カナリヤ・カラス | ナノ





もし、この世に本当に神がいるとするのなら。

きっと、俺がこの世に生まれ落ちることなど、なかったのだろう。


「大地に御座す、慈悲深き母よ。其の胎に我等を抱き、豊穣と繁栄を与え賜う大いなる母よ。
我等罪の子、黒鉄の咎を購ない、生ある限り母を愛し、敬わん」


産声を上げることを拒むよりも先に、臍の緒に縊られるよりも先に、未熟児の内に腹から出てくるよりも先に。

俺という存在そのものが、この世に生まれてしまうことなど、なかったのだろう。


「汝、母の寵愛に拝謝せよ。汝、母の御身に還る迄、祈り捧げよ。
然すらば、地は我等に救いと安寧を与え賜う。我等、巫女と共に、この大地を崇め、奉らんことを此処に誓う」


だから俺は、神を信じていない。

俺という存在そのものが、生まれながらに言い聞かせられてきた慈悲深き神などいないという、その証明に他ならないのだから。






「さぁて、俺らの仕事は一先ずここまでだな」


宛がっていた双眼鏡を下ろして幸之助がそう告げると共に、甲板で呆けていた一同が、眼を覚ましたかのように首を舟前方へ向けた。

賞金稼ぎ達を撒いて、一時間弱。厄介な生物兵器に出くわすこともなく砂を掻き続けた舟は停まり、船首が指し示す先には、目的地――楽須弥の姿が見えた。

と言っても、其処に楽須弥という集落があることが視認出来る程度で、到達するまでまだかなりの距離がある。
それでも、幸之助がこの場に舟を停め、ここまでと言ったのはその手前。実に堂々と停泊している、重装甲の舟にあった。


「あ、あれ……もしかして」


鴉達がさっさと荷物を纏めて降りる仕度をしている中、ギンペーは戦々恐々と、血の気の引いた顔で、それを眺めていた。

彼以外誰一人として気にも止めずにいたのは、それがあって当然のものだとして、此処まで来ていたからで。
慄くギンペーに鴉は、相変らずカンの悪い奴だという呆れを含んだ声を投げた。


「もしかしなくても、都守の軍艦だ。そうでかくはねぇが、まぁ数十人単位でいるだろうぜ。A級戦犯・大条寺蓮角を捕まえようと待ち構える、屈強な軍人サン達がよ」

「うぇええええ、もう此処で俺らも帰りましょうよぉおお」

「そうしてぇのは山々だが、生憎契約条件は『こいつを楽須弥まで送り、本山奪還を手伝うこと』だからなァ。
ま、お前は帰りたかったら帰ってもいいぜ。ただし徒歩でな」

「分かりましたよぉ……行きますよぉ…」


情けない声を出しながら、手すりに捕まったまま崩れ落ちていたギンペーが、泣く泣く膝を伸ばして立ち上がると、金成屋一同と蓮角は、鉄梯子を使い、舟から続々と降りて行った。

ここまで、と宣言した通り、幸之助ら運び屋はそのまま舟に残り、鴉達を見送るべく、数人が甲板から顔を出していた。


「取り敢えず、明日の朝までは待っててやるよ。それ以上は死んだと見做して置いてくんで、よろしくー」

「了ー解。そっちも精々気をつけてくれや」


ギンペーからしたら、胃が痛む程におっかない会話を交わした後、一行は舟を離れ、楽須弥へと歩き出した。


楽須弥まではおよそ数キロ。そう大きくない砂丘を一つ越え、少し歩けば到達する。

砂丘を越えた先は砂が少なく、大戦前に敷かれた旧世代の道路が微かに浮かんでいるお蔭で歩きやすく、また、辺りに生物兵器の巣もない為、特に労せず進めるだろう。

しかし、問題は進行方向に構える、都守の軍艦だ。
あれがあって然るべき、と鴉達は捉えているが、あって困るのは同じことで。
一歩一歩進む度に近付く舟を見て、鴉はわざとらしく眉を八の字に下げ、語りかけるような独り言を零した。


「しっかし、取り戻すモンがまだ残ってるか、怪しいとこだなァ」


実質、それは、蓮角に向けたものに違いなかった。
敢えて独りごちるように言ったのは、鴉が、蓮角を試しているからだろうと、雛鳴子と鷹彦は感じ取った。

契約内容は、楽須弥までの蓮角の送迎と、御土真教本山奪還だ。
前者は無事終えたものの、後者、本山奪還という条件には、取り戻す本山があるということが無論、大前提である。

見ての通り、堂々と軍艦を着けられ、征圧された本山が、今も存在しているのか。
此処まで来た甲斐虚しく、破綻し、壊滅し、信者の屍と寺院の残骸だけが蓮角の元に残されているのではないか。
その可能性を改めて提示して、彼はどんな反応を示すのか。

否めない可能性を前に無視を決め込むのか、そんなことがある訳がないと激昂してみせるのかのか、考えもしなかったと驚愕するのか。
はたまた、それに対し何等かの考えがあるのか――。

彼の取るリアクションによって、この先、楽須弥で、金成屋が取るべき行動を決めようと、鴉はこんなことを口にした。


もし、鴉の言う通り、本山が完膚無きまでに潰されていようとも、ありのままに本山が保持されていようとも。
このプランをどのような形に成立させるのがベストなのか。それを定める為に、鴉は彼を煽った。

蓮角が見せる反応が、愚者のそれであったなら、彼は本山がどのようなものであろうと適当な理由をつけて、契約成立と見做し、
彼から残りの契約金を巻き上げて、さっさとゴミ町へと帰還するだろう。

だが、蓮角が一層眉を顰めながら返した言葉は、そうはさせんという確固たる意志に満ちていた。


「……本山を完全に潰せば、俺の足掛かりは一層掴みにくくなるだろう」


ざくりざくり、なだらかな砂丘を登りながら、蓮角は真っ直ぐに、目的地を見据える。
何が待ち構えているかも分からない、何が残っているのかさえ分からない、己の巣。そこに戻ることに、蓮角は、一切の迷いもなかった。

信じている、なんて綺麗なものではない。ただ彼は、確信しているだけだ。

理論で、計算で。危険を承知で取り戻すつもりの場所が、草の根も残らず荒らされていることはないと。
見くびってくれるなと言う様子で、蓮角は鴉の前に、持論を並べた。


「本山を保持し、俺が奪還に来るのを待ち構えるのが、奴らにとって最良の策だ。それに…あの地は、都の人間から見ても、相当の旨味がある。
余程のバカでなければ、徒に潰したりはせんだろう」

「ほーぉ」


鴉は改めて、感心したように蓮角を見た。だが間もなく、その眼はまた、彼を契約者として値踏みするものに変わり。
今度はにたりと笑いもせず、また、彼に直接問い掛けるようにして、鴉は口を開いた。


「そこまで読んでて、あそこに戻んのか、お前」


これは、再確認作業のようなものだろうと、雛鳴子達は感じた。

プラン実行に辺り、手が抜けない相手と見做した蓮角に対し、今度は、これでいいのかと、鴉は尋ねていた。


「契約してぇが為に黙ってたが……お前、わざわざ本山を取り戻さなくてもいいんじゃねぇの?」


今更、こんなことを言ったところで、契約は取り消せない。蓮角が何を言おうが、鴉は彼から残り二億を徴収するだろう。
その上で、蓮角に揺さぶりを掛けるような真似をするのは、契約条件が命を賭けるものだからだ。


「今回、俺の手を借りて奪還したところで、お前の首に一億懸ってる限り、御土真教がある限り、本山は狙われ続ける。そのうち、征圧が殲滅になったっておかしくねぇ。
だってのに、なんでお前はそこまであの場所に、御土真教にこだわってんだ?神様の為には、やってねぇんだろ?」


相手は、恐らく都守が数十人。鴉がいて鷹彦がいる現状、リスクが大きいとは感じられないが、万が一ということは常に寄り添う。
鴉や鷹彦程の実力者でも、戦闘がある以上、絶対の安全は保障されやしない。

そしてそれは蓮角も同様、いや、当事者である彼の方が余程、命を落とす危険性は高い。
契約に対し誤魔化しの利かない知能を有している彼ならば、そのくらい、重々承知だろうに。

何故彼は、鴉に大枚をはたいてまで、堂々巡りの中に飛び込み、火を点けるような真似をするのか。その利点は何なのか。
それを確かめて、鴉は、蓮角の最終評価を決めるつもりだった。

彼に対し、何処まで誠実を貫くのか。その匙加減を決定するつもりで尋ねた鴉に対し、蓮角は、少しばかし沈黙した後、答えた。


「……楽須弥に入れば、すぐ分かることだ」


その言葉と同時に、砂丘の頂上を踏んだ一行が目にしたのは、蓮角の想定通り、蹂躙された様子のない集落――楽須弥の姿であった。


「あれが……楽須弥」


此処から見下ろす限りでは、楽須弥は平穏無事そのものに見え。また、弾かれた民の集落にしては、楽須弥は非常に立派でなものだと、鴉達を驚かせた。

集落の殆どが旧市街の廃墟を利用している中、楽須弥は石造りの家屋を建てており、屋根瓦の朱色の鮮やかさが、壁の白に映えて実に美しい。
しかし何より、女神の恩恵を受けた地、と謳われるだけあり、各地に緑が根付いているのが、一番の特徴と言えた。


「すっげー……畑なんて、見たの初めてだ」


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