があるとすれば業務内容より貴方の頭にあります! ちょっと黙ってもらえますか?!」


予期せぬ仕事内容に雛鳴子はぜいぜい息をしながらも、冷静さを取り戻し、そして考えた。


確かに、家政婦も立派な仕事である。しかし、この仕事をしていて、五年以内に契約金が返済出来るかと言えば、それは否だ。

一千万という大金を返すには、相応の仕事をする必要がある。相応の仕事とは、即ち、鴉がやっているような仕事だ。それが、まともな仕事ではないとは理解している。実際、それをやれと言われて、やりますと言えるかというと微妙だし、出来るかと言われれば首を横に振るだろう。だが、それでもやらなければならない事だ。

それが此処に置いてもらう条件であると、そう思っていたが故に、雛鳴子は家政婦という仕事に納得出来ずにいた。


「まさかお前、料理出来ないとか言うんじゃねーだろうな」

「そんなことはないです……けど、私本当に家政婦でいいんですか?」

「あ゛?」

「その……此処に置いてもらう以上、役に立つ仕事はすべきだと思うんです。出来るかっていうと分からないですけど……金成屋、でしたよね? そのお仕事のお手伝いとか、やらなくていいのかって……」


これまで自活出来ていた鴉が、わざわざ家政婦を雇う理由もないだろう。その彼のささやかな良心が、雛鳴子には引っかかっていた。ただでさえ借金があるのだ。これ以上の借りは、可能な限り作りたくはない。その後ろめたさが、雛鳴子を素直に頷かせなかったのだが――。


「お前は頭の中までボロ雑巾か? え、雛鳴子」

「い、いたたたたた!!」

「こんな絞りカス頭に任せられるほど、金成屋は甘くねーし、仕事に困ってもいねーんだよ」

「痛い痛い! わ、分かりましたからとりあえず離してください!! あ、頭割れる! 割れる!!」


俯きかけていた頭を掴まれ、その情け容赦のない力加減に雛鳴子が喚き、手足を暴れさせると、鴉がフンと鼻を鳴らし、手を離した。

掴まれていた部分が陥没しているのではないか。そんな痛みが後を引く中、鴉はわざわざ投げ捨てた新聞紙を手に取って、それを丸めた物で雛鳴子の頭をぱしぱしと叩いた。


「いいか、雛鳴子。俺は、お前が五年以内に一千万の契約金を返せば解放してやるとは言った。その為の仕事もやるとも言った。だがな、返済能力のないお前に見合わない仕事をさせて、得るはずの利益をパァにするとは誰も言っていねぇ。俺の言ってる意味が分かるか? その小せぇ脳みそで」

「つ……つまり、身の程知らずな発言してないで、出来る仕事をやっていけってことですか」

「ショック療法が効いたみてぇだな。そういうこった」


小馬鹿にするように口角を上げると、鴉は再びソファに腰かけ、テーブルの端に置かれていたリモコンに手を伸ばした。ブーンと古臭い音を立ててついた旧式のテレビは、電波が悪いのか物が悪いのかその両方か、画面にノイズが掛かっていた。


「まずは家事、雑務。稼ぎはその日凌ぎレベルだが、仕事をこなしながら生活して、時間を見繕って俺らの仕事を学べ。そっから力をつけて、それを誇示してみせろ。お前が仕事を任せるに足ると判断したら、相応の仕事をさせてやる。そうして契約金を返済してくプランでなら、お前がゴミ山のお仲間入りすることもなく、俺が五百万を無駄にする事もない。仮にお前が五年間飯炊きで終えて借金完済出来なくても俺は損しねーし、万々歳だろ?」

「……悔しいですが、そのプランでいかせてもらいます」


ノイズで掠れたニュースを眺める鴉の横顔を睨みつつ、雛鳴子は不承不承頷いた。

徒に命を危険に曝す事は、雛鳴子としても回避したい所であるし、この町には、命を落とすより酷い目に遭う事もある。今日から金成屋の仕事をしろ、とすぐさま言われる方が不運な話だったし、鴉の発言も紐解けば、「仕事が任せられるようになったらちゃんとやらせる」という事だ。

天は自分を見放してはいない。堅実に学び、力を培い、大きな稼ぎを得られるようになるまでは、その日暮らしの稼ぎで働く事を良しとしよう。そう己に言い聞かせた所で、雛鳴子はことんと首を傾げた。


「………俺、ら?」


つい聞き流しかけていたその言葉を呟く。先刻、鴉は確かに言った。時間を見繕って俺らの仕事を学べ、と。


「鴉さん、”俺らの仕事”って言いました?」

「言ったけど」

「………ここ、鴉さん以外にも人いたんですか?」

「そういや、アイツ昨日は集金でいなかったし、お前は知る由ねぇわな」


昨日一日、鴉が下の店に降りる事も、誰かが二階に来る事も無く。また、鴉が金成屋について詳しい話をする事も無かったので、雛鳴子は金成屋を鴉一人の店だと思っていた。
彼の性格からして仕事仲間、或いは部下として上手くやっていける人間がいるなど考えられなかったが、どうやら一人、従業員が居るらしい。

それについて掘り下げる前に、「まぁ取り敢えず飯」と話を遮られてしまったので、雛鳴子は渋々、ご丁寧に用意されていた白いフリルエプロンをかけて台所に立った。


冷蔵庫の中身は適当に使えと言われたので、雛鳴子は卵とハムを使ってハムエッグを作り、トーストと一緒に出した。ハムエッグの目玉焼きは鴉のリクエストで半熟にした。
黄身を潰さないよう気をつけながら、雛鳴子はハムエッグをトーストで挟み、大きく口を開けてもしゃりと齧り付いた。向かいで、鴉も同じような食べ方をしていた。


――普通に、ご飯食べたりするんだな。


至極当たり前の事に驚いたのは、この男が普通から程遠いからだろう。そんな事を考えながらもくもくと口いっぱいに頬張ったトーストを咀嚼していると、鴉がもう一人の従業員について軽く触れた。


「もう一時間もしない内には来る筈だからよ、一応顔合わせしとくか。浮浪児が入り込んだと思ってズッタズタにされたらアレだしな」

「……やっぱりまともな人じゃないんですね」


危うく喉に詰まらせかけたトーストを牛乳で流し込み、雛鳴子は眉を顰めた。

ゴミ町の住民。それも、鴉と働いているような人物だ。まともな人間ではないのだろうとは思ったが、不安だ。


――もう一人も、鴉さんみたいな人だったらどうしよう。


コップに残った牛乳を飲み干し、雛鳴子が深く溜め息を吐いたその時だった。


「鴉、もう起きているのか」

「!」


ガンガンと戸を叩く音と、低い男の声が聴こえた。

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