カナリヤ・カラス | ナノ




戦争が無いだけこの時代は恵まれている、兵士にならなくても良い社会に感謝をしろ、我々の生活を支える技術を産んだ先人を讃えろ。

お偉い方の作った教科書はそう説くが、この世界の何をどう見て、そんなことが言えたのか。


国を丸ごと呑み込む程の大戦がないだけで争いは絶えず勃発し、社会は兵士の代わりに奴隷を作り、偉大なる祖先の技術により齎された弊害は多くの悲劇を育んでいる。

そんなことを知らない子供でさえも、この世界が、現状が、先代の過ちの末路であることを悟り、やがて顔を知らない祖先へとささやかなる憎悪を抱くのだ。


何故世界をこんなものにしてしまったのか、と。


(――触っちゃ、ダメ)


言い訳と詭弁を振り翳す教科書の無意味さを感じながら、枯渇した世界と乾いた人々を見て、やり場のない静かな怒りと途方もない虚しさを声なき声にして。
今の世に生まれ落ちた人間は、穢された空の青の下で、灰と化した血肉の上で、慟哭の時を待つように生きる。

その身に、その心に、大戦の爪痕が、戦火の呪いが刻まれていることを、惨劇により痛感する時まで。


(ダメよ、ハチ……死んじゃうから)


醜いこの世界は、それでもきっと自分にとっては平穏なものだと。そう他人事のように思いながら、迫る爪から目を逸らしていくのだ。


「――ゾー……ハチゾー………ハチゾー!」




はっと弾かれたように、いつの間にか随分引いていた顎を上げると、ワックスで逆立てられた派手な髪が大きく揺れた。

その大振りな動作たるや、まるで温室ビオトープの中で小動物を乗せた熱帯の復元植物――ヤシの葉のようだ。
呆けていたハチゾーに対し、僅かに声を荒げた燕姫は、そう思った。

動作に限らず、目の前の男はかつて世界で熱帯と分類されていた地域に群生していたという植物を彷彿とさせる。
派手な色のスーツの下に着たアロハシャツにプリントされた柄も、図鑑によれば確か熱帯に咲いていた花であったし、何よりハチゾーという男の性格が、それらしいのだ。

暑苦しいまでの明るさだとか、異常とも言える目立ちたがりっぷりだとか、邪魔臭い位の大らかさとか。そういうところが、実物も知らぬ燕姫にすら、それっぽいと思わせる。


最も、そんなことを本人に言う気などまるでないし、その解釈も間違っていたのかと、つい先程まで僅かながらに項垂れていたハチゾーを見て、燕姫は思った。


「……あー………何?燕姫ちゃん」


訝るように睨む此方に対し、ハチゾーはニカッと、視覚的に騒がしい笑みを浮かべた。

人の笑みに対して騒がしいなどと感じたのは、ぎらぎらと染め抜かれた彼のライムグリーンの髪のせいか、にぃっと吊り上げられた大きな口のせいか。
それとも、これが形作られる寸前まで、彼の表情が陰っていた相乗効果なのか。

何にせよ、この男が陽を失ってしまったかのように撓垂れていたのは確かなことであった。


「…貴方から今日の会合を提案しておいて、それはないんじゃないかしら。私は忙しい中、どうにか時間を作ってきたっていうのに…その時間を使ってしていた話をまるで聞かれてないだなんて」

「わーーー、ごめん!!ごめんって燕姫ちゃん!!ちょい俺には難しかったみたいでよ、キャパオーバーしてたっつーか!」

「……はぁ、もういいわ…。私の方から言えることは、暫く色よい結果は出せないってことだから」


燕姫は相変わらず低血圧の抜けない溜め息を吐いて、持参した書類を茶封筒へと戻した。

そしてそれを向かいのソファに腰掛けるハチゾーの前に出すと、燕姫は見た所で理解出来ないだろう資料と、結果だけを簡潔に述べた報告書を前に、また僅かに沈黙した彼に息を吐いた。


いつもは頼んでもいないのに、寧ろ逆に静かにしてくれと言っても喋繰っているこの男が、いざ話すのを止めると、それはそれで頭が痛くなった。

それはハチゾーの不調に対する憂慮からではなく、彼が見せる陰りの裏に潜むものに対する危惧から発生した鈍痛であった。


「貴方が仕入れてきたオオトリ製薬の研究情報を見て、得たものは大きかった。けれど…これを実用化に持っていくには、未だ足りないものが多いわ。
情報もそうだけど、機材、時間、場所、人材……この辺りは福郎会長に相談しないとどうにもならないし、会長に話が出来るだけの下準備にも当分届きそうにはないわ……」

「ごめんなぁー。俺もこれでもかーなり頑張って集めたんだがよー、やっぱ政府絡みの機関ってなると手強くって」

「分かってるわよ。あれだけの情報、寧ろよく引き出さたものだって…研究者からしたら一目瞭然……だからこそ、気になるわ」

「……気になる?」


口調とは裏腹に、サングラス越しのハチゾーの眼が鋭くなったのを感じ、燕姫は確信した。

ハチゾーから渡された、件の――桃源狂の研究をしていた機関の情報を目にしていた時から感じていた疑問。
それに対し自分が張り巡らせていた予想が一つ、当たったということを。


「…秘密保守も商売にしてる貴方でも、隠しきれないことはあるのね」


燕姫は自身の傍らに置いていたアタッシュケースから、札束を二者を遮るローテーブルの上へとドスドスと落とした。

その一つ一つ、一つを作る一枚一枚が、全て燕姫からハチゾーへと譲渡される報酬だ。


やられっぱなしで、損害を出されたままで腹の虫が治まらないと、燕姫は己の私財を擲って、ハチゾーにオオトリ製薬を調べさせた。

歴史の闇と共に葬られた薬物を、それを服用していた人間の髪の成分から復元する。
その高等技術を我が物とし、新たな方向に応用すれば、必ず大きな利益を生む筈だ。そして、自分はそれを成し得ることが出来るに違いない。

遠回しながらもこれ以上とないその復讐計画を、より手短に執行する為に、燕姫はハチゾーに情報を盗み出させた。


例え相手が政府の庇護を受けた組織であろうとも、そこから機密情報を引き出すことにかなりの投資が必要であろうとも。
必ず最後に自分は勝利すると、その自信があるからこそ、燕姫はハチゾーに依頼した。


だが、どうにも事は、彼女だけの問題ではない様子で。それを嗅ぎ取ったからこそ、燕姫はハチゾーが隠し損ねたものを暴き立てにいった。

彼が見られまいとしているものが、自分にとって牙とならないものか。それを見極める為に。


「依頼じゃなく、お願いとして教えてもらうわよ。この程度の報酬で、貴方はどうしてここまで調べてくれたのかしら……ゴミ町四天王、ミツ屋のハチゾー」


燕姫が気掛かりにしていたのは、通常であれば歓迎されるだろう、ハチゾーの報酬以上の働きにあった。


そう、普通なら、差し出したものよりも大きなものが返ってきたのなら、人はそれをサービスとして受け取り、手放しで喜ぶべきなのだ。

しかし、燕姫にとっては、差し出したものも、返ってきたものも、取引をした相手も場所も、何もかもが異常で。
今テーブルに積まれている札束に見合わぬ程に集められた、研究者の眼からしても偽りはないことがはっきりと分かる情報は、すんなりと受け取ることは出来なかった。


気まぐれだろうと済まし、呑気にしていれば首を掻かれ兼ねない立場にいる彼女だからこそ。
そういうことを平然とやってのけるだろうハチゾーが相手だからこそ。この不等価交換の詳細を、ハチゾーが隠している何かを、洗い出さねばならなかった。


「情報なんて不確かなものを商売にしていながら貴方がここまでのし上がってこれたのは、仕入れた物の真偽を見定め、それに幾らの価値があるか適確に見抜く判断力に長けていたから。
貴方の強みは、ある意味では鴉や私なんか比にならない程の、揺るぎ無いその徹底ぶりにあるわ」


燕姫の指摘通り、ハチゾーが生業としている商売は、情報をあらゆる形で売買するもので、寸分の誤りも許されない危険物である。
札束に目配せし続ける金貸しより、人の命を扱う病院より、後片付けに追われる掃除人より、情報屋というのはハイリスクで、不安定だ。

何処から仕入れれば間違いがないのか、その品の為に幾らを支払うべきか、そうして入手したものをどう保管しどう使うべきなのか。
少しの判断ミスが金どころか命をも落とす商売をしていながら、それを成功させ、ゴミ町の頂上にまで登り詰めたのは、やはり燕姫が言う通り、ハチゾーが徹底していたからであった。


蛇口の開け閉めを調整するかのように、金によって情報を流したり、敢えて溢れさせたり、逆に一滴たりとも漏らさなかったり。
その基準を自身の判断に則って決めて、がっちりと固めたルールを遵守していたからこそ、彼は今此処にいて、その名を有している。


だというのに、だ。今の彼は、自ら積み上げたその基盤を蹴って、燕姫に報酬不相応の情報を渡した。

それが意味するのは裏切りなのか、それとも別の何かなのか。その不安があるからこそ、彼が警戒しなければならない相手だからこそ、燕姫は問い質した。


「誰よりも信用ならない癖に、一定の信用を得なければ上がることの出来ない地位にまで登り詰められたのは、貴方が自分のアセスメントに対して一切の妥協をせずにいたから。
価値判断へ対する姿勢だけは真っ直ぐで誠実であったから。その一点に於いては信頼が出来ると、この町が認めたから。
そんな貴方にっとって……大戦薬物復元技術は、報酬に見合わない情報を仕入れることも厭わない程に欲しいものなのかしら?」


さぁ化けの皮があるなら剥がせ、と言わんばかりの、剃刀のような視線がハチゾーを見る。


燕姫は言った通り、誰よりも信頼ならないハチゾーのことを、その判別能力以外については信用していなかった。

金さえ積まれれば容易く手のひらを返し、自身が流したもので場が混乱に陥れられようとも、
そこにまた売り込む情報を探しにいくような男に、保証がついているところと言えば、その能力しかないのだ。


だから、その唯一の信頼点を覆い隠す物は取り払えと燕姫は眼で訴えるが、返ってきたハチゾーの反応は意外なものであった。


「……あって困るもんじゃぁねぇとは思うんだけどよぉ………今は、あっても仕方ねぇかなぁ」

「………………」


てっきり、適当なことを言って場を濁そうとしてくるとばかり思っていたので、燕姫は思わず固まった。

何処か気恥ずかしそうに頭をがしがしと掻くハチゾーの態度と、彼の言い分。それが一体何を意味しているのか、彼女には予想も理解も出来なかった。


蛇口を不用意に緩めれば、自分の首が絞まるということを誰よりも分かっている筈のハチゾーが、こんな適当な理由で自分に情報を受け渡したことが、想像の範疇を越えていたのだ。

あの言葉の裏には、彼なりの思惑や意図があることには違いない。だが、それを聞く気が、燕姫にはまるで起こらなかったのだ。


「い−や、なんっでーもないっ!!取り敢えず、俺の方も忙しいから、この件についてはゆーっくり調査してくことにするぜ!」


誰より信じられないくせに、疑心を抱くことが馬鹿らしくなる。そんな顔をして、そんなことを言われては、何の為に警戒してきたのか分からなくなる。


燕姫は、此方の返答も待たずに金を持って、さっさと応接室から出て行ってしまったハチゾーを、ただただ見送ってしまった。

結局彼が考えていることなど分からないままに、燕姫はまた、深く溜め息を吐いた。
その後ろでは、出番もなく仕事を終えたワタリが、くぁと大きな欠伸をしていた。


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