カナリヤ・カラス | ナノ


時が過ぎ、日が経つ。その当たり前の流れの蓄積を未来への進展と取るか、終末への一歩と取るか。

それは人の気の持ち様で変わる価値観であろうが、およそ前者は先に期待が持てる者。後者は目に見えるところまで絶望が迫ってきている者が抱く感覚だろう。
しかし、中には限りなく後者の身でありながら、前者の思考を持つ者もいる。それを人は、お気楽。或いは阿呆と呼ぶ。


「さぁ、皆さんお待ちかね。今日は月末、給料日だぜ〜」


鴉が懐からでん、でん、でんと三つ、厚みの差に大きく違いのある封筒を置くと、彼のデスクの前に並んだ三人がそれぞれ表情を変えた。

他の二つとは比にならない厚みの袋を貰い受ける鷹彦は、もう月末かと言いたげな何とも言えない顔で煙草を吹かし。
収入が入ることの喜びを、また一つ死刑宣告が近付いてきたことへの憂鬱に塗り潰される雛鳴子は、どんよりと沈んだ顔で給料袋を見詰め。
残った一人、ギンペーはというと。


「おおおおおお!給料日!!」


人生初の給料というものに、眼をこれでもかと輝かせていた。


「イエース。この世で最も尊ばれる、神様のバースデーよりも神聖な日だ。己の能力がこうして手に取れる感動を握り締め、来月への労働意欲へと繋げるターニングポイントとも言うなァ」

「おぉおお!」


雛鳴子は隣で、感嘆の声しか出せていないギンペーを見て、深く溜息を吐いた。


思い返せばギンペーが、豊かさと安寧が保障されている第二地区から、この世の汚濁が集まるゴミ町へとやってきたのも約一ヶ月前になる。

過ぎてしまった日々を再認識すると、時間が経つのはこうも早いものか、というやる瀬なさが湧いてくる。
だがそれ以上に、五年中の一ヶ月を失ってしまったことへの危機感をまるで感じていないギンペーの呆れが上回って、雛鳴子は溜息を吐いた。

ギンペーは、元の身分こそ雛鳴子と雲泥の差だが、此処ゴミ町に流れ着いてからの立場は同じだ。
どうしようもなく追い詰められた状態から抜け出す為。目の前で悪魔のように笑う男、鴉から半ば強制的に契約を結び、五年というタイムリミットの中で、負債をきっちり返済しなければならない特別契約ルールの囚虜。それが今の二人だ。

期限内での返済が不可能となった時点で、雛鳴子は鴉の性奴隷。ギンペーは実家に戻って、自身が継ぐ予定だった工場の権利書を献上というペナルティ。
そのリスクの代償に、彼女達は鴉のもとで働き、賃金を得ることを許されている。

鴉から与えられた仕事を着実にこなし、それに見合った額の給与が与えられ。
月末にそのトータルの金額と、個々の生活費等から返済に充てる額が鴉の手により算出され、弾き出された数字が彼女達が自由に使える給料として、今のように手渡されるのだ。


「おぉぉぉ、すっげー!俺、給料もらうの初めてだ!」

「だろうなァ。ま、せいぜい大事に使い道考えろよ」

「ういっす!」


よって。まだ雑用と同行付きの集金という、大きな危険こそないが、額もたかが知れている仕事しか許可されていないギンペーの給料袋は、鷹彦と比較すると悲しい程に薄っぺらい厚みであったが。
自分で金を得たことのないギンペーにとってそれは、これ以上となく価値のある幅であった。

まるで卒業証書でも受け取るように、恭しく両手でそれを受け取ると、ギンペーは宝物を得た子供の如く、給料袋を眺めていた。


――三年前、自分が初めて給料を得た時。自分はこうも素直に喜べなかった。

ギンペーの喜び様を見ていると、雛鳴子は自分がとても汚れたもののように思えてきて。情緒なく開けて枚数を確認した札を、押し込めるように袋へと戻した。

その様を見てにたにたと笑ってくる鴉がまた、とても不愉快であった。



「どうしよっかなぁ〜」


給料が朝一番から手渡されたものなので、舞い上がりっぱなしのまま昼休みを迎えたギンペーは、締まりのない顔で給与明細を見ていた。

正当性が目に見えるようにと、給料袋には手書きの明細書も同封しているのだが。
金を一々取り出すのが憚れる者にこうして使われるとは意外だと、紫煙を吐き出しながら鴉はクククと笑った。


「家賃と生活費を引くと、自由に使える額は限られてくるし…それをどう使うかが大事だよなぁ〜……悩むなぁ〜」

「カカカ。実に有意義で健全な悩みで、何よりじゃねーの」


デスクで適当に雑誌を捲っていた鷹彦も、その通りだと言葉もなく同意した。

今の鴉や鷹彦は入ってくる金額の大きさが、幾ら使えば問題になるのか細かに考える必要性もない程のものなので、ギンペーの悩みというのはある意味羨ましいものであった。
金の使い道というものを考える時というのは、その金を手に入れるまでの労力や苦労が大きい程、楽しいものである。

何を考えずとも、欲しいものがおよそ入手出来るというのは、それはそれで幸福なことであるが。有り難味を噛み締めるように、何に幾ら投じるのかを考えるというのも、また別種の幸福感があることを、二人は知っている。

今でこそ大きな利益を得ている彼等だが、元はギンペーのように限られた賃金でやりくりしていたのだ。何を買って何をしようと綿密に計画立てる、最早懐かしい感覚に、懐古感すら覚える。
もう自分達にはその感覚は戻らないだろう。というか、戻ってきては困る。矛盾しているが、二人はギンペーの悩みが少しばかしだが、羨ましく思えた。

そんなことは露知らず、ギンペーは脚をばたつかせ、必死に初給料の使い道を考えていた。


「服とかは此処に来てから結構買い揃えたし…ゲームはまずハードから買わなきゃいけないし……うーーーーん」


元が恵まれていたギンペーには、実に難しい問題であった。

湯水のように溢れている親の金をいただき、それを好きなように使っていた彼は、その若さもあり欲しいものが多い。
洋服、ゲーム、漫画、好きなアーティストのCD、エトセトラ。娯楽の数だけとまではいかずとも、興味を引かれるものは手に余る程溢れている。

そこから何を選び、何を諦めるのか。その取捨選択をしたことがないに等しいギンペーには、思ったよりも深刻な問題であった。しかもこれが初給料となれば尚のことだ。
もう二度と付かない初というブランド。その重みが決断をまた鈍らせてくる。特別というのは素晴らしことだが、故に扱い難いものである。

その悩みっぷりが余りに分かり易いものなので、鴉と鷹彦は揃ってふっと吹き出した。
と、そこで。そういえばこんな状況を、いつぞやも見たなという記憶が二人の脳裏に過った。


「そういや、雛鳴子もこんな風に悩んでたな。初給料の使い道」

「あぁ。デスクに沈没する程ではなかったが、彼女も相当悩んでいたな」

「雛ちゃんがっすか?」


ギンペーは意外だ、とゴーグルの下の眼をぱちくりさせた。

言って少し虚しいが、自分よりも年下でありながらしっかり者で賢い雛鳴子が、何を買おうかということに躍らせれているイメージが彼の中には無かった。
その雛鳴子は現在、二階で昼食を作っているので、本人に確認は出来ないが。鴉だけでなく鷹彦もそう言う以上は真実だろう。


「そう。やっぱり初めてだから自分の景気付けに使うべきか、それとも貯金に回すかってなァ」

「悩みに悩んだ結果、小麦粉やら何やら買ってきて、ケーキを作って出してきた時は驚いたものだ」

「ケーキ、」

「てめぇへのご褒美と、”一応”俺らへの感謝への気持ちにってな」


雛鳴子がいないのをいいことに、鴉は当時を思い出して、非常に愉しそうに笑っていた。

頭を抱えて相当悩んだ結果、二度とない初給料で材料を買い込み。群雄闊歩の足取りで台所へ向かったと思えば、ガチャガチャと泡立て器を動かして。
鴉と鷹彦を前に、贅沢に苺を持ったショートケーキを出してきた、幼い日の雛鳴子。

あの時の何とも言えない気恥ずかしそうな顔と、言い訳がましい言葉に、当時腹を抱えて笑ってしまい、危うくケーキを顔面に浴びせられるとこだったのも、懐かしい記憶だ。
真っ赤になった雛鳴子の向かいで、吹き出すのを堪えながらケーキに舌鼓を打っていたのも三年前。もうそんなに前のことになるか、と鷹彦も静かに笑った。すると。


「そっか……それだ!」


ガタン!と音を立てて、デスクに沈んでいたギンペーが勢いよく立ち上がった。
一体何のこっちゃ、と眼を見開く鴉達を余所に、ギンペーは一人、ようやく出てきた答えをうんうんと噛み締めていた。

鴉と鷹彦は顔を合わせ、何事だと視線で会話してみたが、揃って互いに肩を竦めて終わった。それと同時に、事務所の引き戸がガラリと空いた。昼食を作り終えた雛鳴子である。


「……どうかしたんですか?」

「ううん、何でもない!」


怪訝な顔をして首を傾げる雛鳴子を前に、ギンペーはにっこにっこと笑顔を浮かべた。
給料を貰ってから大体こんな調子でこそあったが、仕事を挟んで多少なり落ち着いていた筈の彼が、少し場を離れていた間にテンションを再上昇させているのがどうにも解せない。
雛鳴子は頭に?を浮かべながらも、ぼさっとしているとせっかくの昼食が冷めるとメンバーを二階へと招いた。

今日の昼食は、胡椒を利かせたレタスチャーハンと、卵スープだ。
それを食べ進めている間も、ずっと笑みを曇らせなずにいたギンペーの企みは、三人が尋ねることもなかったので彼にしか分からなかった。


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