病手線ゲーム | ナノ


何巡目かで、これは一体どうした事だと思う。
その日、朝から車両にはたった一人の乗客さえも存在しなかった。
地方の、超が付くローカル線でさえ最低数人の利用客くらいはいるだろう。
ましてやここは都心の中央、日本における経済活動の真っ只中。
同時乗客数堂々の国内最多を誇る路線が、まさか回送中の札を掲げているでもないというのに、
ただの、一人も、乗客が見込めないだなどと、有り得ない。
ついでに言えば、お代は無料だ。金銭は一切頂かない。贈答品の類も謹んで遠慮をさせて頂く。
心の中に、死にたいという気持ちを抱えているだけで良いのだ。
死にたい死にたいと日々繰り返しぼやき続けながら、一向にそれを実行に移す気は無い、
ありきたりな臆病者であってくれれば構わない。ハイ一名様、そして一命様ご案内。病手線へようこそ。
何百人、何千人、何万人が軽く乗り降りする規模の路線となれば、そんな奴は掃いて捨てる程いる。

その有り得ない筈の事が、現実に起こっていたのだ。
イヤありえないだろ本当、と再び彼は思う。
しかも今日はクリスマス・イヴ。一年のうちでも取り分け愛憎渦巻くお祭りの日である。
そこに多忙な年末進行や不渡り一直線の厳しさが重なってくれば、乗客は減るどころか増えるのが当たり前なのだ。
だが彼の思惑がどうであれ、何十年と繰り返されてきたクリスマスがどうであれ、
今日この日ばかりは、確かに違っていたのである。
絶望視されていた取引は何故かトントン拍子に上手く運び、自然消滅間近だった恋仲は唐突に熱く復活し、
これで受からなければ最後という資格試験の合格通知が届き、数合わせで付いていった先で親友と確信できる相手に出会った。
ある意味で最も厄介な、何か知らないけど毎日が嫌だという抽象的な倦怠感に囚われていた男には宝くじが当たり、
女は道端に捨てられていた子猫と運命的な出会いを果たした。
その日の山手線の、乗員乗客掛け値なしにすべてが、種類を変え形を変え、死の願望から解き放たれていた。
まさに、聖夜が、聖夜という響きのままに機能していた奇跡の日。
世界が愛と幸福に満ち、実行力を伴わない自殺願望が消えるのは、彼としても祝福したい。
そもそもそんな願望さえ無ければ、今現在こんな状態に陥っていないのだから。
今日に限って誰もがハッピー、大いに結構。

しかし。

「…何だか、それはそれで面白くないんだが…」

人間って複雑だ。
そういえば自分も人間には違いないという事を、こんな事で思い出してしまった。
というか覚えてろリア充ども。そのうち成仏したら呪ってやるから。


更に二巡したところで、とうとう彼は匙を投げた。
本日の回収作業を、諦めたのである。
虚しさは一層増した反面、まぁこんな日もあるさというヤケクソ気味の諦めと、
それらを凌駕する奇妙な心地良さとが、彼の中でアンバランスに共生している。
このような輝かしい日を、一点の曇りなく祝えないというのは悲しいものだとつい自嘲気味になるも、
それが悲しい事だと認識できているだけ、まだマシかと思い直す。
いっそ認識できないまでに壊れ、ルーチンを実行するだけの機械になってしまった方が楽は楽なのだろうが、
そうなった瞬間にこの呪いは終わる。呪詛は、人の意志があるからこそ維持されるのだ。
獲物を捕らえながら、こちらが捕らえられてもいる。難儀な関係だなと、仮面の下で形だけの溜息をついた。
低く、獣が唸るような声が轟く。
彼は恐れる事なく、視線を顔ごと斜め上へ向けた。
どこを見ようと此処は彼女なのだから同じといっても、下を向いたりましてや無反応というのは、あまりに投げ遣りかつ失礼だろう。
愛しい恋人に対して。
視線の先で待っていた、複数の剥き出しの眼球に向かい、彼は言った。

「今日は店じまいだな、この調子だと」

ぎょろりと目が動く。
乗客がいないとは、ゲームをクリアする候補者もいないという事。
一日とはいえそれだけ解放される日が遠のいたというのに、どこか穏やかな口調に異変を感じ取ったように、
至る所から、目は彼を凝視している。
あまり見られていると言い出し辛いのだが、いつまで黙っていても始まらない。

「…そこで、ひとつ提案があったりする」

隠し事など必要ない相手とはいえ、これを口にするのはやや躊躇われた。
恥ずかしさや緊張からというより、戸惑いからであった。今の自分達にはあまりに似つかわしくなく、本来考える筈もない行為だ。
乗客数ゼロ人というどうかしている記録が打ち立てられるだけあってか、やはり今日の自分もどうかしている。
形無き呪いにまで作用してみせるのだとしたら、真の聖夜の影響力というのは驚嘆に値する。
さすがは世界最大規模の――いや、これ以上はやめておこう。

「俺達もデートしよう、今日の日に相応しく。
神様なんて信じたくもないが、じゃあ地獄の悪魔どもが気紛れか嫌がらせでこの一時を恵んでくれたんだとして、
ぽっかり空いてしまった予定を、ムダにする事もないだろと思う」
「……………」
「…思う…んだけど…どうかな」

どうにも頼りないと、自分で感じた。
無理もない。この呪いに巻き込んでおきながら、遊ぶような真似をしているのだから。
車内に落ちた沈黙に一層不安になったが、すぐに甘えるような唸り声が返ってきた事で、それは払拭された。
声量こそ大きいものの、どこか猫が喉を鳴らす時のような響きを伴っている。
壁に優しく手を添えて、彼は余裕を取り戻した声で続けた。

「よし、それじゃ決定。
世間一般がよろしくやってるんだ、俺達がやって悪い理由はないだろ。
仲良くクリスマス万歳といこうじゃないか。ここなら、わざわざ歩き回って二人っきりになれる場所を探さなくても済む」

ゲームの進行役である時の作り物の声とは異なる、本心からの興奮が、語尾を震わせ、また上げさせる。
彼は現在地を確認して、乗客のいない車両に高らかにアナウンスを響かせた。

「次は、たか――いや」

途中で止め、彼は改めて続ける。

「えー、次は、高田馬場。高田馬場…」

駅名として、耳に入ってくる音は同じ。
されどイントネーションは若干変化し、相手の人格ごとせせら笑うかのような悪意は取り除かれている。
言い終えて、軽く咳払い。幾分のくすぐったさを感じながら、今はゲームじゃなくてデートだからな、と彼は呟いた。



――高田馬場――

「………という感じで、ここは昔からの学生街として有名で。
駅をちょっと出ただけでも、予備校や専門学校が密集してる。
そのぶん競争も激しいみたいだから、自分の出身校が数年後に来たら無くなってましたなんて、
笑えない話も聞いたくらいだ。
もちろん、集まる学生達を狙った飲食店の競争も熾烈を極め、
それによる淘汰が働いた結果、自然とレベルの高い店が集い、学生以外の客もその恩恵に与れるという…」

調子良く続いていた一方通行のお喋りを、彼はふと不安を感じて中断した。

「…あまり面白くないか?」

応えて、低い唸りがあがる。
責める気は無さそうだが、積極的に肯定してくれているようにも聞こえない。
強いて言葉にするなら「さすがにこれは無いよ」が適切だろうか。
自分でもそう思う。
これではデートというよりガイドだ。そしてデート先で延々と地名や名所について由来を語り続ける男というのは、
割合に駄目な男のトップ10には間違いなくランク入りしているように思える。
といっても、どうすればいいのか。
考えなしに初めてしまったせいで、プランと呼べるものが一切出来ていない。
参考資料を当たろうにも、怨念兼呪いの状態になった人間同士のデート方法など、どんなハウトゥ本にも乗っている筈がない。
ついでに言えば、生前からデートらしいデートに無縁だときている。
…何だか、また沸々と腹が立ってきた。
だが、怒りはデートには相応しくない。指先でコツコツと仮面を叩いて、自らに気分転換と発送の転換とを促す。
目ぼしい駅に着くまでに何か思い付けるように祈りながら、ひとまず彼は出発を告げた。





――西日暮里――

「………ええーと……ここは有名な商店街があって、いろんなテレビ番組やドラマでも使われてるんだ。
最近は素材にこだわったかき氷屋が凄い人気らしく、夏になれば毎日のように行列が…」
「……………」

話しながら、額にも首筋にも背中にも冷や汗が浮いてきそうだった。というか何か答えて病手、お願い。
あれから数駅を過ぎたが、いまだ彼は駅前ご当地レポーターに終始していた。
だいたい、他の事をしようにも、彼はこの街を知らないのである。
呪いの力というのは忌まわしくも便利なもので、駅構内のみならず街までも自由自在に創造できる。そこの住民さえもだ。
しかしデザインの裁量は作者側に任されている訳で、建物ひとつとっても一から設計しなければならない。
悪意と殺意に満ちたトラップを設計するのは容易いが、単なる街となるとこれは非常に困る。
頭の中に多少なりともイメージがあればともかく、山手線全部の駅で降りて、かつ周辺を散策済みの人間はそうそういるものではなかった。
耳障りなまでの美声は萎れ切り、あの本能的に人間の不快感を掻き立てる、陽気な丁寧口調の片鱗すらそこに見て取れない。
もしも乗客が居合わせていれば、どう感じるであろうか。とりあえず、殴れば勝てそうと思うだろう。



――上野――

その駅に到着した途端、彼は心中で快哉を叫んだ。

ここなら俺でも分かる!

車両がホームに滑り込むや、それこそ車両にも勝るかという速度で彼は飛び出し、
程無くして戻ってきた。
気のせいか、その必要のない息まで荒げているように見える。
何事も気の持ちようと言うが、その場その場の心境というものは、より精神側に寄った霊体へも影響を及ぼすらしい。
少しずれてしまった仮面を直しつつ、彼はその手に握っていた品を、幾らか得意そうに掲げてみせた。
パンダ。
パンダである。
得体の知れない仮面で顔を隠した車掌と、土産物に丁度良さそうな小振りのパンダのぬいぐるみ。ストラップ仕様。
最早アンバランスや不似合いという問題さえ置き去りにしてきたかのような光景であるが、
当の本人は至って真面目な面持ちで、それを先頭車両のドアノブに括り付けた。
この世ならざる亡霊電車の、ドアノブからぶら下がるキュートなパンダ。走り出せば良く揺れるだろう。
極めてシュールではあるが、この車両本来の人格を考えれば、良く似合っていると言えた。
そして姿がどうであろうと彼にとっての彼女とは唯一人なのだから、これで構わない。

遅ればせながらというには、あまりに遅すぎて気付く。
何も、駅前や街並みを完璧実物通りに再現する必要はないのだと。
テーマを絞って抽出すれば良いというごく当然の事を、パンダという強烈な存在を有するこの駅に着くまで忘れていた。
それだけ焦っていたという事でもあるし、舞い上がっていたという事でもある。
戻ってくるところからずっと作業を追っていた無数の目は、己の役割に似つかわしくなく、どことなく和らいで見えた。
それにしては声を聞かせてくれないのだが、黙っているからこそ生まれる空気というのもあるだろう、多分。
ようやく盛り返せた気がして、彼は密かに胸を撫で下ろした。気のせいでない事を祈る。
ゲームに関しては冷酷無比な男も、殊この件においては形無しであった。



――秋葉原――

「…ここはやめておこう」

着くなり彼は即答した。

「いや、別に偏見を持ってる訳じゃないんだ。
お前も知ってる通り俺はゲーム好きだし、お前だって好きだよな。
硬派と思ってやってたゲームにいきなり媚び媚びのサブヒロインが出てきた時は焦ったけど、
それだってお前は気持ち悪いとか言わずニコニコと見ててくれた。女神か。
…で話を戻すと、とにかくそういう訳だから、俺がここを避けるのは決して趣味の差別からじゃない。
昔ながらの電気店も頑張ってるし、飲食店は結構いいのが揃ってるって聞く。
ただそれでも、デートとしては果たしてどうかと首を捻らざるを得ないだけなんだ、ここは」

ぐるる、と低い唸り声。

「なんで不審そうなんだよ。
違うって、変な裏は無いから。断じてメイド服がどうとかそういう事では…」
「ウオオオオォォォオォオォオオ!」
「うわあっ!! だ、だから違う!!
俺はメイド服を見下していないし嫌ってもいないしお前のメイド服姿が見たくないかと問われれば全力で否定する! 見たかったよ畜生!
だがそれでも、それでも、電車にメイド服というのは流石のお前を愛する俺でも到達できない次元にあると――」
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
「ぎゃああああ!!」

反動で首がもげそうな急発進をかまされ、彼はあえなく床に叩き付けられた。
速度順守もへったくれもない加速、また加速。
これが噂のDVか…と床で呻きながら馬鹿な事を考えていたのは、たぶん脳震盪を起こしていたからだろう。霊的な意味で。
まあ、元気なようで何より。



――新橋――

「た、ただいま…」

何故か虚ろな様子で、彼は街からの帰還を告げた。
この駅に来るまでの途中を数駅すっ飛ばした気もするが、その辺りの事を思い出すのを本能が拒否している。
思い出すべきでないと直感するものは、素直に思い出さない方が良いのだ。彼は経過を投げた。
新橋といえば、名にし負うリーマン街であり、背広とネクタイの聖地。
質と値段が常に企業戦士達の厳しい目に晒されているだけあって、食事処から立ち飲み屋まで、そのレベルは非常に高い。
生前の彼は、友人付き合いや上司に誘われて、たまに評判の店を訪れる事もある程度だったが、
あんな事故さえ無ければ、いずれこの街に足繁く通うような日々を送っていたのかもしれないと思う。
今となっては、全て虚しい仮定に過ぎない。

「という訳で、これ。人気の串焼き。持ち帰りOK」

半ば無理矢理連れ込まれた店だったが、カウンターだけの驚くほど狭い店内に反して、
これまた驚くほど味が良かったので、印象に残っていたのだ。
自分が若造で店巡りなどした事がなかったというのも大きいにしろ、こんなに美味い串焼きがあるのに感動したくらいだった。
あの日帰りに土産に包んでもらった時と同じ、ひどく雑な紙袋から、串焼きを取り出す。
といっても、先頭車両にある形だけの口に食べさせる訳にもいかず、必然的に持ち帰った土産を恋人の前で食べ出す、という不可思議な光景となる。
だが、仮に彼女が口が利けたのなら「食べて食べて」と勧めてくるだろうから、これで正解なのだ。
その程度には、彼女を理解している自負がある。
彼は仮面を上にずらした。不気味に吊り上がった口の下から、確かに人間の形をした唇が、僅かに覗く。
躊躇せず、彼は手にした串焼きに齧り付いた。
物を食べる。口内に含んだ物を咀嚼する。
そんな当たり前の行為に口を使うのは、いつ以来かと考えた。
もう何年も何十年も昔のようであれば、つい昨日、朝食を食べたばかりのようでもある。
噛む、飲み込む。
無論、形だけだ。
輪郭のみ真似て作った食品に実体などあろう訳なく、そもそもこの体は、魂は味覚を持たない。
いかに精巧に小道具を作り出したとて、偽物はどこまでいっても偽物でしかないのだ。

しかし、偽物にも良いところはある。

「いくつ食べても満腹にならないから、食べたいものを食べたいだけ食べられるぞ。
料理は見た目も重要って言うだろ。だったら逆に、見た目だけでも料理の一部って呼べるんじゃないかな。
近頃じゃ飯テロなんて言葉もあるくらいだ。単なる見た目が、確実に肉体に作用を及ぼしている。
ああ、そうに決まってる。たとえ一欠片の要素でも、こいつはちゃんとした料理なんだ」

じっと見ている眼球達に話しかけながら、次の一本に口をつける。今度は海鮮。最初に来るのは瑞々しい海老の歯応え。
うまい、と彼は言った。
本当に、おいしいように感じられたのだ。
どうせすぐに自らの悪意に飲み込まれ、明日には忘れてしまう感情だとしても、ほんの僅か、救われた気がした。



――原宿――

デートコースは、山手線一周。
自然と決まった刻限は、そろそろ終わりに近付いている。
こうした品を女性に贈るのは、最初がいいのか、最後がいいのか。
初めにプレゼントして、開始を喜びで飾るというのも悪い選択ではないだろう。
しかし間に食事を挟む事を考えると、汚れてしまわないよう締めに渡すというのが、より正しいとも思える。
なにぶん生前ほぼ未経験とあっては机上の空論に過ぎないのだが、そういう場合に大切なのは自信だ。
これで間違っていない、という、傲慢に感じさせない程度の揺るぎなさ。

「ほら、似合う」

彼は自然な口調で、ドアノブからそっと手を退けた。
それは事実彼の本心であったから、何ら意識して口にする必要は無かったのだ。
例のパンダの隣で、微かな音を立てて揺れるネックレスのチェーン。
ハートモチーフである辺りが、我ながらベタだと思った。
いまや絶滅危惧種ともいえるベタな美少女相手なのだから、贈り物もベタでいいんだと自分を納得させる。
これもまた偽物などという無粋な話は、彼の頭から消えていた。

「この街は、こういうのが沢山あって楽しいよな」

ルゥ、と短い唸り声が返ってくる。
微妙に反応が鈍い。視線を向ける先の目が揃ってあちらこちらに逸れるのは、もしや照れているのか、これは。
うん、乙女。彼は心から満足した。
出だしは散々であったが、どうやらここにきて完全に巻き返してみせたようであった。



時間は再び回り出す。
彼らにとっての時間。彼と彼女にとっての時間。何ら変わらぬ時間。
特別と決めた一周が終わるのは呆気なく、いつもと同じ日常が戻ってくるのも呆気なかった。
巡り、拾い、植え付ける日々。
乗客は相変わらず一人も見付からないままだが、彼は既に”ヤマダ”であり、彼女は既に”病手”であった。
束の間、人間同士として語り合った奇跡の時間に思いを馳せながら、再びあれに手を伸ばせはしない事を、どちらも知っている。

「――もっと、人生を謳歌しておけば良かったな。
お前を忘れていればと思った訳じゃないが、優等生でいるだけじゃなく、
もっと羽目を外して、あっちこっちを遊び歩いていれば、今日のデートだってずっと良くなったのに。
…お前の、言った通りだったな」

有名スポットや隠れた名所の土産物を、山程持ち帰れたかもしれない。
知る人ぞ知るという山海の美味珍味に、舌鼓を打てたかもしれない。
女の子が喜びそうなアクセサリーだって、選ぶのに困ってしまうくらい差し出してやれたかもしれない。
後悔は、いつだって遅れてやってくる。
それにしたってこれは、あんまりじゃないのかと思う。
死んでからやっと回ってきた機会さえ、満足に与えてやれないだなんて。

「いや、おかしな事を言ってるのは自分で分かってるんだ。
こんな状態でデートしなくちゃいけなくなったのが、そもそも間違ってるんだから」

結局、そこを嘆いても仕方がないのだ。
悔やんでも、望んでも、この線路を逆走しても、過去には遡れない。
だが、仕方ないで片付けたくない気持ちもある。
たとえ怨霊と化そうと、何もかもを諦めて受け入れている訳ではない。
彼は、窓の外へと目をやった。
ドアノブに括り付けたパンダのぬいぐるみと、ハートのネックレスは、まだそこで揺れている。
日付を跨げば消えてしまう一時の夢を、今だけはと言い訳をして、きつく心に焼き付けた。

「…なあ、千咲…」

聞きたくないと思いつつ、口は勝手に言葉を紡いでいる。

「…本当に、相手が俺で良かったのか?
京平の記憶、意思、全てを受け継いではいるが、それでも俺は――」

あのパンダや、串焼きや、ネックレスと同じく。
思考を打ち破ったのは、叱るような短く、高い咆哮だった。

「そうか…」

長くは答えず、それだけで終わらせた。

「…今日は、いい気分転換になった。
明日からまた、俺達の仕事を始めよう」

胸元を締め直し、制帽の位置を整える。
前を向く顔は仮面のまま、浜渕京平でなければ、進行役たるヤマダとも違う、淡々とした寂しさを備えた声で、彼は告げた。

「発車、オーライ」



―――


もう三度めになります、我が人外神・田鰻さんから、まさかのヤマダと病手のデートSSを賜りました!!
すげーよ病手線…一体いくついただきものもらえてんだ…これが、一年越しの更新効果…。

いやしかし、何度見ても田鰻さんの手腕の天晴れなこと…。
随所にちりばめられた言葉遊びに、病手の化け物可愛いリアクションに、必死なきょーくんことヤマダにときめきが止まらないです。
これはもう聖地巡礼として山手線乗ってくるしかない。ただし私は一人。泣いてないです。

上野からの萌えラッシュが本当にご馳走で、今度まともな顔で山の手線乗れないのは必須なわけですが、
特に秋葉のくだりは聖地のお加護を感じますね。病手まじヤマダの女神…。

聖夜がもたらした一時を奇跡を謳歌するヤマ病、今回も本当にすんばらしいものを賜ってしまいました。
田鰻さん、本当にありがとうございました!!



back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -