カナリヤ・カラス | ナノ


本当の父の記憶は、殆どない。

物心ついた頃には母と二人、あの不浄の町にいて。ゴミ山の中の粗末なテント小屋で、娼婦をして日銭を稼いでくる母と、酷く貧しい暮らしをしていて。
それでも。母は私を愛してくれていたし、一人の時間はガラクタを弄っていればあっという間に過ぎたから、多少お腹が空いていることくらいしか不満は無かった。


(ごめんね、メレア)


でも、母は私にいつも謝っていた。


いつも一緒にいてあげられなくてごめんね。もっとお腹いっぱい食べさせてあげられなくてごめんね。柔らかいベッドが無くてごめんね。温かいお風呂に入れてあげられなくてごめんね。綺麗なお洋服を買ってあげられなくてごめんね。

お父さんがいなくて、ごめんね――と。


(私が、あの人の無実を証明出来たら、こんなことにはならなかったのに……)


母が謝ることなど、何も無かったのにと思っていた。

あの人は、いつも一生懸命働いて。客の男達にどれだけ乱暴に扱われようと、弱音も吐かず、涙も見せず、必死に私を育ててくれていた。

母が悪いことなど、一つもない。だから私は、母さえいてくれたら、何もいらなかった。――それなのに。


(ごめんね、メレア)


私が五歳になる頃。母の体が、病に侵された。

治療費なんてある訳もなくて。母を病院に連れていってくれる人も、いる訳なくて。
私はただ、布団代わりに敷かれたシートの上で、母が窶れ、弱り、死に向かっていくのを見ることしか出来ずにいて。

そして瞬く間に、その日は訪れてしまった。


(どうか……強く生きて。私と、あの人の分まで……お願い……)

(おかあさん、おかあさん)

(大丈夫……。貴方はあの人に似て器用で、賢くて……優しい子だから……)


骨と皮と化した体になりながら、それでも母は、私がこれから生きていけるようにと、懸命に腕を伸ばし、力無く頬を撫で、励ましてくれた。


(だからきっと、貴方のことを大切にしてくれる人と出会える。貴方は……一人ぼっちになんかならないわ)


それが、母の最初で最後の願い。

ならば頷く他ないだろうと、私がこくりと頭を下げたのを見守ると、母は逝ってしまった。


母の遺体は、テント諸共燃やした。
私の最愛の母の体も、彼女と過ごした家も、何者にも手を触れさせまいと。その日の内にゴミを漁り、見付け出したライターを使って、私は全てを灰にしてきた。

それは、自分を鼓舞する為だったのかもしれない。

もう私に、追い縋るものは何も無いのだと、燃え盛る炎を前に己に知らしめて。母の遺言通り、強く生きていくのだと、そう言い聞かせる為、私は思い出を焼き尽くした。


手に残る物、形ある物が何一つ無い、というのは悲しかったし、寂しかったけれど。お陰で私は、ただ我武者羅に生きようと思えた。

後ろは向かない。過去は求めない。生きる為に必要なのは、前を見据える逞しさなのだと。
私は、母が褒めてくれた生まれつき持っていた機械いじりの腕を使って、どうにか生き延びていこうと自分を活かせる場所を求め、ゴミ町の中を転々と歩いて、歩いて、そして――。


(お前……腹減ってねぇか?)


当てもなくフラフラと彷徨い続けた果てに、私は直せばどうにか使えそうなオーブンレンジを見付けて。
誰に頼まれたでもなく、それをまだ必要としている人がいるような気がして。何となく、拾った道具でいじくりまわしていた時だった。

物音に気が付いて店から出てきたあの人に、声を掛けられた。


(俺にもな、お前くらいの娘がいたんだ。なんでか、腹空かせたお前の顔見たら思い出しちまってな)

(お前、行く宛がないなら、うちにいていいぞ。なぁに、オンボロオーブン直してもらった礼だ。あいつの定期メンテと、他のモンの修理台……飯やら何やらと引き替えってことでどうだ?)


無我夢中で出された食事を掻っ込んでいた私が、大慌ててで返事をしようと、口の中の物を必死で咀嚼する中。あの人は「ゆっくり食っていいぞ」と、笑いながら頭を撫でてくれて。
私は、ああ、お父さんってこんな感じなのかなぁと、母を亡くしてから初めて、心の底から笑うことが出来た。


(メレア、飯出来たぞ!手洗ってこい!)

(だっははは!お前、機械の腕はピカイチだが、料理はさっぱりだな!)

(おい燕姫、開けろ!!うちの娘がひでぇ熱なんだ!!金なら出す!早く診てくれ!!)

(出てけ出てけ!!メレアに色目使うような奴に出す飯はねぇ!!)

(誕生日おめでとう、メレア。今日はお前の好物のフルコースだ!!)


本当の父の記憶は、殆どない。

だから、私にとってあの人は、本当の父親も同然で。


(俺ぁ、当時第六地区に住んでいたゴロツキで……あの事件で家と娘を失った)

(契約変更だ。俺の財産、全てくれてやる。代わりに、今すぐあの鉄クズを持ち出した奴を、引っ張り出してこい……ってな)


だけど、私の本当の父親は、あの人の仇も同然、で――……。


「おはよう、幌向メレア。気分はどうだ?」


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