カナリヤ・カラス | ナノ


――嗅ぎ慣れた匂いが、頭に鈍痛を引き起こす。


「見ろ、×××。お前が背中を気にした結果がこれだ」


赤く、濁った、死の匂い。

積み重なった肉が、息を閉ざすような怨嗟を醸す。


「お前の判断で、背後にいた五人の兵士は永らえた。だが、その代償に前衛にいた三十八人の兵士達が死んだ。そして、前衛部隊が半壊したが為に、撤退をよぎなくされた他の部隊の兵士も、五十六人巻き添えになった」


無数の目玉で此方を睨むような、重苦しい空気が圧し掛かる。


「忘れるな。大義の為には犠牲はつきものだ。何も失いたくないなどという、腑抜けた甘えは捨てていけ」


何故お前が、生きているのかと。


「馴れ合いでは、何も得ることは出来ないのだからな」


今日も今日とて、亡霊共が囁きやがる。






「…………」


目覚めは、最悪。
原因は分かっている。昨晩、呷りに呷った酒のせいだ。

皇華國から来た友人に誘われ、コンパニオン達に囃し立てられ、調子に乗った。飲み過ぎた。
お陰で、頭は鈍器で撲られたように痛むし、酷い吐き気に、胸のむかつき。ついでに、昨夜の記憶が殆どすっ飛んでいると来ている。

自分が素っ裸で寝ている理由は覚えているのだが――さて、どの女と寝たんだったか。いや、昨日は何人まとめて相手にしていたんだったか。
そこさえはっきりしない程度に破目を外していたとは。我乍ら盛大にやらかしたものだと、鴉は頭を掻きながら、低い溜め息を吐いた。


女達はとうに引き上げているらしい。酒瓶が乱雑に散らばる荒れた部屋、乱れに乱れたベッドの上には、自分一人。
祭の後の静けさ、にしても侘し過ぎる光景だと、鴉は重い体を起こし、客室用冷蔵庫からミネラルウォーターを取出し、中身を一気に呷った。

喉が甚く焼けている。今なら、見事なデスボイスでヘビィメタルを歌いあげることが出来るだろう。
なんてことを考えながら喉を潤したところで、ひとまず汗を流すかと鴉はシャワールームに向かおうとして――そこで、鳴り響く携帯のコール音に足を止められた。

起き抜けプラス、二日酔いの頭にガンガンと、鬱陶しい程響く電子音。
昨日の内に切っておけばよかったと眉を顰めながらも、鴉は着信相手の名前を見て、致し方なく携帯を手に取って、応答した。


「よう。モーニング・コールか?それとも、ラブコールか?」

<おやおや?鴉さんったらまだ寝ているんですかね。受話器から寝言が聞こえてきます>

「ギンギラギンにお目覚めだっつーの」

<その割には、まだ眠そうな声をしてますけど……まぁ、いいです。おはようございます、鴉さん。といっても、昼過ぎですけど>

「昼過ぎぃ?マジで?」


電話の相手は、雛鳴子だった。

その声から察するに、この時間――時計を見れば、午後一時を過ぎていた――まで此方が寝ていることは、何となく予想していたらしい。
それでも、鴉が電話のコール音で起きたのではないらしいことを悟った雛鳴子は、鴉の機嫌を損ねずに済んだことに幾らか安堵しつつも、いずれにせよ、随分眠りこけていたのだなと呆れの色をふんだんに孕んだ溜め息を吐いた。


<その様子ですと、昨晩はハメを外して飲み過ぎて、泥のように眠りこけてたってところですか>

「ハメを外してハメまくってた」

<ふぅん、そうですか。では、これから舟のデッキに出て、全速力で飛び降りてください。そしてそのまま、砂漠のド真ん中でカラッカラに乾いて千年後辺り、バカのミイラとして発見されてください。それでは>

「待て待て。わざわざ電話寄越してきたっつーことは、何か用件があんだろ?」


自分がいない一夜に胸を痛め、寂しさから電話を掛けた、なんてしおらしい真似を雛鳴子はしない。

それに雛鳴子は、鴉が未だ休暇中であることも、そこに踏み込むことで彼の気分を害する虞があることも分かっているのだ。
その上で、彼女が電話を寄越してきたということは、何か重要な案件があるのだろう。
鴉は、シャワーは暫しお預けだと、火を点けぬままの煙草を咥え、ベッドの上に腰を下ろし、雛鳴子からの答えを待つと、受話器の向こうから僅かに、息を呑むような音がした。

それは何かの覚悟なのか。小さく鼓膜を打った音の意味を鴉が考えていると、ややあって、雛鳴子がたっぷりの諦念を乗せた声を吐き出した。


<…………お客さんです>


数秒間、沈黙。

どうやら、こうなることは電話を掛ける前から承知していたらしい。
雛鳴子がそれ以上何も言ってこないのは、此方が口が開くまでは敢えて何の言い訳もしないでおこう、と事前に決めていたからなのだと、口を噤んで待機しているであろう彼女の姿を浮かべつつ、鴉は携帯を宛がうのとは逆の耳を指で適当にほじりながら、気の抜けた声を返した。


「雛鳴子ちゃんよぉ。俺が今、どーいう状況か知ってるよな?オフだぜ、オフ。完全オフ」

<分かってます。それについて、あちらにも説明しました>


仕方なかったのだ。どうしようもなかったのだ。だから、何もかも理解した上で、泣く泣く電話してきたのだと、雛鳴子が額を押さえる姿が目に浮かぶ。

それでも、キッチリ計画を立てて獲得した休暇に、仕事の話を持ち込んで来るとは不粋じゃないかとシニカルな笑みを浮かべる鴉の顔もまた、雛鳴子の眼には見えているのだろう。諦め果てたような声が、幾らか不服な様子の響きを含み始めた。


<けど、納得いただけなかったと言いますか……金成屋の客ではなく、鴉さんの客として来たのだから、休みか否かは関係ないと押し切られまして>

「そんなエクストリーム傍迷惑な奴、俺の客だろうと金成屋の客だろうと塩ぶつけて追い出せ」


何処のどいつか知らないが、人の休みを邪魔する奴は、馬に蹴られたついでに馬糞の山に頭から突っ込んで死ね。

鴉は、自分の決めた休日を台風に掻っ攫われて堪るかと、一貫してお帰り願えの姿勢を崩すことなく、床に散らばった衣服を足で集めた。


――そういえば、替えのパンツは何処にしまったんだっけか。


自分の服に紛れて発掘された、昨日相手にしていた女の内の誰かの忘れ物らしい、豪奢かつ淫靡なランジェリーに、鴉が小さな口笛をヒュウと吹き鳴らした、その時。


<それが……まぁ、一応金成屋からは出て行ったのですけれど…………>


グンと目の前の景色が傾いたかと思えば、体が前から後ろへと力任せに引っ張られるようにしてベッドへと沈み込んだ。

舟が、何かの衝撃を受けて、大きく揺れ動いたらしい。

気の抜けた体を軋むスプリングに受け止められた鴉は、天井を仰ぎながら、一体何事かと事態の考察をしつつ、拭いきれぬ嫌な予感に眉を顰めた。

そんな彼の姿を目の前で見ているかのように、携帯電話の向こうの雛鳴子の声は、深い憐憫を込めながらも淡々と、窓の向こうに映るそれに顔を強張らせる鴉へと注がれる。


<……どうせあっちから来ることはないだろうから、迎えに行くと……鴉さんのいる舟へ>


――未だ、夢の中だというのなら、そう言ってくれ。


豪華客船の航路を遮るように佇む、見覚えのある黒い舟と、その船首に立つ女の姿に、鴉は携帯を放り投げ、ベッドの上で大の字になった。

もうこうなったら、どうにでもしてくれやと、自分によく似た笑みを浮かべる彼女に向けて言うように。


「どーりで、悪い夢を見る訳だぜ。畜生が」


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