カナリヤ・カラス | ナノ



私はいつも、誰かの背中を追いかけていた。


「待って、鴇にぃ!…待ってよぉ!」


足が遅くて、鈍臭くて、置いてかれないように必死について行くのが精一杯で。


「分かったから、早く来いよ夕鶴」


そんな私をいつも待ってくれたのは 手を伸ばしてくれたのは、貴方だった。




「……はい、これで終わり」


ふぅ、と低血圧さを濃縮したような吐息と共に、燕姫は事務椅子を回して、デスクに向かった。
カルテとボールペンを手に取った彼女が向いていた先では、腹に包帯を巻いた鴉が診察の為に脱いでいたシャツのボタンを留めている。

時刻は午後二時、場所は安樂屋にて。鴉は、先日鴇緒にお見舞いされた傷の手当を受けていた。
といっても、終わりという言葉の通り。今日で治療は完了であった。

肋に罅を入れられ、あちこち裂傷を負っていた鴉だが、抗争から五日経った今、ほぼ本調子というようにピンピンしていた。

鷹彦らに担ぎ込まれてきた時は「肋逝った肋逝った」と譫言のようにぼやいていたくせに、だ。


「相変らず、どうかしてる治癒力ね。あのまま放っておいても一週間したら普通に治ってたんじゃないかしら」

「んな訳ねぇだろ。人の肋を蜥蜴の尻尾と同じにすんな」


鴉はシャツのボタンを適当に留めると、椅子の背もたれに掛けていたコートとマフラーを手に取った。彼を鴉たらしめる黒い服が、ばさぁっと音を立てて纏われる。
それを横目で見ながら、燕姫は溜め息をついた。


「…そう言うなら、あまり無茶はしないことね」

「……妙な言い回しをするなァ、燕姫」


つい、と押し上げられた眼鏡に、怪訝そうに顔を歪めた鴉の顔が映った。

彼の耳に引っかかった言葉が、釣り針のように口元を引く。だが、燕姫の方は眉一つ変えず、淡々と告げる。


「聞かずとも、貴方はこの意味が分かるでしょう。だから、無駄に突っ掛らずにしばらく大人しくしてなさい。医者の言うことは聞くものよ」

「……けっ、可愛くねぇ言い方すんな」


鴉は唾を吐き捨てそうな顔をしたまま、診察室をあとにした。どすどす、不遜な足音と、勢いよく扉が閉まるピシャンという音が耳を打つ。

その残響が消える頃、燕姫はもう一度深く息を吐いて、カルテを閑かな眼で眺めた。


「……鴉のカルテか」

「えぇ、そうよ」


ふっと射した影にも動じず、燕姫は頭上から降ってくる、煙草の香りを纏う低い声に返答した。

背後からカルテを覗き込み、ふぅと紫煙を吐き出すのは、ワタリだった。
鴉の診断が終わるまで、壁に寄りかかっていた彼は今、興味深そうに燕姫の持つカルテを見ていた。

それはまるで、食い掛るような目付きであった。
学問を身に着けるような好奇心や探究心からではなく、それを知らずにいることを赦さないような色で、赤い瞳が燃揺らいでいた。


「久しぶりに怪我をしてきたっていうから見てみたけど…相変わらず酷い有様よ、あの体」


ワタリの眼の意味も、カルテに記された言葉の意味も、燕姫は知っている。
だが、知っていながら、燕姫は知らない。知らないが故に、燕姫もまた、答えを求める。
ワタリとはまた違う揺らぎを宿して。


「あれも貴方と同じ、救いようのない病人よ……ワタリ」


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