モノツキ | ナノ



あの時、交差点で拾った一枚の求人広告を見た瞬間。私は此処に行くべきなんだと、直感的にそう思った。

私を知る人がいない場所で、高いお給料をもらえる、お掃除のアルバイト。
もう絶対に此処しかないんだって思って、気が付いたら電話を掛けていて――採用をもらって、あの人に出会った。

そうして、居場所がほしかった私に大切な人達と温かい時間が出来て。

あぁ、あの紙を拾ったのは、きっと運命だったんだと思ったその矢先


「…貴方にとって私達は、必要ないと思うからです」


私は、神様が決して優しいものではないことを、思い出した。







「…ヨリコ、ヨリコ!」


はっと弾かれたように顔を上げると、此方を不安げな顔で見るケイナの顔が映った。

この様子からして、しばらく彼女に呼ばれていたのに気が付かなかったらしい。
ヨリコが慌てて表情を繕い、ぎこちない笑みを彼女に返すと、ケイナは訝しげに眉間に皺を寄せた。

一見すれば如何にも不機嫌そうで近寄りがたい様子だが、その本質を知るヨリコは怯えることなくケイナに向かい合う。


「もうホームルーム終わったぜ。お前、今日はバイトの日じゃねーのか?」

「あ、う…うん」


ケイナに促され、ヨリコはいそいそと鞄に荷物を掻き入れた。

いつもならばホームルーム中、担任の話を真面目に聞きながらてきぱきと必要な教科書やノートを纏め、
終業チャイムが鳴ると共にケイナの元へ挨拶をしに来て、颯爽とツキカゲに向かう彼女が。

ケイナはやっぱりおかしい、とヨリコの反応を見て改めて自分の中に渦巻く違和感を確信した。

今日一日、だけでなく。ここ三日間、ヨリコはどうにもおかしかった。何処で何をしていても上の空で、此方が声を掛けて暫くすると、決まって作り笑いで返してくる。
明らかに何かを隠している――そう思えど、それは自分が踏み込んでいい問題なのかとケイナは迷った。


彼女が今抱えているであろう問題は、まず間違いなくバイト先・ツキカゲのことだろう。

昼休みなどに決まってあの異形の巣窟で起こった出来事を楽しそうに語り、バイトのある日は放課後が近付くにつれ浮き足立つヨリコが、
近頃はあそこを避けるかのようにテレビの話をしたり、時間が過ぎるのを快くしていない様子であったり。
自分の苦悩を隠し立てる癖のある彼女だが、内情を知れば実に分かり易かった。

かつて自分があの会社にいる者を否定し、連れ出そうとした時。彼等を擁護し、理解してほしいと訴えてきたヨリコ。
それ程までにツキカゲを思っている彼女が、こうも異常を示すとなれば、間違いはない。

だが、ケイナに分かるのはツキカゲで何かが起こったというところまでに過ぎない。
実際に其処で何が起こったのか。それが分からない内は、ケイナは踏み出せなかった。

あの時、自分の介入によりヨリコの居場所を壊しかけてしまったことと、その後にあそこで立てた、もうツキカゲには近寄らないという誓い。
その二つが首輪となり、ケイナをきっちりと止まらせていた。

これらがなかったのなら、ケイナは迷わずツキカゲに乗り込んで、「ヨリコに何しやがった!!」と吠えていただろう。
しかし、この二つの枷が無かったのなら、そもそもケイナにはヨリコが沈んでいる理由が分からなかったに違いない。
理解してしまっているが故に、ケイナは縛られていた。

それらを振り切って、思うがままに暴れてみるのも、もしかしたら正しいのかもしれない。されど、彼女のような狂犬を大人しくさせる程の枷は、そう容易く外れてくれるものでもない。
もし自分が割り込むことで、修復出来たかもしれないものを台無しにしてしまったら。そう考えると、どうしても牙が引っ込む。

今度はケイナが考え込んでしまう番だった。ヨリコが心配そうに見つめてくるのにも気付かず、ケイナは腕を組んでどうするべきかと思案する。
本能のままに突っ走ることしかしてこなかったケイナには、普段使わない頭を振り絞っても何も出てこなかった。

そして沈黙が続く中、ヨリコは浮かない顔のまま「じゃ、じゃあね」と手を軽く振って、この場から、自分の言及から逃げるように教室を出ようとした。


「ヨ、ヨリコ!」


そのまま何処かへ消えてしまいそうな背中へと駆け出し、ケイナはヨリコの肩をばっと掴んだ。
思考を置き去りに、体が動くままに。だが、これが自分の限界だとケイナは悟った。

いつだって自分は、考えたところで何の意味も為さない。結局のところ、答えは最初から自分の中で決まっていて、それを無意識のままに遂行してきたのだ。

それが悪い方向に転がっても、拾い上げてくれる者がいた。
目の前で、びくびくと肩を竦める小さな友人。彼女がいたからこそ、ケイナは本能の赴くままに転がっていられた。だから。


「……頑張れ」


何度でも何度でも、ヨリコがいる限り、ケイナは雪崩れ込むように身を委ねる。
そうして彼女が転がり落ちてしまいそうな先にも回り込んでやるのだと、ケイナはヨリコの肩に置いた手にぐっと力を入れた。

その力強さにぱちくりと瞬きを繰り返した後、ヨリコはふっと肩の力を抜いて、柔らかく微笑んだ。


「…ありがとう、ケイちゃん」


未だ核心部は隠されたままだが、その笑みは真っ直ぐであった。

ケイナはうん、と頷いてヨリコの肩から手を離し、駆け足で教室を出たヨリコを見送った。


(頑張れ、ヨリコ。お前はもう、十分過ぎるくらい頑張ってるけど、頑張れ)


心の中でそう呟いて、ケイナは置き去りにした通学鞄を取るべく、踵を返した。


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