カナリヤ・カラス | ナノ



その鳥は、狡猾にして獰猛。
不幸を運ぶ不吉の象徴、死の使い。ゴミ山を飛び交い、死肉を啄む汚れた鳥。

関わってはならない、眼を合わせてはならない。
赤い眼に入ったが最後、逃れることは出来はしない。

ゴミ町に生きるその男は、忌み嫌われる鳥と同じ名前をしていた。


そんな彼の巣に居付いて、気が付けばもう三年が経過していた。







「た、頼む……頼む!!もう…や、やめてくれぇ!!」

「やめてくれ?まぁよくもいけしゃあしゃあとそんなお願いが出来たものですね。いっそ感心しますよ、その図々しさ」


氷柱を突き立てるように冷たくそう言い放つと、少女は縛り上げられて身動きも取れず、床に転がって喚く男の前で、箪笥の戸を次から次へと開けた。

湿気と木の匂いがむっと漂う中へ手を突っ込んで、其処から物を選別し、不要なものは容赦なく床へ落とし、
お眼鏡に適った物は肩に引っ提げた布鞄への突っ込んでいく。

いっそ機械的なその作業に、芋虫のようにのたうつばかりの男は、大層大事に仕舞い込んでいた物が少女の鞄へと消えていく度に、情けない悲鳴を上げた。

その様子を、全く煩わしいという目をしながらも、少女は聞く耳を持たず。男の私物の中で金になりそうな物を手に取っては見定める作業を繰り返している。
どれだけ男が縋り付こうとも、一切の情を見せることなく、箪笥の中身は換金されるか否かの査定にかけられていく。


「あああぁ、頼む!そ、そいつだけは……」

「いい時計ですね。そんな反応されるのも頷けます。まぁ、大した金額にはならないでしょうけど、不足分のタシには…」

「やめてくれ!それは親父の形見で………」

「だから、なんだって言うんですか」

「グっ」


這うようにして抗う男が全て言い終える前に、少女はもう何も言うなと言わんばかりに、男の頭を踏みつけた。

古い畳にめり込ませる勢いで、足に全体重を乗せて。少女は頬骨を軋らされる痛みにすら喚くことが出来ない男に、心底嫌気が差した様子で声を掛ける。
四十を越えているだろうその男に対し、まるで母親が出来の悪い子供に言い聞かせるかのような。そんな調子で。


「いいですか、きちんと言われたプランを遂行さえしていれば、こうはならなかったんです。
やめてくれだなんだ騒いでくれてますが、全ては貴方の責任であり、私に縋るのも糾弾するのもお門違いなんですよ」


物を知らないことを憂いる反面。何故分からないのかという呆れを含み、苛立ちを交えながらも、見捨てては置けない。
そんな声色で、少女はこのどうしようもない大人に、状況を思い知らせるべく、更に足に力を入れて、続けた。

小娘を前に育とうとしている抵抗の芽。それを一切の容赦もなく摘み取る為に、彼女は男が目を逸らせないように暗がりを押し付ける。


「いい加減自覚してもらわないと、貴方は今後も負の返済サイクルに嵌っていき、お父さんの形見よりも大事なものを差し押さえさせられることになるんです。
完済の為にも、もう甘い考えを持つのはやめてください」


今感じる痛みは、逃れようのない苦しみは、全てどうにかなるだろうなどと考えていた彼自身の甘えが招いたものだ。

現実を見据えず、楽観視し、勘違いをした結果。彼は心身共に痛め付けられることになった。
そう、今彼が味わっているのは、少女が叩き付けているのは、教訓だ。


気を緩めれば崩壊し、深刻さを欠けば深手を負う。そういう現状に男は立たされているのだと、少女はそれを教え込む為に、こんな手段を取っていた。

借金を抱えておきながら、未だに救いがそこらに落ちていると思い込んでいる男が、これ以上深みに転落しないようにと。
最小限でも確かな痛みを与えることで、少女は説いていたのだ。


「貴方が契約してしまった人間は――あの人は、決して救世主様なんかじゃないんですから」


悪魔のようなあの男の手を借りた瞬間から、もう何処にも逃れられはしないのだ。

ならば、せめて指し示された最短の道を正しく行き、余計な傷は作るなと。
少女は――雛鳴子は、自身の背筋を伸ばしながら、みっともなく落ち込む男に、そう言ったのであった。





「ん、んーーー……」


幾らか金品の詰まった集金袋を肩に引っ提げたまま、雛鳴子はぐっと腕を伸ばした。

本日の集金はこれで最後だ。後は金成屋に戻って、報告や書類整理をすれば、今日の業務は終わる。もうすっかり習慣となってしまった、借金完済の為の仕事が。


「……はぁ、思ったより時間掛かったなぁ…」


雛鳴子が金成屋の仕事を一任されるようになって、随分経つ。

最初は手探りで、それから鷹彦や周囲の教えを受けて、聳え立つ壁の向こう――ゴミ町で、雛鳴子は金成屋の看板を背負う一員となった。
未だ任される業務などたかが知れている程度だが、それでも、あの町に逃げてきたばかりの頃に比べれば、手に入る収益は大きく上がった。

その分、失敗時に喰らうリスクもまた、年々肥大化を遂げてきているが、雛鳴子はそんな生活に、日々馴染みつつあった。

当初は立会人付きで行っていた集金も一人でこなすようになり、それどころか、新しく加入したメンバーの教育まで任されるようになった。
始めたばかりの頃は躊躇っていた差し押さえや実力行使も、今や迷いなく行うことが出来る。掛けるべき情けを見極めることも出来る。

経験を積んで、毎日を重ねて。彼女は確かに成長していた。金成屋の下働きとして、鴉の所持品として。雛鳴子は、着実に育ってしまっていた。


(俺はまな板体型に興奮するようなロリコンじゃねーからな。五年は待ってやるサービスまでついてんだ。
それまでの生活も保障してやるこの超破格待遇に文句があんなら、今すぐあのヤクザ共のとこまで走って五百万取り戻してこい。
そして中年オヤジに首輪つけられながら、キャンキャン鳴いて一生を終われ)


三年前、そう言って此方を追い詰めた男――鴉。彼の手から逃れるべく、鳥籠の世界から脱出する為に、雛鳴子は啖呵を切った。
鴉が五年待つというのなら、その五年で借りは全て返してみせよう、と。

そう発破を掛けて、苛烈を極める生活に身を置いて。もう、三年が経ってしまった。


契約期間は半分を過ぎ、金成屋の仕事で収入が上がったと言えど、反面高まったリスクに苛まれ、思うように借金は減らない。

時に諦めた方がいいのかと思うまでに負債が膨らみ、かと思えば、思わぬ幸運でどうにか乗り越えられそうな利益を得たり。
そんなことを繰り返して、確実性のある前進を出来ないままに、今日を迎えてしまっている。


人の皮を被った悪魔だ鬼だと罵る男の傍にいて、毒されて。気が付けば、もう三年。

光明は見えないが、真っ暗という訳でもないグレーゾーンに立って、雛鳴子はふと、空を見上げた。


生まれ育った町…というには幾らか離れた場所だが、同じ第六地区という括りを持つ町の空は、最後に此処の住人として見た日と、何等変わっていない。
浄化と汚染を繰り返す空は、ただ其処に、頭上に広がっていて。それを、犇めく掘っ建て小屋やアパートの影が食んでいる。

かつて狭いと思ったその空が、心なしか更に狭まったように感じるのも、その青さが霞んでいるように思えるのも、此処が変わったからではないだろう。

変わったのは、此処ではなく、雛鳴子自身だ。


この貧しい土地を離れて、これまで自分が地獄と思っていた場所は、まだ血の池の浅瀬だったのだと感じるようなあの町に居付いて。
其処であらゆる不条理を目の当たりにして、雛鳴子は変わった。変わってしまった。

決して望んではいけない方向へ、踏み込めば戻れない状態へ、彼女は羽を伸ばしつつある。


未だ未熟ながら確かに、日増しに大きくなる異端の翼。自由を求め、その為に非情にも外道にもなり得たそれが、空を飛ぶのか、それとも無惨に叩き折られるのか。
それはあと二年経たなければ分からないが。ともあれ、雛鳴子はもう、普通ではなかった。

あの町に、あの男に毒されて。何に手を染めようともある一線だけは守っているが――その時点で、彼女は立派に異常であった。


「……あの、どうしました?」


例えば、こんな風に道で明らかに困っているという様子の男に声を掛けてみても、だ。

こんなささやかな善行では拭い切ることなど到底叶わない程に、彼女はどうかしているのだ。


「見た感じ、此処の人ではないですよね。見ての通り、此処らは治安よくないので……道に迷ってるんだったら、案内しますよ」

「………見付けた」

「……はい?」


その規格外の美貌という点だけなら、最初から。


「君こそが……君こそが僕の妻に相応しい!!是非、この僕と結婚してくれ!!」

「………………はい?」


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