カナリヤ・カラス | ナノ




「またお前は唐突に……」


惚れ直す、という言葉があるが、呆れ直すという言葉があってもいいのではないか。
そんなことを思いながら雛鳴子が鉛のように重たい息を吐くと、鷹彦もどっと肩を下ろしていた。

この場で、嫌に楽しそうな鴉に疲れた面持ちをしていないのは、目をぱちくりさせているギンペーだけである。


彼はいつだって、突然、突飛な発言をして、此方を驚かせる。
いきなり背後から迫ってきて、旋毛を思い切りつついてくるような鴉の発案は、今回も見事雛鳴子達の度胆を抜き、
それから肩の力も、良くない意味で、がっくりと抜いてくれた。

そんな反応が返ってくることを、憎らしい程に聡いこの男が分かっていない筈もなく。
寧ろこうなるからこそ、彼は面白がって、サプライズなどと言いながら、こんな真似をするのだ。

とっくに知っていることだが、本当に趣味の悪い男だ。

雛鳴子と鷹彦が揃って、似たような眼でじとっと鴉を睨むが、彼はヘラヘラと笑ってみせた。


「そう苦い顔すんなよ。今回は仕事じゃなく、楽しい社員旅行だぜ」

「…社員旅行?」


此処金成屋に於いて、正式に社員、と言える身分にいるのは三人の中で鷹彦くらいだし、
ついでに社と言える程の規模は、金成屋にはない。此処は、会社ではなく、店だ。

しかし、店員旅行というのもまた可笑しな気もするし、その点について誰も突っ込むことはしなかった。


そんなことより気掛かりなのは、後ろにくっついている言葉。旅行について、だ。


「常日頃この不浄の町で戦い、紙幣を掻き集めるお前らを労って、俺から特別に有給で慰安旅行をプレゼントしてやるってことだ。
いやー、我ながらこの慈悲深さには涙が出てくるぜ。お前ら俺を讃えていいぜ?」

「……これは、お前が先日砂漠用クルーザーを買ったことと何か関係があるのか?」

「おう」


そう言えば、先日彼は大きな収入を得て。雛鳴子が喉から手が出る程欲する札束の山を前にして、こんなことを言っていた。

『そうだなァ、たまにゃドーンと使うのも大事なことだ。前々から欲しいと思ってたし、砂漠用クルーザー…いや、男ならロマン重視で軍艦一隻買ってみっか。
んー、でもカナリヤ号二世を買うってのもいいなァ』

あれは、大金を手にしたノリで言ったことだと思っていたのだが、まさか本当に買い物に使うとは。
しかも、砂漠用クルーザーなんて、間違いなくとんでもない額がする物を。


他人事ながら気が遠くなると額を押さえる雛鳴子だが、当の本人は、歳不相応な。まるで新しい玩具を得た子供のような顔付きをしていた。
そう比喩するにしては些か邪悪さが見るのだが。


「せっかく買ったからには使いてぇじゃん?で、使うからにはそれなりに遠くに行きてぇじゃん?
となれば旅行になるだろ?これで俺も満足、お前らも満足。万々歳だな」

「……旅行中の面倒事を俺らにやらせて、お前は楽しくクルーザーの旅を過ごせる、と」

「いいじゃねぇかよ。お前らタダでクルーザー乗って遠出出来んだからよ」

「何がタダだ、何が有給だ。ただの仕事じゃねぇかクソったれ」


やっぱりこいつは、積木や飛行機の模型ではしゃぐような、純粋無垢な子供などではないと、また雛鳴子は溜め息を吐いた。


金成屋・鴉は、欲深く傲慢で、面倒事と一緒にやってくる歩く災厄だ。
その巣にいる以上、自分達は彼の起こす風に巻き込まれるしかない。

鷹彦も、これに抗ったところで無駄なことは承知している。故に、舌打ちを転がして、彼は観念したかのように鴉に問い掛けた。


「で、行き先は?右も左も東西南北全て砂漠のこの国の、何処に旅行に行くつもりだ」

「ハチゾーから聞いた話によると、東の方で化石が見つかったらしいぜ。とんでもなくでっけぇ、大戦前の生き物の」

「化石!?」


ここにきて、唐突な事態に混乱していたギンペーが、ようやく反応を示した。
というか、鴉の言った化石という単語が、気になったのだろう。

ゴーグルの下の眼を大きく開き、好奇心の輝きを放っている彼を見て、鴉はようやく一人乗り気になったと機嫌を良くしながら、デスクの上から一冊の本を手に取った。


鴉は、意外にも蔵書の収集を好む。
現代の、都の書店に並んでいる、話題の小説などは見向きもしないが。好んで購読を続けているマンガや、暇になれば捲るような卑猥な雑誌ともまた違う。
何処を探してもそう簡単には見付からないような、一言で言えば珍しい本を集めるのが、鴉が好きだった。

集めた本の殆どは、金成屋の事務所前…何処かの誰かにとって価値のあるガラクタ棚の、蔵書コーナーに収められているのだが。
彼がお気に召した本の一部は、およそのものが不健康な空気を纏っている彼の部屋の本棚に、きっとりとしまい込まれている。

今鴉が手に取っている本は、その一冊であった。


「クジラっつー海の哺乳類なんじゃねぇかって言われてるんだが、こいつがとんでもねぇ額で売れるらしいからよ。サルベージしてみようぜ」

「……お前、楽しそうだな」


鴉が持ってきたのは、海洋生物図鑑だった。

大戦中に消えた、海に住まう生き物達を描いた一冊の本。今や滅び、幻と化した生物達が紙面に犇くそれは、鴉のお気に入りの一つであった。


彼はこうした、大戦前の世界に触れる本を好んでいた。

このように、かつての世界について書かれた書物は、死に絶えた今の星に生きる者達に虚しさを与えるだけだと、その殆どが姿を消されている。
戦火に呑まれ絶滅した動物や、砂漠と化した景色を、国は無かったものとし、こうした本を有害図書として処分してしまったのだ。

しかし、人の口に戸が立てられないように、一度世に出た本もまた、一冊残らず完膚なきまでに消されることはそうそう出来ることではない。
表に見えないところでひっそりと取引され、印刷当初に設定された値段の数百数千倍の値段がついて、コレクターのもとに渡り、
今尚こうして、戻らぬ世界の光景を、現代の哀れな人間達に知らしめているのだ。

しかし、実際に目に出来る筈のない、過去の産物を見て、雛鳴子は虚しいとは思えなかった。


「…海に、大きい哺乳類……」

「そう。この星で一番でっけー生き物だったのがこのクジラってヤツだったそうだ」


鴉がとんとんと指で叩いた先。黄ばんだ紙に描かれた生物の絵を見て、雛鳴子もギンペーも、胸が躍った。

大戦により干上がったか、腐敗したかの二択でしかない海には、かつてこんな生き物がいて、
今や見ることの叶わない澄んだブルーの大海原で、群れを成して生息していたというのだ。

想像し難い、夢物語のようなその情景を思い浮かべるだけで、もう絵本を卒業している時分だというのに、雛鳴子達はとてつもなく、わくわくしてしまった。


未知なるもの、神秘なるもの、不可思議なものに触れた時、人は歳など関係なくこうなってしまうのだろう。

失われたものに思いを馳せ、目蓋の裏にかつてあった世界を描き、其処に自分を置いてみる。
そんな想像をしても、確かに得るものはないし、現実は文字通り不毛だ。

だがそれでも。夢を手に取って触れているようなこの感覚には、確かな高揚感がある。


鴉も恐らく、そんな想いがあって、この本を大切にしまい込んで、サルベージに行こうなどと言ったのだろう。

気に入って何度も眺めていたらしいページを開いて、彼は興味津々に紙面を覗き込む雛鳴子とギンペーに、これも見ろあれもすごいぞと図鑑の中の生物達を披露していた。


「他にも海にはイルカってのがいて……似てるようで違うヤツには、サメってのがいたんだぜ。
魚なんだがでかくて、人間も食うようなヤツで……サンドシャークの素になったのがそれだ」

「あ、あいつの素っすか……」


今や、魚というのは工場で生産され、ベルトコンベアを流れてくるものか、ペットショップで水槽に詰められているクローン体しか拝むことが出来ない。

百年にも及ぶ世界戦争により、尊く美しい海を失ってしまった今を生きる人間達は、途方もなく広く深い水の中を、悠々と泳ぐ魚を目にすることは不可能だ。


だからこそ、それらが確かに実在していた証であるものに触れて、想像を膨らませることに浪漫を感じる。

そして、その愉悦を我が物にしたいと、金を叩く者が現れる。


「…これも、いいお値段で取引されるんでしょうか」

「あぁ。こういうでっかい奴らは、パーツが揃えば揃う程いい値段つくぜ」

「……いきましょう、慰安旅行」


先程まで、また鴉の気まぐれに付き合わされるのかと疲れていた雛鳴子の眼が、爛々と輝いていた。
一つ一つが煌めくプラチナの睫毛に縁どられた青い瞳は、いつも湛えている重苦しさを何処かへ飛ばし、期待と興奮できらきらと光っていた。

そんな、まるで宝石のようと比喩するに相応しい彼女の眼を見て、難色を示したのは鷹彦であった。

言わずもがな、この手の話に弱いギンペーは、既に乗り気で慰安旅行という名の砂漠労働に向かう気でいる。
しかし、鷹彦は現実がそう上手くいってくれはしないことを知っている。

夢と希望を携え、海の神秘を探してみても、実際出てくるのは砂、砂、砂。
何かの骨にぶつかったかと思えば、それが人間のものであったり、珍しくもない生物兵器のものだということも、よくあることだ。

そうして、昂ぶっただけ絶望が膨らむことが見えている鷹彦は、未だにこの話に乗り切れず。
せめて雛鳴子だけでも自分側について、行き先に反対してはくれないかと思ったのだが。


「…いいのか、雛鳴子。言っておくが……サルベージで化石が見つかることなんて本当に稀で…収穫なしもザラにあるぞ」

「はい、覚悟しています」


物分りが良くとも、雛鳴子はまだ十五歳であった。
現実よりも夢を好み、遠くで輝くそれがただのガラクタでも、手に取るまで歩み寄らずにはいられない。

どうせどうせと割り切れない、そんな年頃の彼女は、もうすっかり焚き付けられていて、鷹彦が何を言ったところで無駄なようだった。


「それでも…やらなきゃ見つかるものも見つかりません!可能性があるなら、賭けてみます!!」

「うーん、いい心がけだ。感動したぜ、鴉さん」


いつになく気合いの入っている彼女に、ついに鷹彦も折れた。

確かに彼女の言う通り、探そうとしなければ何も見付からない。砂を掻き分けなければその下にあるものは掴めない。
苦労して手に入れたゴミで、探さなければよかったと嘆く後悔も、
見付けたものが思いがけず価値を有したお宝で、とんでもない額が出たと手放しで喜ぶことも、やらなければ出来ないことだ。

それに、雛鳴子にとってこれは好機であった。じりじり首を絞めてくる借金を軽くする、一攫千金の大チャンス。
しかも今回は仕事ではなく、慰安旅行。何をしても、鴉に直接損害が出なければ、失敗金というペナルティが課せられることもない。

何もなかったのなら、それは仕方ないことだったと言えるし、思わぬお宝に出会えたのならラッキーだ。


以上のことから、雛鳴子にしてみれば、この話には乗らない理由がなかった。

鷹彦は諦めて、せめて自分に回ってくる面倒事が最低限のものになるようにと、祈りを込めて煙草に火をつけた。


「じゃ、来週は第一回金成屋砂漠ツアー決行な。おやつは一日分三百までで考えとけよ」

「……遠足じゃないんだぞ」

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