カナリヤ・カラス | ナノ


羽撃く音がする。彼のトレンドマーク、その名の由来、彼が彼たる所以とも言えるコートは脱ぎ捨てられているというのに。壁という壁、床という床が破壊されていく轟音の彼方に、鳥が羽撃く音がする。

遥か上空、澄み渡る青の中を飛ぶその鳥の名を、この場にいるものに知る由はない。知る必要さえ無い。それでも、思い描くは一つ。

その鳥は、狡猾にして獰猛。不幸を運ぶ不吉の象徴、死の使い。ゴミ山を飛び交い、死肉を啄む汚れた鳥。その名は――。


「…………あれが、ブラックフェザー・ジ・オリジン」


金属質な音が響く。火花が散る。それはまさしく、命を奪うものがぶつかり合う時のそれだ。
研ぎ澄まされた刃と刃が交わるように、二体の”怪物”もまた、鋭利な音と炸裂する火の粉を伴って、互いに鎬を削り合う。


「グェアアアアアアアアアア!!」


濁った咆哮を上げながら、人の形を失った兵器が腕を振るう。黒い皮膚の鎧に覆われたそれは、ギチギチと筋肉を膨張させながら撓り、目の前を飛び交う影を捕えんとする。
床をぶち抜き、天井を破り、柱を薙ぎ倒すそれは、一撃が暴風にも等しい。だが、その暴れ様はまるで、荒れ狂う旋風がたった一羽の鳥を捕え損ねて、癇癪を起こしているようだった。


「信じられない……あれが本当に、私達と同型機だっていうの……?」


腕を躱す。次いで振り下ろされる片腕の上に飛び乗り、足場として駆け上がる。ならば食い殺してやらんと迫り来る口にも怖気づくことなく、自分から其方へ跳躍し、回避と同時に頬を引き裂いていく。

比較的皮膚が薄く、肉も柔らかい部位であった為、化け物の頬は顎の付け根まで裂けた。だが、千切れた肉はすぐに縫い合わされるように修復されていく。
大したダメージにならないことは最初から想定していたとはいえ、少し辟易する。そんな顔をしながら、鳥は空中で身を捻らせ、尾の追撃を受け流し、着地する。それも刹那。すぐに地面を蹴って、鳥は飛び立つ。その黒い爪を振り翳しながら。


「インストール完了まで、あと二分程度か……」

「三分の一が入って来てるとはいえ……未だ実感が持てないものね。私達も、あれと同じ兵器だなんて」

「全くだ。……だが、これまで無意識の内に掛けていた枷が取れていく感覚があるのも事実だ」


”怪物”と化したバンガイを相手に一切物怖じすることなく飛び回る鴉を見つめながら、夜咫と星硝子は、封じられた機能に掛けられたロックが、鴉の血によって一つ一つ外されていくのを感じていた。

体の修復は殆ど完了している。インストールが終了次第、いつでも飛び出していけるだろう。
この身が人を模した何かであることは、とうの昔に理解していた。それでも、自分は人間であるのだと騙し騙し、此処までやってきたが、それもあと二分で終わる。


力の使い方を思い出したその時、生物兵器・バイオフォーセスは蘇る。

それは、あるべき所にあるべき物が戻るだけのことだ。だから、何も悲嘆することはないと、星硝子は眉を下げる。


「……そんな顔しないでよ、孔雀」


眼に見えた変容は現れていない。それでも、刻一刻と、星硝子が人から離れていくのが痛切に感ぜられて、孔雀は切歯していた。

彼女が人とは違う何かであることは、とうの昔に受け入れていた。何も嘆くことはないと、彼女の本当の名前を知った時でさえ、そう思っていた。
だのに、これまで人として生きてきた彼女が、目の前で兵器になっていくことが、孔雀には堪えられなかった。


星硝子の本質が兵器であっても、孔雀にとっての星硝子は人間だ。何処にでもいるような――とはとても言い難いが、彼女は人と同じように笑い、怒り、嘆き、涙し、享楽してきた。

そんな彼女が、星硝子という人間が、兵器の力によって脅かされてしまうのが、孔雀にはとても堪え難かったのだ。


「私はただ、百年前の忘れ物を取り戻してるだけ……。それはずっと、私が望んでいたもの……貴方は、それを一番知っているでしょう?」


今にも泣き出しそうな孔雀の頬に両手を宛て、額を合わせ、子供に言い聞かせるように、星硝子は囁く。

何も憂いることはない。欠けていたものが嵌っただけで、跡形も無く変わってしまう訳ではないし、自分はずっとこうなることを望んでいた。

誰よりも近くにいて、誰よりも長い時間を過ごしてきた孔雀には、それが誰よりも理解出来ている。だからこそ彼は悲しんでいるのだろうと、星硝子は酷く穏やかな声で、自分の分も傷付いてくれている彼の心を撫でる。


「大丈夫。あと二分で、貴方の知る星硝子が消える訳じゃない。バイオフォーセスbVという、私が忘れた私が、此処に宿るだけのことよ」


例え、この身が変わり果てようと、孔雀のよく知る星硝子は変わらない。相も変わらず滅茶苦茶で、風の向くまま気の向くまま。其処に欲しい物があったなら、他人を巻き込んで地の果てまで振り回す。この体が、人から遠ざかろうと、人として生きてきた心までもが兵器になることはない。

それだけは確実な確約だと言う星硝子に、孔雀の迷いは消えた。


「…………ならば、俺のやることは変わらない」


弾け飛んできた瓦礫を槍で薙ぎ払う。その一片、塵の一つさえも彼女に降りかかることがないように。

それらが星硝子の命を奪うに値せず、皮膚が裂け、肉が千切れ、骨が折れたところで、立ち所に癒えるものだとしても。彼女が彼女である限り、自分も変わらない。人の形をした何かであると知りながら、人として接してきた彼女を、これまでと同じく、人として扱い、人として愛そう。

孔雀は軽やかに槍を回しながら、彼女と共に歩むことを決めた日と同じように誓いを立てた。


「これまで通りだ、星硝子。お前も、俺も……これまで通り、やっていこう。流星軍結成時からそうしてきたように、お前は欲しい物を求めて好き勝手に飛び回り、俺はそれを追い掛ける。これまでも、これからも……俺はお前の右腕として、この槍を振――」


が、その言葉は最後まで口にすることが出来なかった。突如飛びついてきた星硝子が、戦場の真っ只中であることにも、夜咫の前であることにも構わず、熱烈な口付けをお見舞いしてくれた為だ。

格好付け切れぬまま押し倒された孔雀は、自分の上に跨る星硝子を退けようともがきながら、耳まで赤くなった顔で抗議するが、彼女はただただ笑うだけだ。


「お、前……!!せめて最後まで言わせろ!!というか、夜咫が見ている前で何を……ッ」

「アハハ!!貴方やっぱり最高よ、孔雀!!」


唖然とする夜咫を置き去りにしたまま、星硝子は孔雀に強く抱き付く。


全身を使っても足りなかった。彼を愛しく想う気持ちも、感謝の念も、言葉を尽くしても、ありったけの力を込めても現し切れない。

いつも当たり前のように傍にいてくれた。それこそ、自分の体の一部のように。そしてこれからも、彼は変わらず、寄り添い続けてくれるという。

これを奇跡と言わずして、何と呼ぼう。百年前の自分が知ったなら、きっと涙を流して歓喜したに違いないと、星硝子は流れ星を掴んだような顔で、孔雀に頬を寄せた。


「ありがとう、私のライトハンド。百年経った世界で最初に出会ったのが、貴方でよかった」

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