モノツキ | ナノ


五年前。反対の道路を走っていた大きなトラックがぐらっと揺れた次の瞬間から、私は何も覚えていない。


「助かったのは、この子だけか……」


目が覚めた時には、サイレンの音に囲まれていて。


「後部座席の隙間にいたので、運よく軽傷で…。前の二人は……即死でした」

「まだ若いおまけに子供は小学生…。ひっでぇ話だな」

「遺体は、損傷が酷過ぎますのであの子には見せない方がいいでしょう。
車のナンバーとあの子がなければ…身元も分からないようなものでしたし」

「……親の顔も見れないまま別れさせるこたぁないのにな。神様ってのは…っと、変なこと言うもんじゃねぇな」


あの日、眼に焼き付いた赤い色だけが、私の頭にこびりついていた――そう。

跡形もなくなった両親の赤と、眩し過ぎるくらいのサイレンと、ひしゃげたトラックに描かれたマークの赤が――。


「そういう訳だから、あの子にはこの件について極力話さないようにしよう」




すすぎあらいの言葉に、誰もが頷けぬままに同意していた。

バイトを終え、ヨリコがオフィスを去った後、入れ替わるようにして戻ってきたすすぎあらいが話したこと。
その内容の重さが、そのまま空気になって、一同に圧し掛かっているようだった。

誰もが、すすぎあらいまでもが、思わぬ形で衝突した不運の廻り合せに、嫌な寒さを感じていた。


封が切られなければ、知らずに済んだ真実は、陽が沈んだ外の暗がりよりも、更に深い闇を持っている。
そこに彼女を向かわせることはよそう。そう、すすぎあらいは提案したのだが――。


「……本当に、それでいいのかしら」


茶々子が力無く呟いた言葉と同じものが突っ掛っていて、一同はそれを快諾出来なかった。


「確かに、ヨリちゃんがこれを知ったら……すごく、傷付くし……それ以上に、もっと大変な何かが起こる気がする。
でも、お父さんとお母さんの仇がいて、それを自分が知らない内に片付けられて……もし、全部終わった後でそれを知ったりしたら……」


不慮の事故であった筈の、ヨリコの痛ましい過去。
それが人為的なもので、悪意によって引き起こされたもので、しかもそれを実行させた者が今回の仕事のターゲットとは。

こうも上手く繋がられてしまうと、まるで笑えない。何かの冗談だと、そんなことさえ言う気になれない。ただひたすらに、この理不尽が忌まわしい。

茶々子は、いつの間にか自分が拳を握っていたことに、その痛みで気が付いたが、そんなことはどうでもよかった。
爪が食い込む程度の痛みなど、ヨリコが負うことになるだろう、回避不能にして甚大な心の傷に比べれば、無いのと同じだと。
茶々子はティーポッドの蓋をカタタと鳴らしながら、どうにか彼女が少しでも受ける痛みを減らす為にも、このことを思い切って話すべきではないかと、すすぎあらいを見た。

彼女だけでなく、サカナや髑髏路もまた同様に、半ば縋り付くような視線を彼に向ける。
だが、この事態の闇深さを、現状一番よく知っているすすぎあらいは、一切の容赦も持ち込ませてはくれなかった。


「……終わった後で知ったところで、何も出来はしないだろう」


掴み掛かられてもおかしくない、あまりに手酷い言葉であった。

ただ、それを紡いだ声が、一概に冷酷とは言い切れない色を含んでいて。それを知っているからこそ、誰もすすぎあらいのことを責めることは出来なかった。
何より、ああ言った茶々子や、彼女と同意見だったサカナ達でさえ、彼の考えは正しいと、本心では思っていたのだ。


「どっちにしろ、あの子が真実を知って…何等かの傷を負うことは避けられない。
けど、まだ事の渦中にある状態でそれを知らせて……あの子が親の仇に対し何等かのアクションを起こすことと、
俺達が全部隠していて、事は全て片付けたと知って、どうして何も言ってくれなかったのかと怒ること……どっちの方が、より傷を増やさずに済むと思う?」

「だ、だけど」

「相手は、こっちにまで仕事が回ってくるような厄介者のテロリストだ。普通の女子高生でしかないあの子に、何が出来る?
復讐のつもりで近付いたところで、容易く蹴散らされるどころか、もっと酷いことになるかもしれないのが、目に見えてるだろ?」


ヨリコのことを思えば、それでも何も知らされないのはあまりに酷だと。そう返すべきだった。

例え彼の言う通り、知ったところでヨリコに出来ることなど無くとも、彼女の代わりとなって自分達がしてやれることがあると。
そんな力強い言葉を掛けてやることで、少なからずヨリコは、襲い来る痛みから救われる。

だというのに、自分達はそれをせず。素知らぬ顔を続けて、この一件を片付けようとしている。
哀れな少女に、ただの一言も掛けてやらぬまま。我が身可愛さの為に、沈黙を貫くことを正当化しようとしているのだ。
これは、彼女の為でもあるのだと、そう言ったところで、言い訳に過ぎない。

だから、茶々子達はすすぎあらいの意見に抗いたかった。
こんなことは、やはりヨリコの為にはならないと。そう言って、彼が止めてこようと知ったことかと、ヨリコに洗い浚い全て話してやりたかった。


「あの子にとっても、俺達にとっても。最悪の中での最良は何か……それを考えて選択すべきだ。
このまま何も知らせず、俺達だけで片を付けることが、どれだけ残酷なことだとしても……情に身を任せ、取り返しがつかなくなるよりマシだ」


だが、結局誰も、その選択をすることはなかった。

悲しいことに、悔しいことに。あらゆる可能性を考慮すると、最も正しいのは、すすぎあらいであった。
ヨリコを騙くらかし、彼女の両親の仇を勝手に排除することは、とても酷い仕打ちだが、その残酷性の反面、これは至高の安全策でもあった。

黙秘を貫くことで、ヨリコは物理的なダメージを負うことはない。
それに、もしかしたら、非常に低い確率になるが、彼女が真実を知らぬままでいる、ということもある。
全てが杞憂に終わり、何事もなく、ヨリコが古傷を開かれることもなく過ごせる可能性だって、ゼロではないのだ。

それらを踏まえ、何がベストか。もう、誰も返す言葉はなかった。


こうして先程よりも一層、重くなった空気の中。いつになく言葉数の多かったすすぎあらいは、同意を得られたというのに、酷く気が沈んでいた。

最善が何かを解き、方針を定めたのは自分だというのに。これが間違いではないことは、誰より自分が分かっているというのに。


(父さん!!母さん!!!おい…どうしてだよ…どうしてだよぉおお!!!)


脳裏でフラッシュバックする光景に呵責されているようで、鈍痛がする。
それを黙らせるように、これでいいんだと言い聞かせても、依然すすぎあらいの憂鬱は、晴れてはくれなかった。

外は、また一段と暗さを増していた。

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