モノツキ | ナノ




(へ……これ、私に…ですか?)


何故あの子に、あの花を手渡そうと思ったのか。自分でもよく分かっていなかった。

たまたま貰って、処遇に困っていたとはいえ。そのまま、買った花束と一緒に供えてもらっておけばよかったものを。
どうして俺は、わざわざ持ち帰って、あの、小さな百合を渡したのか。


(ありがとうございます、すすぎあらいさん。お花、とっても嬉しいです)


嗚呼、そうだ。あの子は、よく似ているんだ。


(おとーさん、おかえりさない!)

(了解。その代わり、今度試験勉強に付き合ってよね)


洗濯をする前の、かつての俺に。マシロ・キヨツグに、あの子は――。


(父さん!!母さん!!!おい…どうしてだよ…どうしてだよぉおお!!!)


今まさに広がろうとしている心の穢れさえも、よく似ているんだ。





定期的に心電図が電子音を奏で、点滴が雫を垂らす。
それらの音がありながら異常に静かなのは、寝台に臥せる昼行灯の眠りが、とても深い為だろう。


「盛られた毒が弱いものでよかったデス。暫くは熱や吐き気に苦しむでしょうが、五日もすれば治るデスよ」


藥丸にそう言われ、病室から掃き出された一同は、ニコニコクリニックの待ち合い室にて、緊急会議を開いていた。

傍らには、この現状を作り出してしまった一因たるヨリコが、目も当てられない程哀れに沈み、力無く壁際の椅子に座り込んでいるが、薄紅達は彼女に掛ける言葉が見付からず。
また、この事態に可及的かつ速やかに、対応せねばならないと、ヨリコを置いた状態で、会議を始めた。


「まさか、二重奏までもがサカヅキに加担していたとはな……」

「俺達が思っている以上に、サカヅキの……インキの理想に共感しているモノツキは多かったみてぇだが……こうなると、もう誰が牙を剥いてくんだか分かんねぇな」


昼行灯が此処に担ぎ込まれることになったのは、今から数時間前。
アルバイトを終えて帰った筈のヨリコがオフィスに走り込んで来て、呂律が上手く回らぬ程に気が動転している彼女が、
「昼さんが、昼さんが」と告げた瞬間。社員達は弾かれたようにオフィスを出て、間もなく、廊下に倒れ込む血だらけの昼行灯を発見した。

何故、ノキシタ商会に向かう為に会社を出ていた彼がこの有り様になっているのか。何故、彼と一緒にヨリコがいるのか。
その答えは、存外すぐに浮かんでしまった。


(そういう訳だから、あの子にはこの件について極力話さないようにしよう)


彼女は、知ってしまったのだ。どういう経緯で、何を見て、どこまで把握したのかは分からないが。
それでも、ヨリコは知ってしまったのだ。

ツキカゲが今回処理に掛かっている相手が――サカヅキが、インキが、自身の両親の仇であることを。

先刻すすぎあらいが危惧し、黙秘を貫こうと提案した通り。真相を知ったヨリコは、行動に出てしまった。その結果が、これだ。


「かれこれ五年以上、常連やってた喫茶店の店長に裏切られたんだ。昼行灯も、そりゃたまげたろうぜ…」

「どうします?これからウライチで、サカヅキの聞き込み調査しようと思ってた矢先に、こんなことになって……」


まさかヨリコも、いや、昼行灯でさえも、こんなことになるとは思ってもいなかっただろう。

偶然隠されていた真実を手に取ってしまい、偶然それを明かしてしまい、偶然その場所に、インキの同胞と化した者がいたなど。
いっそ奇跡に等しいこの惨劇に、乾いた笑いさえ出てきそうだ。

どうしてこうも、絶望的なことにばかり、天運が働いてしまうのか。

頭を掻き毟りたくなるような事態に、ツキカゲ社員一同は、焦りと不安を抱えていた。


「一体、誰を信じて、誰を頼ったらいいんですかね……」


想像以上に広がっていたインキの悪意は、最早何処まで浸透しているのか分からない。

長らく店主と常連という間柄で、良好にして平穏な関係を続けてきた筈の二重奏でさえも、インキの思想に賛同し、昼行灯を欺き、裏切ったのだ。
味方、或いは、無関係だと思っていた者でさえ、インキの狂気に染まり、毒されていると、今回の件で分かっただけ、もしかしたらマシだったかもしれない。

だが、叶うならば、知らずに済んでもよかったことならば、誰も、これを眼にしたくはなかった。
誰がいつ、此方の首を掻いてくるのかさえ分からない闇の中に、忽然と立たされているという、悍ましい現状を。


「もしかしたら、此処も……」

「いや、それはないだろう」


急速に、今更ながらやってきた恐れに怯えるサカナに対し、薄紅はまだ保たれている冷静さで、判断した。

確かに今、モノツキというモノツキは全てが疑わしい。それでも、まだどうにか、敵味方を判別する術はある。
薄紅は、かつてインキが近くにいた者でよかったと、皮肉ながら、この時ばかりは感謝した。


「此処には、人間であるサヨナキがいる。人間を徹底嫌悪しているインキに、藥丸が加担しているなら……まず真っ先に、サヨナキは始末されているだろう。
彼女が此処にいる以上、藥丸は信頼していいだろう……現に、昼行灯に仕込まれた毒も、除去してくれたしな。
不幸中の幸いというべきか……あいつは、まだモノツキであったから、体の自由を奪う程度の毒で済まされたんだろう。
もし、あそこにいたのが俺だったら……間違いなく、確実に死ぬ毒を盛られていただろう」


インキという男の性質を把握し、状況を適切に処理すれば、線引きは容易かった。


インキは、人間という人間を全て憎んでいる、恨んでいる。

老若男女、富裕貧困、人種問わず。それが人間であるのならば、それだけで彼は心の底から嫌悪し、侮蔑し、排他する。
例え相手が元モノツキであり、元上司であろうとも。現状人間であれば、彼は一切の情けも容赦もなく、手を下すだろう。

インキというのは、そういう男で、故に、こんなことになってしまっているのだ。


「ヨリコさんが、二重奏の出したものを飲まなかったのも、幸運だな……。彼女の方には間違いなく、助かりようのない毒が仕込まれていただろうに……。
ともかく、二人共運がよかった……」


逆に言えば、彼は人間でない者に――同族たるモノツキに対しては、非常に友好的である。

既に敵と知りながら、昼行灯に対し致死毒を盛らせず、勧誘するように二重奏に差し向けたのも、彼がモノツキだからだ。

同じく神に呪われ、同じく人に虐げられ、同じく帝都の闇に追いやられた、哀しき同胞。
それを救うべく、インキはテロリストとなり、人間を支配するモノツキの社会を作らんと立ち上がったのだ。

完全に狂っているとしか言いようのない、彼の正義。その加護を受けるのがモノツキだけ、と考えれば、人間であるサヨナキがいる此処は、安全と言えた。

しかし、その安寧も長く続いてくれるものではない。


「……それで、どうする薄紅」


想像以上の侵略スピードで、インキの魔の手は、ギリギリのラインで保たれていた平穏を荒らしていく。

闘争の芽を引き摺り出し、火を点け、煽動し、人間の領域を蹂躙せんと、こうしている間にも彼等は活動している。
もたもたしていれば、今ある静穏も瞬く間に消える。脅かされる。


「ヨリコちゃんの話じゃ、昼行灯はあいつらにスカウトを受け、断った。その結果が、あのザマだ。
あいつが勧誘を拒否したということは、イコール、俺達ツキカゲも、サカヅキを拒んだっつーことになる。となれば……連中、次は確実に俺達を潰しにかかってくるぞ」

「……だろうな」


昼行灯が倒れている現状、サカヅキを討つ仕事の指揮は、薄紅が取らなければならず。
未だ社内の混乱と困惑が冷めやらぬまま、彼自身大きく動揺している状態で、彼は次の行動を決めなければならなかった。

修治が言ってきた通り、昼行灯はインキの誘いを拒絶した。
社長の意思は会社の意思。昼行灯がNOと言ったのならば、それ即ち、ツキカゲ総員もインキに従わないということだ。
幾ら社員の大半がモノツキであるとはいえ、人間に加担する者を、インキは許さないだろう。

まして、此方がサカヅキを畳もうとしていることは、既に向こうに知れているのだ。
今度こそ、昼行灯は、ツキカゲは、完全なる敵対者と見做され、一欠片の慈悲もない徹底した襲撃を受けるだろう。

それこそ、サカヅキに操られることになった人々のように。一番大事なものを抉るように――。


「本命の方があるとは言え、想像以上の人員を持ってるとありゃぁ何かしらアクションを仕掛けてくるに違いねぇ。
副社長、アンタよぉ……家族のこと放っておいて大丈夫かぁ?」

「……シオネにはもう、連絡してある。暫く身の安全が確保出来るよう…すすぎあらいが、帝都警察の知り合いに頼んでくれたと、な……」


この場で、最もインキ達の次手に怯え、焦燥を抱えていたのは、他ならない薄紅だった。


モノツキは凡そ、孤独だ。

呪われ、社会的地位や人権を失い、親兄弟、友人恋人から見放され、闇へ追いやられ――寄る辺を失くした彼等は、裏社会で働くに辺り、絶好の身分であった。

望まずとも、それ以外のない彼等は、渋々ながらに手を汚すが、次第に理解していく。
自身の孤独こそ、裏社会に於いて最良の状態であり、失うことへの畏怖がない己は、躊躇いなく踏み出していけるのだと。
こうして、モノツキ達は帝都の闇に嵌り込んでいく、のめり込んでいく。

だから、そこからまた転じて、掛替えのないものを得てしまった者は、気付いてしまうのだ。

自分が、もうとっくに救われようのないとこまで沈んでしまっていたということに。


「正直、俺は……今、自分が恨めしくて仕方ない。
こんな時が来ることは覚悟していたが……それでも、妻と子供を巻き込んでしまう…呪われたままのこの身が、心底憎い」


薄紅は、シオネと出会い、結ばれ、人の姿と名前を取り戻した。

長年の孤独を溶かされ、生涯連れ添う伴侶を得て、人としての幸福を掴んだ。
そんな、誰もが望む幸せを手にしても、薄紅は、完全に救われてはいなかった。いや、救われようがなかったのだ。

彼は、モノツキと化してから、生きる為に人を殺した。
殺して、殺して、いつしか人斬りシザークロスなどと呼ばれるようになるまで、彼は殺した。
その時点で、彼は、完全に人間として戻れなくなってしまった。

例え真実の愛を得て、姿は人のものになろうとも。夥しい量の他人の血が染み込んでいるその体は、人間社会で生きていけない。

薄紅は――ヒハラ・シュウイチは、つくも神の定めた罪を許されても、人の定めた罪からは、逃れられないのだ。


今もこうして、ツキカゲに身を置き続けているのが、その証拠。彼は今だ、呪いを受けたまま。罪人のまま。
自ら積み重ねた罪のツケを食らい、薄紅は、気がおかしくなりそうだと苦笑を浮かべていた。
早急に手を打つべく策を練らなければならない状況で、彼の思考を苛んでいるのは、そこにあった。

あまりに痛ましいその有様に、誰も薄紅を急かすことは出来ず。代わりに目をつけたのは――。


「……そういえば、すすぎくんは?」


LANまでもが引っ張り出され、社員全員が集まっている中。姿を見せていないのは、すすぎあらいであった。

確か、昼行灯がニコニコクリニックに運び込まれた時にはいたような気がしたのだが…と茶々子が、慌ただしさからおぼろげの記憶を辿っていた時だった。


「ごめん、思ったより手間取った」


びちゃり、と重い足音と、冷え切った声が、廊下に響いた。
それだけで、茶々子も、彼の所在を知らなかった他の社員達も、全て理解してしまった。

近付いてくる影と共に濃くなる、血の匂い。靴とジャージの裾に染みついた赤。
嗚呼、そういうことかと誰もが沈黙する中。出来損ないの笑みを浮かべていた顔を撫で、色を正した。


「……どうだった」

「洗うのに手こずったけど、有益な情報は手に入れたよ」


すすぎあらいは、ソファにどっと腰を下ろし、手持ちのファイルを薄紅に差し出した。
彼の登場と共に予想はついたが、その口振りからして案の定、すすぎあらいは、サカヅキに属するモノツキを捕え、拷問にでも掛けていたようだ。

昼行灯が此処に運ばれてから、今までの数時間の間。気怠さに憑りつかれ、惰性を愛する彼が、自発的に忙しなく動き回っていたとは。
感心する以上に、危機感に見舞われる一同が息を呑む中。薄紅は、すすぎあらいが得た情報に目を通す。


「サカヅキの、次の狙い。奴らがここ最近、活動を急速に活発化させ、爆破テロを起こしてきたのは……これが狙いだ」

「……”神頼み”、か」

next

back









×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -