いただきもの | ナノ





ホラーは苦手だ。オカルトの類全般が嫌いだ。
別段、死体は怖くない。刃物を手に向かってくる暴漢も同じ。
そいつらは既に死んだもの、現に生きているものとして目の前に固定されているのだから、
言ってしまえば何が怖いのかさえ分からない。それ以上にもそれ以下にもならないという状態が一番安定する。
反面、幽霊やら呪いやらの類は実によろしくない。いつ出てくるか分からない。どこに出てくるか分からない。
何をしでかすか分からない。まさしく狂気の沙汰だ。殴れば黙るか死ぬかする相手と違い、
こちらは殴っても手応えがなく、すっと消えたと思ったら真夜中にふと見上げた天井に現れたりする。
勘弁してほしい。

しかしそんな彼にとっても、墓地というのはそこまでの鬼門にはならなかった。
そもそも墓場を好む人間は少ないだろうが、彼に限らず、極端に苦手という人間もあまり見かけない。
ホラーの舞台に選ばれる事もあまりないようだ……というのは同僚からの要らない情報。
墓地とは、この世で最も死者に近い場所。ふとした拍子に目を覚ました何かがさまよい出たとしても、
当たり前すぎて、却って恐怖心を煽られないのかもしれない。
そう思ってはいても、気分のいい場所ではないが。
ただ、もしも今背後から、この世に恨みを抱いた血みどろの幽霊が襲ってきたとしても、
怯えなど微塵も表に出さずに踏ん張り、いつもそうしてきたように上から笑ってみせる自信があった。
兎角、男は強く見栄を張ろうとするものだ。恋人と、母親の前では。
物言わぬ墓石が立ち並ぶ薄気味悪さよりも、空の青さと雲の白さに目が行くのは、きっとそのせいだろう。

「……ったく、何度見ても無駄にいい墓建ててくれやがってよぉ。
こんなもん盗む奴もいねえだろうけど、分相応って言葉知らねぇのか、あいつは」

母の名が刻まれた墓石の前に佇み、彼は一人ごちた。
形状も広さも周囲に溶け込む平凡な造りの中で、使われている石だけは御影石の中でも最上級のもの。
彼が選択した訳ではない。呆然とするまま葬儀の支度から何から丸投げにしていたら、勝手に決められていたのだ。
石の良し悪しなど興味がない彼も事実と金額を知った時には仰天し、無論、即座に抗議した。
相手は、彼の上司である。墓石の代金はすべて彼が負担していた。

――ふざけんなオイ何してくれてんだ、金は俺が出す
――こちらが勝手にやった事なので、お気になさらず
――そこまでしてもらう理由がねぇ。俺は……
――その自覚があるなら、厚意にせよ嫌がらせにせよ理由は生まれていると思いますが
――てめぇ

思わず拳を固めたものの、殴り掛かる訳にはいかなかった。
代わりにしつこく詰め寄り、代金は立て替えてもらった扱いにして少しずつ返却する事を強引に認めさせる。
頭の火をちろちろと揺らして呆れたように苦笑していた上司の、まぁそれも親孝行でしょう、という言葉が、
やけに印象に残った。死んでいるのに孝行も何もあるものかと思う反面、どこか心にすとんと落ちていく。
苦労し通しだった人生、せめて最後に眠る場所くらいは良いものを。
そう思うと、あの混乱してバタバタしていた時に、余計な真似をしてくれた事への感謝が湧いてくる。
もしも本人がこの場にいれば、こんな贅沢してくれちゃってと、冗談めかして笑っただろうか。
忙しくはあったけど、苦労したなんて思った事はなかったよと優しく頭を撫でて。

あんまり寝心地のいい墓にしたら次に進みたくなくなるんじゃねえかなと、らしくない想像をして彼は笑う。
生まれ変わりなんてものを丸ごと信じ込んでいる訳ではないが、くそったれな神様やら、
呪いやら霊力やらが存在している世界なら、魂があったとしても不思議はない。
死後の世界は平等で、およそこの世界からは失われかけている、純粋な善なるもので成り立っているという。
だったらあの人は、少なくともあちらで悪い目には遭っていないと信じられた。
馬鹿みたいなお人好しと無償の愛の果てに死んだ者を、神様だか仏様だかは悪いようには扱うまい。

「それでも、俺はあんたに生きててほしかったよ、母さん」

ポケットから煙草を取り出しかけて、思い直したように戻す。
健康の為に禁煙します、などと口にする柄ではないとはいえ、ここで過ごす間くらいは視界を煙で曇らせたくない。
指間に挟むべき煙草を失い、空いてしまった手を前に伸ばす。あちこちに胼胝のできた掌が、墓石に触れた。
磨き抜かれている事もあり、石は殊更に冷たく感じる。
だが、ずっとそうしていると、少しずつ自分の体温が移っていくように感じた。
あの日、慟哭と共にいつまでも握り締めていた手がそうだったように。

「なあ聞いてくれよ、俺、世界を救ったんだぜ。
事実は小説よりも奇なりとか言うけど……こんな俺が、よぉ」

とうとう彼女が見る事は叶わなかった、世界が神の手を離れた瞬間を彼は振り返る。
彼一人で救った訳ではない。正確には、救ったのは彼ではない。
もっと正確に言えば、人類の勝利は何もせずとも確定していた。
彼はあの場に、最後に残るものを捻じ曲げる為に、声に応じて集まった大勢のうちの一人だったに過ぎない。
皆で分かち合って守った世界であり、一人の少女の笑顔であった事は承知している。
それでも始まりに当たり真っ先に手を上げた者達の一人であり、呼び掛けて回る側だったのも事実ではある。
そこにあったのは、誰が一番偉いと決めるような事ではない僅かな差だ。
固唾を呑んで見守るしかなかった者達といえど、切っ掛けひとつで同じ側に立っていただけの違い。
それでも彼は、その僅かな違いが誇らしかった。
人生など偶然の巡り合わせと繰り返しで、ならばその奇跡のような積み重ねの果てに、
あの日、あの時、あの側に立つ者として自分が選ばれた事には、きっと意味があったのだろう。
母が聞けば、きっとじゃないわ絶対よ!と明るく、そして力強く笑って、彼の肩をぽんと叩いたに違いなかった。

――よくやったわ、アオキ
――あなたならそのくらいできて当然よ、なんたって、母さん自慢の息子なんだから!

目を閉じるだけで、いかにも言ってきそうな言葉が次から次へと浮かび上がってくる。
不思議な事に、それは脳裏に蘇る記憶の声ではなく、実際に耳元で響いているかのように聞こえた。
彼は目を開ける。勿論、そこに彼が再び会いたいと願う人物の姿はない。

だが。

「んっとにうるせえババアだ、石になっちまってからもピーチクパーチクと。
俺はそんな出来のいい子供じゃねーっての、買い被りも程々にしとけよ」

そうするのが当たり前のように、彼はごく自然に墓石に語りかけていた。
剣呑なのは内容だけで、目元も口元も、滅多に見られない穏やかな苦笑で綻んでいる。
憎まれ口。あるいは照れ隠し。その年齢で反抗期はやめておけと、周囲の者達から呆れられそうな。
そのくらい、今の彼の前には確かに母親がいたのだ。
優しくて強い声を、確かに聞いた。
よしんば、本当に墓石が語りかけてきたのだとしても、それならそれでいいと思った。
話したい事、話さなければいけない事、話して叱られなければいけない事は山程ある。
今も、次も、その次も。

「さて、と……そうだ、あいつらに何か買って帰るか。墓参りで土産ってのもおかしな話だけどよ」

確かにおかしな話だが、やって悪いという事でもない。
母なら、手ぶらではなく土産を持ち帰ってやりたいと思える者達ができた事を喜び、祝福してくれるだろう。
線香の煙が消えつつある。気付けば、ずいぶん長くここにいたらしい。
供えた花が風に揺れている。彼女に似合う色をと、必死に頭を絞って選んだ純白の花。
そうだ、次に来る時には赤いカーネーションにしようと、彼は思った。
ここではない世界で特別な意味を持つのだと聞く、愛の花を。



―――

敬愛する話部屋の田鰻さんから賜りました、シグナルのお話です!

モノツキ完走してよかったと思うことはたくさんありましたが、田鰻さんからモノツキの小説を書いていただけることになった時、本当に最後まで書いてよかったと天を仰ぎました。
そして此方を頂戴した時は、感極まって涙した為、俯くという。天地を統べる感動がここに。

喜びのあまり文章のテンションもおかしなことになっていますが、それも納得していただけるかと思われます。まさかのシグナルというところから、母親の墓参りというシチュエーション……そうきたか!と興奮して一度携帯を置いた私の気持ちもご理解いただけるでしょう。
もう本当に、シグナルの悪態のつき方とか、昼行灯とのやり取りとか、ミドリの言葉とか、ある!この光景、絶対にある!と頷かざるを得ないと言いますか、ああこれはラグナロク終結後の帝都のことだなと眼を細めてその景色を見ているような気持ちになると言いますか……こんなにキャラのことを捉えて描写していただけて、ただただ感服、そして感動に尽きます。

田鰻さん、素敵なお話をありがとうございました!!


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