病手線ゲーム | ナノ



「ヤマモン、ゲットだぜ!」

…はい?
というのが大方の乗客の感想であった。
無理もない、いきなり訳の判らない駅に車両ごと迷い込んだと思ったら、
その混乱もおさまらないうちに、やたらとハイテンションな声でこれだ。
他の感想を浮かべられる者がいるなら、逆にお目に掛かりたい程である。
アナウンスしているという事は車掌なのだろうが、このどこかで聞いたような台詞を、
今日こういう放送がありましたとそのまま鉄道会社に報告すれば、厳重注意と始末書は最低限免れないに違いない。
実際、数名の乗客がスマートフォンを弄くろうとし、たちまち首を傾げる。

そこから起こった事は――思い出したくもないが、忘れようにも忘れられまい。
ヤマダと名乗った仮面男から行われた説明を、乗客は呆然と聞いた。
半信半疑どころの話ではない。この段階で零信全疑になれない者がいたとしたら、日常においてファンタジーの世界にのめり込み過ぎである。
だが実際に、レールを外れようがない電車は得体の知れない駅に迷い込み、異空間としか説明できない現象は、頬を抓ってもまだ続いている。
徐々に、徐々に、ひょっとするとこれは現実なのかもしれないという恐怖と混乱が、一同に浸透し始めた。

「これって、きさらぎ駅?」
「そういう胡散臭い都市伝説の類と一緒にして欲しくはありません。これは病手線です」

恐怖を紛らわそうとしてか半笑いで漏れたそんな言葉にも、耳聡く仮面の車掌は反応する。
胡散臭いのはどっちだと怒鳴る気力は、既にこの場の全員から削がれ始めていた。

「それではご説明しました通り、選ばれた伝説の勇者である皆様には、これより我々主催の楽しいゲームに参加して頂きます。
ずらりと壮観に居並ぶ皆様であれば、ことゲームに対しては、普段ここに招かれるゲストより馴染み深い事でしょう。
持ち前の豊富な経験と知識を活かし、血沸き肉踊る激戦を繰り広げ、どうにかこうにか生き延びて頂きたいものだと切に願っております。ファイト!」

何がファイトだと誰もが思った。
いや、それより。

「なんで俺らがゲームに馴染み深いって事になってるんだよ?」
「そりゃあだって皆さん、遊んでらしたじゃないですか。
通勤通学中という一日のコンディションを整えるべき大切な時間に、黙々ともしくはニヤニヤと携帯ゲーム機の液晶ばかりを見つめたりして。
そんなけしからぬ所業が許されていいのでしょうか、いや良い訳ないッ!」

何故か車掌は高揚していっている。危険な匂いがした。

「という訳で、いよいよ病手線ゲーム特別編ヤマットモンスター、略してヤマモンを開始したいと思います!」
「待て」
「理由は先の質問にお答えしました通り、通勤通学中の皆様が実に楽しそうにポケモンをやっていて実にムカついたからです。
完全新作のうえに初の3D化でおまけにメガシンカですよ。私だって遊びたいというのに、お前ら絶対に許さない」
「だから」
「よって皆様には『罪深い死にたがりのポケモン野郎』という二重のフィルターが施された為、普段と比較してぐっと人数が絞られております。
なので初期の選別は省かせて頂きました。いやー良かったですね」

ちっとも良くねえというのに問答無用だった。

「司会進行はわたくしリアルカントー地方の雄、ヤマダ博士と、アシスタントのサブウェイマスター病手とでお送りいたします。
ちなみにこちらの病手、上りも下りも両方こなせる優秀なアシスタントです。萌えるのは構いませんがR18絵とか投稿したら殺しますからね」
「誰も萌えねーし投稿しねーよ! 高次元すぎるわ!」
「そうですか、安心したような腹が立つような少し残念なような」
「オオオオォォォォオオオ!!」
「失礼。えー、それでは皆さん、さっそくお手元にございますヤマノテドー3DSを御覧ください。速やかにどうぞ。遅れると感電して眼球が飛び出しますので!
本体を開いたら、下画面をタッチしてください。付属のペンを使うとそれっぽいですが、ズボラな方や指紋付着を恐れない方は人差し指でも結構です!」

物騒な物言いに、乗客全員、慌てて手元を見た。
いつ握り込まされたのか、そんな風な代物が確かに手元にある。外見は訴訟を免れない程に本家のそれと瓜二つで、
ご丁寧に右端の3Dスライドはオフの位置で止まったまま「就活中」の封印がされていた。喧嘩を売っているとしか思えない。
ヤマダと名乗った車掌の指示通りに下画面をつついた一同から、一様に驚きの声があがる。上画面が光ったと思うや、そこからボールが次々に飛び出してきたのだ。
文字通りに、飛び出してきたのである、画面から。
合計6個のボールは空中で一列に並んでくるくる回転するという無駄な演出をした後、乗客それぞれの腰の辺りに落ち着いた。
それなりに大きさがある為、さながら戦の成果を腰に括り付けた首狩り族の様相を呈している。
ただし、不思議と重さは感じず、動くのにも支障はなさそうだった。そして首狩り族というのもあながち外れたイメージではないときている。
ボールが全員に行き渡ったと見るや、ヤマダは朗らかに説明を再開した。



「ポケモン新作を楽しそうに、とても楽しそうに、それはもう楽しそうに、あてつけのように楽しそうに遊ばれていた皆様でしたら、
今更説明の必要はないかと思われますが…」
「根に持ちすぎだろ、あいつ…」
「何か言われましたか? 言っていない?ああそうですか。
そちらの6個のボールが、皆様に配布されるヤマモンスターボールとなります。当然、中身は空です。
皆様は駅構内、及び構外に出現するヤマモン達をそのボールを使ってゲットしてください。ボールの使い方は分かりますね?ハイ結構です。
一定時間が経過した後、ホームにてヤマモンの華、トレーナーバトルを開催し、優勝者には栄えあるヤマモン初代チャンピオンの称号が与えられるのです!」

ヤマダは興奮に満ちた口調で、大きく両腕を広げてみせた。
何ひとつ嬉しくない、という共通する心情が乗客全員の顔に出ている。
質問はありませんか?と促されて、一人が手を挙げる。健康そうな、いかにも体育会系という容姿の若い女性である。

「最初のポケモンは…」
「ヤマモンです。お間違えないように」
「…ええと、最初のヤマモンはくれないの? 御三家みたいに」
「いい質問です。それについては私も悩んだのですが、最初に一匹あげてしまうと以後の進行が格段に楽になるので、
死の恐怖と苦痛を味わって欲しいというコンセプトを優先して、泣く泣く諦めました。
これもゲームバランスを考慮しての決断です、ご理解ください」

ゲームバランスを考慮する、の意味が一般と違う。
まあ世の中には、殺意を剥き出しにして襲ってくる弾幕に歓喜する層もいるというから、
ヤマダの言い分を一概に否定する事はできない。自分の命が懸かっていなければ、の話であるが。
乗客達は腰にあるボールを見た。ヤマダの言い方からして、これをヤマモンとやらに投げれば捕獲が出来るのだろう。
しかしゲームでボタンを押すのと、己の体で実践するのとでは全く勝手が異なる。
いざヤマモンとやらに遭遇したとして、果たして咄嗟にボールを投げる事など出来るのか。投げられたとして、暴投してしまったらどうなるのか。
ボールを投げるという簡単な動作さえ、混乱に陥ると人間は簡単に忘れてしまうのだ。だいたい、まだ誰も一度もヤマモンを見ていないのである。
乗客達の間に、一層強い不安が広がったのを悟り、ヤマダは相変わらず言葉遣いだけなら親切そうに告げた。

「自分にできるのかなぁ、という顔を皆様なさっていますね?
大丈夫!誰だって最初は不安なものです。ましてや朝っぱらから本当に楽しそうにポケモンを遊んでいた皆様でしたら…」
「しつけえ…」
「そんな皆様の為に、私、チュートリアルを用意させて頂きました。
あいにく全員分やる時間はありませんが、一度でも見ると見ないとでは精神的に大違いなはずです。
しかもここでゲットに成功すれば、他のトレーナーに先行して最初の一匹を得られるというアドバンテージも付いてくるのです」
「ふーん…一応考えてはいるんだな…」
「まああいつもゲーマーっぽいから…そういうところは妥協しないんですかね…」
「おや、皆様だいぶ活気づいてきましたね? 大変よろしい感じです、ゲームはこうでなければ!
それではチュートリアル、張り切ってどうぞ! あちらから駆け足で向かってきますはヤマモンのマスコットキャラ、ヤクチュウ君です!」
『ヤグヂュヴヴヴヴヴヴヴヴ!!』
「待てやああああああ!!!!!」

左右の眼球で違う方向を凝視しつつ、ガッと開いた口から褐色の涎を撒き散らして迫り来るクリーチャーの姿に、乗客達は一斉に絶叫した。
ネーミングから何から何まで突っ込みどころが多すぎるが、それを突っ込んでいる時間は、あの猛スピードからして残されていそうにない。

「それよかおい車掌!!
あれどう見ても電気鼠の方じゃなくて夢の国の…!」
「はいはいストップそこまでです! あなたもゲームと無関係の第三勢力によって殺されたくはないでしょう?
正直私もちょっと恐ろしいのでご勘弁願いますよ」

誰にだって殺されたくねえよと思ったものの、追求するには二足歩行で迫り来る陽気な白黒ネズミの距離が近すぎる。
やるしか、ないのか。
その通りなのだ。逃げ道など初めから閉ざされていた。
朝の電車の中で、ポケモン新作を遊んでいた時点で――。

いや、その理屈はおかしい。

「ええい、やってやらああ!!」

乗客達の中から、一名が前に歩み出た。
若干、いや大部分ヤケクソの気配がなくもないが、ボールを構えて仁王立ちになった青年サラリーマンに、おーと背後の一同から控え目な歓声があがる。
大きく振りかぶると、青年は迷いのないフォームでボールを投げた。走ってくる相手に当てるのは難しいというのに、完璧な軌道である。
野球部か、と誰かが呟くのとほぼ同時に、ボールは既に10メートル近くにまで迫っていたヤクチュウの額に当たり、そして落ちた。
ざんねん!ヤクチュウはそもそもボールに入らなかった!
人を舐めきったナレーションを、青年が聞く暇はなかった。ヤクチュウの巨大な門歯が硬直する青年の喉笛を捉えるや、首を振る力で真横に噛み千切った。
噴水のように血が吹き上がる。ほとんどプラットホーム天井まで届くかという程だ。
悲壮感あふれるヤマダのアナウンスが響き渡る。

「ヤクチュウは5回攻撃して32のダメージ! 乗客Aは首を刎ねられた!」
「なんでポケモンからウィザードリィになってやがるんだああ!!!!!」

オールドゲーマーと思わしきサラリーマンが即座に叫ぶ。
本来ならそんな事を指摘している場合ではないだろうが、この馬鹿げた空気に飲まれて一種の狂騒状態にあるらしい。
だが、誰もがただ騒いでいるばかりではなかった。目端の利く高校生らしい女の子が、すかさず投げたボールが、ヤクチュウの後頭部にコツンと当たった。
星とハートのエフェクトを飛ばしながらヤクチュウがボールに吸い込まれ、下に落ちて数度揺れる。一同が固唾を呑んで見守る中、揺れは止まった。
捕獲成功、という事らしい。一歩先んじた女子高生に有利不利を感じるより、まずは大きな溜息があがる。次に横に転がっている死体に目が行って固まった。
が、続くヤマダの解説が怯えるのを許さない。

「えー皆様、今の一戦でいろいろ多くの質問が浮かんできた事と思いますが…」

浮かびすぎだよ、と誰もが思った。

「古来よりまた、偉大なる先人達はこうも言い残しております。
即ち、習うより慣れろ、と…」
「つまり説明する気はないと」
「いえ、言ってみただけです。ルールは明白にしておかないといけませんからねー」
「……………」
「おそらく皆様が疑問に思われるであろう事に、順にお答え致します。
まずは皆様が何といっても一番気になっているであろう、ヤマモン図鑑の使い方から説明させて頂きます」

そっちじゃねえよ、と誰もが思った。

「下画面のメニューから開けるヤマモン図鑑には、なんと初めから全てのヤマモンが登録されております。
さすがにこの短時間で図鑑コンプは厳しいですからね、親切かつ平等なゆとり設計です。
新しいヤマモンに出会ったら、まずは図鑑を確認するのが捕獲成功及び勝利への鍵となるでしょう。相手へカメラを向けてポチッ、です。
もっとも皆様を発見したヤマモンが、そんな暇を与えてくれればの話ですが。
さて! まずはそちらの勇敢な女の子が、素敵な思い出と共に捕獲したヤクチュウ君のステータスを御覧ください」

促されて、乗客達はぎこちない手付きでタッチペンを手に取った。
インタフェース自体はシンプルかつ直感的に操作できる優秀なものなのが、また非常に腹立たしい。
軽快なレスポンスで、ヤマノテドー3DSの上画面に、先程の直立ネズミの姿が映し出された。同時にスピーカーから耳障りな鳴き声が響く。

『ヤクチュウ』
・アップダウンヤマモン
・はんかがいの うすぐらい ろじうらを このんで はいかいする。
りょうての ひとさしゆびを こうささせたら とりひきの あいずだ。
・わざ:くびきりまえば、ペスト、しろいこな、ムショにこもる

もう突っ込む気力も起こらなかった。

「既に身に沁みてお判りでしょうが、ヤマモンにボールを投げたからといって、必ずゲットできるとは限りません。
お目当てのヤマモンがボールに入ってくれるかどうかは、あなたの運次第! ちなみに一律55%と、若干プレイヤーに優しい確率となっております。
ですがミスしてもボールは消えませんから、拾って何度でも再使用が可能です。またボールを他人から奪う事も不可能です。
最大6匹まで連れ歩けるという条件は誰にでも等しく与えられているのです。いやー素晴らしいですね!
ミスした後でボールを拾い直すような余裕が残されていれば、の話ですが」
「またそれかよ」

つまり八方塞がりの運頼みじゃないかと、乗客達は暗い目で首なし死体に目をやった。

「ここで取って置きのマル得情報を公開しましょう!
ヤマモンは、体力が減っているほど捕獲しやすくなります。手持ちのヤマモンと戦わせながらボールを投げるのは大変有効です。
とにかく最初の一匹をいかにして捕まえられるかが、生存の鍵となりますね」

ヤマダはそこで、思わせぶりに仮面の顔を傾けてみせた。
その決して瞬かぬ、虚ろな目の行く先。意味するところは、あえて口にするまでもなく理解できた。
そう、他人に戦わせているのを横から奪うという手もある。
自然と集まってくる多数の視線に、あの判断の早い女子高生は知らぬふりをしていた。が、その頬は若干青ざめている。
パン、パン、とヤマダが乾いた音で拍手をした。注目はそちらに戻るが、女子高生に纏わり付いた粘着く視線は、最後まで糸を引いていた。

「では皆様、そろそろ出発時間となります。
これでこの世にサヨナラバイバイする方々も多いと思うと、名残惜しくて堪りませんが、
前座にいつまで時間を費やしていては、肝心の本番が行えなくなってしまいますので」

そうだ、これはあくまで前座なのだった。
本番はこの後に用意されている、トレーナー同士のリーグ戦とやらにある。
決して充分とは言えない制限時間内に、6匹のヤマモンを捕獲し、無事に生き残らなければならない。
それもただ捕まえれば良いという訳ではなく、勝ち抜けるような強い能力を持ったヤマモンを選び抜かなければならないのだ。
誰もが初めてのゲーム。それは誰にでも勝って助かるチャンスがあるという事だが、逆に言えば誰でも即座に殺される可能性があるという事でもある。
妥協も、臆病も許されない。自分にそれを許したが最後、間違いなく死ぬ。

「よーい…スタート!」

ヤマダが甲高くホイッスルを吹き鳴らした。
立ち止まっていても、声を掛けてくれるのは、遠からず訪れる己の死だけだ。
数秒間互いの顔色を伺っていた乗客達は、やがて一斉に、堰を切ったようにホームを駈け出した。




男は走っていた。
駅のホームには、よく注意をすれば意外と身を隠せる場所が多い。
もしもここが通常の駅とは構造が異なっているとしても、あくまで駅としての基本像に沿おうとすれば、
どうしても外せない箇所というのは出てくる。即ち点在する柱であり、曲がり角だ。
田舎の無人駅というならともかく、山手線に連なるような駅であれば、最低限の規模は保証されている。
だがそれも、あくまで人間の目と感覚を相手にするならの話だった。
ヤマモン…というふざけた名前を与えられているにしろ、既に自分の目で見た通り、そいつらが名前通りのモンスターであるのには違いない。
それも、人に対する充分な殺傷力と、話し合いなど期待できようがない凶暴性とを備えた。
ヤマダというこれまたふざけた格好の仮面車掌の説明通り、これの目的が乗客達の生き残りを賭けたゲームだというのなら、
そもそも血を流す他の解決法など考える事自体が間違っているのだが。

男は冷静だった。
常人なら取り乱して喚きたくなる衝動を理性で抑え付け、恐怖で竦む足を前に進ませる意思の力を備えていた。
それは同時に、ゲーマーとしての純粋な腕前と、もうひとつの力、勘の良さにも繋がっている。
手にしたゲームをクリアするにはどうしたら良いか、どうするのが最も効率的かを、始まって短時間でざっと掴み取ってしまう天性の素質。
その天啓が彼にもたらした道。それは、何よりもまず情報の一言だった。
確かに、ボールを投げさえすればヤマモンを捕まえる事ができる。とにかく最初の一匹を捕まえる運に恵まれなければ、その時点で何もかも終わってしまうのだ。
だが視点を変えてみれば、どのような個体だろうと捕獲できるか否かは運次第という事になる。そう、たとえそれがゲーム中最強の個体であっても。
弱かろうと強かろうと、捕まえられる確率は55%。外せば死ぬ。だったら初めから最強を狙うのも最弱を狙うのも、さしたる違いはないではないか。
男は笑った。状況を考えれば狂ったとしか思えない。だが自ら浮かべた笑みを驚きつつ自覚したその男は、まったくの正常である。
逃げ場のないフィールドに置かれ、ゲーマーとしての経験と素質が、ここにきて遂に混乱に打ち勝ったのだ。
己を一人の――否、一個のゲームキャラと見做し、腹を括ったのである。こうなれば、恐怖など瑣末な感情に過ぎない。
勝つ為には、クリアする為にはどうすべきか。男には今その全てを、かつてなくクリアになった思考の中にありありと見て取る事ができた。
そう、まずは、情報。ヤマモンという失笑ものの名前を、もはや男は笑わない。男にとって、それは単なるデータのひとつになっていた。
迅速に全ヤマモンのデータを見、使えそうな奴と、その欠点を埋める奴を絞り込む。男はタッチペンを握ると、ヤマモン図鑑を次々に捲っていった。
6ページ目を捲った時に、音も前触れもなく真上から降ってきた臼が男を縦に潰した。最後の言葉は「ぷぺっ」であった。

『ウスツブシ』
・あっさつヤマモン
・さるかにがっせんの のうりょくを ひとりで かねそなえた よんみいったいの ヤマモン。
かまいたちに ちかいが くすりをぬるきが まったくないぶん おそわれると ちめいてき。

激突の衝撃で捲られたページが、偶然にもその個体を示していた。
申し訳程度に飛び出した栗と蜂と牛糞が、男の死骸にコツンコツンとぶつかった。



「…なあ、お前は何匹集まった?」
「なんとか3匹です…課長は?」
「こっちはまだ2匹だ。さっきのは捕まえられずにいる間に殺してしまったようでな…。
しかし、まだ命があるだけで運がいいんだろう。隣にいた奴は死んだよ、私の目の前で」
「そうですか…」
「…………」
「…………」
「ふっ」
「…? 課長?」
「ああすまん。いやな。まさかお前と、こんな風にゲームの話をする日が来るだなんて思わなくてな。
まぁできれば、もっと穏やかなゲームでこうなりたかったもんだが」
「そうですね…僕もまさか、あの堅物な課長がゲームをやってるなんて、それも朝から通勤電車でなんて思ってもいませんでしたから。
お酒の誘いだってほとんど断るし、何があっても笑いもしないでムスッとしてるのに」
「言ってくれるじゃないか。これが唯一の趣味でね。
そういうお前こそ、日頃からゲームの話なんて一言もしてないくせに。むしろ健康的なスポーツこそ生きがいですなんて印象だろう」
「ええ、そういうイメージが出来上がっちゃってるもんですから、余計にゲーム好きだって言い出せなくて。
ほら、意外に思われるっていうか…いい年して、みたいな感じで、今まで作ってきたイメージが壊れるのが嫌だったんです。
何て事はない、結局僕は大好きなゲームを、自分自身で差別してたんですよ」
「そうか…」
「それ、さっき僕が言いました」
「ははは」
「課長、どうでしょう。もし二人とも生きて帰れたら、この事をおおっぴらにしてみては。
僕が課長のゲーム好きの事を、課長が僕のゲーム好きの事をバラすんです。
きっと皆びっくりしますよ。どうでもいいくらいの小さな事ですし、周りからの目も変わるかもしれませんが、きっとびっくりします。
それって結構大事で、面白い事だと思いませんか?」
「…そうだな。それも悪くないかもな。
その為には、なんとしてでも生きて帰らないといけないな」
「そうですよ!」
「そうだな」
「生きて帰りましょう!」
「ああ、生きて帰ろう。
…よし、休憩はここまでだ。さっき、あそこの角に動いてる奴がいたのを見た。
まずはお互いに6匹集めないと話にならないからな。二人がかりなら捕獲の安全性はぐっと増すだろう」
「行きましょう、課長!」
「ああ!」

奇妙な友情の芽生えた上司と部下は、手持ちのヤマモンスターボールを構えると、目標に向かい息を合わせて駈け出した。



1、2、3、4…。
何度数えても4個しかない。4個しかないのだから、見間違えたくても見間違えようがない。
たったの4個。腰に付いているのはそれっきり。そこまで数を減らしてしまった自分のボールを見て、何度目かになる溜息を青年はついた。
埋まっているボールは、まだひとつも無い。それなのに2個も減らしてしまった。捕獲に失敗したボールは確かに再使用ができるようだが、
その為にはまず落ちたボールを拾わなければいけない。捕獲に失敗した時点で生きるか死ぬかの瀬戸際だというのに、とてもそんな暇も心の余裕もなかった。
2回とも逃げるのが精一杯で、そして2回とも逃げられただけ奇跡的に運が良いのだ。その運の良さを捕獲面で発揮できていればと、青年は頭を掻き毟りたくなる。
ボールは最大6個と決められているから、拾ったボールで他人を有利にさせる事はないが、かといって自分の圧倒的不利が解消されてくれる訳でもない。
このまま進んだとしても、待っているのは敗北と死のみ。じわじわと焙られるように殺されるなら、いっそあの時に即死していた方がまだ良かった。
おそらく訳も分からないまま最初に殺されたあの男を、今となって青年は羨ましくすら感じている。

と、靴底に微かな振動を感じた。それは徐々に、確実にこちらへと近付いてくる。
またかと、今度は胃の中身まで吐き出しそうな溜息をつきながら、青年はしゃがみ込んだ体勢からのろのろと腰を上げた。
半ばやぶれかぶれな気持ちでロッカーの陰から顔を覗かせて、思わずぎゃっと叫ぶ。
とんでもなく巨大な、少なくともこれまで遭遇してきたヤマモン達とは比較にならない巨体を誇るヤマモンが、ホームの床を鳴らして小走りに駆けていたのだ。
体高は軽く3メートルは行っているだろうか。それに見劣りしない体の幅と、迫力ある盛り上がりを見せる背中。太い四肢は、その身体を支えるに充分な頑強さを備えている。
頭部の両脇にある団扇のように大きく広がった耳と、柔軟に動く長く伸びた鼻が殊更特徴的だった。更には鼻の左右に生えた、大きく湾曲する牙の迫力ときたら。
それはまるで、この国では動物園やサファリパークでのみ飼育されている、インド象のように見えた。
青年は恐怖に駆られながらも、急いで手元のヤマモン図鑑を確認する。

『インドゾウ』
・インドゾウ
・アジアゾウの なかまで なまえのとおり インドほうめんに せいそくする。
はしる はやさは インドゾウ 1とうぶんで ちからは インドゾウ 1とうぶんの つよさ。

つまり――。

「インド象じゃねえかあああああああっ!!!」

インド象だった。

パオオオオオオオオン…!
青年の姿を確認するや、インド象は鼻を振り上げて雄叫びをあげた。
丸太のような前足に力が籠もり、小走りは疾駆に変わる。象やサイやカバが大人しい鈍そうな動物というのは、見た目から人間が作った勝手なイメージだ。
己の命を、群れの仲間を守る為なら、彼らは肉食獣よりも凶暴になる。至近距離から体重数トンの突撃を食らえば、人間如きの肉体などひとたまりもない。
長い鼻で椅子を横薙ぎに吹き飛ばし、鉄製のゴミ箱をダンボールのように蹴散らしながら突進してくるインド象から、青年は悲鳴をあげて逃げ出した。




最初の集合時からだいぶ数を減らした乗客達を、満足そうにヤマダは眺めていた。
戻ってきた人数は、それでも事前に予想していたより多い。運に恵まれたのか、実力や協調性の賜物か、
いずれにしろ今回の乗客は、ゲームとの親和性もあってなかなかの粒揃いのようだった。
一見、行儀良く並んでヤマダを見返す乗客達が浮かべる表情の種類については、改めて言うまでもない。
この状況で起こるのは暴動か葬式くらいだろうという空気を一切読もうとしない、ヤマダの大会開催宣言が高らかに告げられた。

「よくお戻り頂けました! さすがは私の恨んだ、いえ見込んだ異世界より来たれり光の戦士達です!
それではこれよりお待ちかね、栄えある第一回ヤマモンチャンピオンリーグを、ここに開催致しまーす!!」

パララララー、としょぼくれたファンファーレが鳴り、天井から一掴み程度の紙吹雪が落ちてきた。色は白と黒だった。
ヤマダは肩に乗った一枚を摘んで払うと、ふと声の調子を変えて言う。

「開催前に一言、大事な注意事項をお知らせしておきます。
皆様ここにお戻りになるまでに一度は考えたでしょうが、ゲットしたヤマモンで私を倒そうなどと考えないのが賢明です。
このゲームを管理している私達に逆らう事はできません、あしからず。逆らえば…どうなるかはお判りですね?
どうしてもというならチェーンソーでも持ってくる事です」

冗談なのか本気なのか不明な調子で、ヤマダは聞く者を不快にさせる短い笑い声をあげた。

「おや、あなたは…」

件の、最初にヤクチュウを捕まえた女子高生だった。
全てのヤマモンスターボールには、捕獲済を表すライトが点灯している。
どうやら生き延びたらしい。ヤマモンの他に、棚ボタを狙う乗客達の少なからぬ悪意に晒されながら、よく掻い潜ってみせたものだ。
機転、運、そしてこの場において、すっかり冷たくなった表情を、それでも落ち着かせていられるふてぶてしさ。
これは、あるいは期待できるのかもしれない。
ヤマダは、仮面の下であるかなしかの本物の微笑みに唇を歪め、すぐに消す。
代わって出てきたのはいつもの軽薄な丁寧語と、いつの間にか右手に握られている黄色い旗だった。

「では皆様、一列にお並びください。
これより、チャンピオンリーグの会場へとご案内致します!」

旗をパタパタと振って歩くヤマダに連れて行かれた先には、予想外に立派な会場が出来上がっていた。
球場とまではいかないが、小規模なコンサートホール程度の広さは確保されている。
円形のステージが中央にあり、それを囲むように客席が見下ろしている。
規模は比ぶべくもないが、丁度、ローマのコロッセオのようだ。
北に当たる位置に巨大な白板が置かれており、対戦の組み合わせが掲示されている。
見慣れた形からして、トーナメント形式であるらしい。厳正な抽選の結果のランダムです、と、前もってヤマダが説明している。
もっとも個々の実力など知る術がない為、仮に作為的なものがあったとしても、乗客達にとってさしたる違いはない。
事実それは完全なランダムであった訳だが、唯一のシード枠に目をやって、ヤマダは僅かに目を見開いた。またしても、本心から。
あの女子高生である。ただの運ではない、紛れもない豪運。これはもしかすると、本当にもしかしたら――。

「いけっ、ダッポウハーブ!」
「行け、アンボイナー!」

乗客の声に、ヤマダは注意をそちらへ戻した。
ステージ上には、離れて向かい合う乗客ふたりと、それを庇うように立つヤマモンが二体。
ここに来るまで既に多数のヤマモンと遭遇しているだろうが、それでも初見だったらしい乗客数名が、観客席から声をあげた。

「戦闘は、ターン制のコマンド入力方式です!
攻撃順は素早さのパラメータに従って、早い側から行われます!
先手必勝となるか、それとも防御からの大逆転となるか! さあ、記念すべきリーグ第一戦の第一手は、いかなるものになるのでしょう!?
――おっと、ここでコマンド入力が完了したようです! 先手を取ったのは――!」
「アンボイナー、ナパーム弾だ!」

号令が発せられるや、筒状の貝のように見えるヤマモンから、まるでミサイルのように焼夷弾が飛び出した。
白銀の爆弾は数秒もかからず向かいのヤマモンに命中、炸裂し、爆発音と共にたちまちステージの三分の一近くが炎に包まれる。

「うわあああああああああ!!!」
「ぎゃああああああああッ!!!」
「課長、課長ォーーー!!」
「熱い、熱いいいぃぃっ!!!」
「水、誰か水を! 消して、これ消してよオおおぉ!!」
「おおーっとお!! いきなりのナパーム弾ですうっ!!
これはくさタイプのダッポウハーブ、ひとたまりもありませんっ!! こうかはばつぐんだ!!
更に、範囲攻撃の余波が客席のトレーナー達に襲いかかるううぅっ!!」

絶叫に絶叫が重なり、それにヤマダの興奮したアナウンスが被さる。
飛散した充填物に、たまたま近い位置にいた運の悪い乗客達が巻き込まれた。
消そうにも消しようがなく、みるみる火だるまになっていく。数名が上着を抜いで叩き始めたが、その程度で収まる火ではない。
暫しの後、静かになった会場には、この種の火薬独特の焦げ臭さと、燃えた人肉と髪の悪臭が充満していた。
言葉もなく一様に土気色の顔になっている乗客達に、わざとらしく掌で煙を払う仕草をしながら、ヤマダが告げた。

「えー、どうやら鎮火したようですね。あ、燃えるものがなくなれば消えるのは当たり前ですね。
人道的理由から米軍において建前上使用が禁止されたというナパーム弾の威力、皆様にも存分に納得して頂けたと思います。
同時に、はかいこうせんを人に向かって撃つ事がどれほど危険かというのも、わかりやすくお勉強できた事でしょう。
一騒動ありましたが、気を取り直して続きを」

ヤマダの言葉が途切れる。
ぐるりと見回した先で、あの女子高生も死んでいた。
至近距離で浴びたらしく首から下がほぼ丸焦げになり、苦悶に歪んだ口からは、熱気で赤黒くなった舌がダラリと飛び出していた。

「………ま、まあ、こういう事もありますよ!
それでは皆様、転がっている焼死体を踏まないように、注意してポジションにお戻りください。
さっ、ステージ上のお二人もどうぞ対戦を再開してください!って、おや、片方はヤマモンごと焼け死んでおりますね、失礼しました。
えー、となると勝者はこちらの竹中さんです。おめでとうございます! いかがですか、最初の勝者となったご感想は!」

マイクを片手に、ヤマダがステージをスタスタと歩いていく。
待機組に負けず劣らず真っ青になって立ち竦んでいた勝者だったが、やがて背中を折り曲げると、その場にげえげえと吐き始めた。




「お疲れさまでした。初代チャンピオン様、足元にお気をつけてご乗車ください。
当車両は5分後に当駅を出発致します…」

疲れた顔で車両に乗り込む女をアナウンスで送ってから、ヤマダはふぅと息をつき壁に凭れかかった。
壁というのは、車両の壁だ。無数の目が、ぎょろりとそんな彼に向けられる。
なかなか斬新な試みだったな、と、この相手にしか出さない砕けた口調で話すヤマダに、病手はオォンと太く鳴いて答える。
実際それは新しかった。毎回ゲーム内容を変えてはいないが、最悪の仕掛けを考え出すにはそれなりに頭を使うし時間もかかるのだ。
これなら今後もたびたび取り入れてもいいかもしれない、と思ったところで、あ、とヤマダが呟いた。

「…そういえば、これだとチャンピオン一名しか次に進めないから、自動的にほとんどクリアの見込み無しって事になるよな」
「オーン…」
「ま、まあこういう事もあるだろ、うん」

どこかで聞いたような台詞をまた言って、ヤマダは制帽を被り直した。
心の中で、ヤマットモンスター以後没、と付け足すと、病手をぽんぽん叩いて出発を促す。
多分に誤魔化しの色が強いヤマダの態度に、呆れるように眼球を動かしながらも、病手はきっちり時間通りに、高らかに出発の咆哮をあげた。
チャンピオンは次のゲームで死んだ。


―――


敬愛する田鰻さんより賜りました病手二次。
今回特急快速ばりに突っ走っているヤマットモンスターの来襲でございました。

度々ツイッターでpkmnXYやMH4がやりたくて悔しいヤマダをネタにしていましたが、まさか田鰻さんに拾っていただけ、さらにこんなに腹筋に努力値が振られる作品をいただけるとは思いませんでした。

ちりばめられた初代ポケモン図鑑ネタ、理不尽なヤマモンたちに翻弄される乗客達に、なんだかんだ楽しそうかつノリノリなヤマダが堪らないです。
インド象とナパーム弾は笑いのツボにこうかばつぐんで声を出して笑ってしまいました。あとサブウェイ病手のR18という上級者向けタグ。上りも下りもこなせる病手の本が薄くなりますな…。

チュートリアルのとこでヤケクソになって出てきたサラリーマンのくだりや、着眼点はよかったのに実行することなく潰れた男、幸運に愛されてると思いきやナパーム弾で死んだ女子高生など、コミカルに悲惨な乗客達がまさに病手線ゲームだな…と今回も田鰻さんの手腕に圧倒されてしまいました。

田鰻さん、素敵な小説をありがとうございました!
ヤマモン、ゲットだぜ!



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