モノツキ | ナノ




私はずっと、願っていた。

誰かが、私の心に立ち込める暗雲のような悲しみを消して、光を射し込ませてくれることを、待ち望んでいた。
抱え込んだ寂しさも不安も、何も口にせず、隠し込んで。それでもいつか、自分は日の当たる場所に行けると信じていた。
私自身が暗闇をまとっていたら、何処にいても同じなのに。行き着いた先で傷付くのが怖くて、自らを明かそうとしなかった。

そんな、臆病でどうしようもない私の心を晴らして、照らし続けてくれたのは、貴方だった。


明けない夜に怯える私に、大丈夫だって言い聞かせて、雨のように降り注ぐ絶望から守ってくれた。

しがみついて離れなかった暗がりを、泣きたくなるくらい優しく溶かしてくれた。

怖がることは何もないって、誰より近くで教えてくれた。

欲しくて堪らなかった温かさも居場所も、全て与えてくれた。


もう貴方を失う以上に怖いことなんてないと言えるくらい、私は、貴方に救われている。

だから、今なら。

かつて何より恐れた痛みにだって、立ち向かっていけると。そう、強く言える。


「本当に、来たんだな……ヨリコくん」





帝都警察留置所、面会室の前。重厚な鉄扉を更に閉ざすように立っていたクロサワは、予定時刻きっかりに現れたヨリコに、眉を顰めた。

彼女の境遇、受けた傷、その痛みを知っている。故に彼は、ヨリコの来訪を歓迎出来なかった。


「お忙しい中、ありがとうございます」

「いや。キ……すすぎあらいがいつも世話になってるみたいだし、社長さんからのお願いだし……それに、君は被害者だからな」


ヨリコは、彼女の両親の仇たる男――異形のテロリスト・インキと話をしたいと、此処に来た。

一体、あの狂人と何を話すつもりなのか。そんなことを聞くことなど出来る訳もなく、動機に託けてNOとは言えず。
彼女の身の上を思えば、頭ごなしに駄目だと拒むことも出来ず。

結局、時間と場所を取って面会を設けたクロサワであったが、可能ならば今すぐにでも彼女には踵を返してもらいたいと、彼は思っていた。


「一つ言っておくが……あれと、話が出来るとは、思わない方がいい。鎮静剤は打ってあるが、それでも……あれは、人間である君の話を聞こうとはしないだろう」


ヨリコがこれから話をしようとしているのは、帝都の闇が生んだ災厄だ。

己を蔑み、嬲り、痛めつけ、迫害してくれた人間に対する怨念と瞋恚で動く、狂気そのもの。
そんなものと対面したところで、まともな話が出来ないことは、彼を拘束してから三日で十分過ぎるくらい、クロサワは理解していた。

インキは、最早内外共に、人間を外れている。彼はもう、人と呼べるものではなく。怒りと憎悪に身を任せ破壊を望む、呪いそのものだ。
その悍ましさを、ヨリコもよく知っている筈だった。

両親を奪われたあの事故で、今回の騒動で。彼女はインキの、無差別に等しい殺意に中てられ、目も当てられない程に傷付いてきた。
だのにまた、今度は自ら新しい痛みを受けるような真似をしなくてもいいのではないか。
クロサワはそんな思いで、ヨリコを此処から先へ踏み込ませたくなかった。

が、そんな彼の憂慮を余所に、ヨリコは一切の迷いもなく、この先へ――インキのもとへ進むことを望んだ。


「大丈夫です」


何が、大丈夫だというのか。
そう聞き返すことが烏滸がましいと感じられる程、ヨリコの眼に揺らぎはなかった。

欠片も不安を感じていない訳ではない。微笑んでみせてはいるが、頬には緊張からか汗が伝い、顔色もよくはない。
それでも、断固としてこの場から去ることを許さないという意志が、クロサワを制していた。


「お話を聞いてもらえなくっても、答えてもらえなくてもいいんです。私は……それでも、インキさんに直接伝えたいんです」


この、小さくか細い体の何処から、そんな強さが生まれてくるのか。

クロサワは観念したように溜め息を吐き、面会室の扉を開いた。

大丈夫。確かに彼女は大丈夫だと、根拠もなく確信しつつあるクロサワに通され、ヨリコは簡素なパイプ椅子に腰を下ろした。
強化ガラスで隔てられた部屋の向こうに、身動き一つ出来ぬ程厳重に拘束具を付けられたインキが運ばれてきたのは、それからすぐのことだった。


「……面会時間は、五分です」


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