モノツキ | ナノ


この世界が暗いと感じていたのは、自分が目を閉じていたからかもしれない。

あらゆる苦痛から、残酷でしかない現状から逃れるべく、眼を逸らしていた代償なのかもしれない。


無限に思えたあの闇は、向きあうことを放棄していた私への罰だったのだと。

そう誰かに教えられたのは、今思えば二回目のことだった――。






開け放った窓から吹き込む風が心地よく、夏独特の嫌な湿気を取り払ってくれた。

目をやれば、鮮やか過ぎる空の青が眩しく。雲一つない偽りの空の晴天が、網膜をちりりと焼いてくる。


こんな風に、空の色を感じたのもいつ以来のことだったか。

忌々しいものでしかなかった朝の訪れが、一日の幕開けとして受け入れられるようになり。
洗面台に備え付けられた鏡に映る顔から濃い疲労と、深い絶望感が消え。
吐き気を催す気分から、そう滅多に摂らなくなった朝食を、欠かすことも残すこともなく食べるようになって。

そんな調子で、ここ最近の昼行灯は頗る調子がよかった。

心身だけでなく仕事も、以前と変わりなく、悍ましい位に好調で。流れるように業務が進んだ結果、休暇なんてものまで出来てしまった。
常日頃働き詰めで、業務に打ち込むことで様々なものから逃避してきた昼行灯だが、ここで生じた休暇は素直に享受していた。


それは彼が、労働にのめり込まずともよくなったからに違いなかった。
集中して、余計なことを振り払って。そうせずとも、昼行灯は平静を保てるようになっていた。

今から一ヶ月程前。ヒナミのツキカゲ来襲によるヨリコとの衝突と、その後の和解が切っ掛けで得た落ち着きが、彼を変えていた。


(…労働環境は決していいと言えません)

(はい)

(すすぎあらいの机は汚いし、LANの部屋も、またいつか大惨事が起こるかもしれません)

(はい)

(サカナやシグナルは無神経なことを言って貴方を困らせてくるでしょうし、火縄ガンもワガママを言ってきます)

(はい)

(ツキゴロシや商売仇が、貴方を傷付けてくることもありえます)

(はい)

(何より………あんな、酷いことを言った私がいる場所で、いいんですか?)

(はい)


昼行灯が抱いていた不安を、ヨリコは全て崩してくれた。

アマガハラ・テルヒサであった自分も、その素性を知られてしまったことを恐れてヨリコを突き放した自分も。
ヨリコは余すとこなく受け入れて、彼の傍にいることを選んでくれた。

その事実が、これまで暗かった昼行灯の世界を照らし、終着へ向かうだけの日々を、希望への一歩へと変えてくれた。


だから、昼行灯には余裕が生まれた。油断すれば乗り掛からってくる過去の痛みに苛まれることなく、休日を謳歌出来るだけの、心のゆとりが。

そしてそれは同時に、昼行灯にもう一つの副産物を齎し。それに突き動かされて、昼行灯は本日の休暇を、あることに費やすことを決意し、行動していたのだった。


「よっこいしょ……っと」


観音開きの押し入れを開いて、中に入っているダンボールや衣装ケースを数個取り出す。
それだけでも汗を掻くのは夏のせいだろうが、シャツが濡れる感覚も、今は悪い気はしない。

昼行灯は結露が流れる硝子を手の甲で拭うと、取り出したダンボールの蓋を開いて、適当に中身を検めた。

衣装ケースはクリアなプラスチック製なので、開けずともおよその中身は分かる。
ただ邪魔だったので、適当に壁際に寄せて置いて。昼行灯は目当てのものが入っているであろうダンボールはどれだったかと、捜索を開始した。

滅多に開けることのない押し入れに手をつけたのは、今更扇風機を取り出そう…というつもりではなかった。
かといって、衣装ケース内に詰め込まれた冬物に、勿論用がある訳でもなく。
昼行灯が休みの時間を使ってまでわざわざ荷物と格闘を始めたのは、ある物と向き合いたいから、であった。


「…あぁ、こんなところにあったのか」


手をつけて三個めのダンボールに、昼行灯目当てのものは入っていた。

元々、昼行灯はそう荷物が多い訳ではなかったので、ダンボールもそう数が多くはなかった。
そんな彼が押し入れに封印するかのように仕舞い込んでいたのは、殆どが紙類であった。といっても、当然ただの紙切れではない。

長いこと湿気を吸って、少し柔らかくなったり、変色したりしているそれらは、彼が――昼行灯が、テルヒサであった頃の所持品である。


(お前にはこれから、裏の方で動いてもらうとしよう。その為に、必要最低限の支援はこちらからしよう。…何か、言いたいことはないか?)

(……いえ)

(そうか…。ならば、行け)


父、テルヨシに家を出された際。昼行灯は必要な荷物のいくつかを、屋敷から持ち出していた。

彼の部屋にあった家具類は置き去りに、趣味で集めていたアンティーク品なども当然不要なものだと放置され、
当時持っていた服も殆ど血反吐や汚泥に塗れてゴミとなったのだが。

それでも残っているのが、何かに縋る思いで持ってきてしまった、アルバムや日記であった。


「……随分、久し振りだ」

next

back









×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -