モノツキ | ナノ



「うわぁああ可愛いぃいい!」

有限会社ツキカゲの存亡が掛かっていたとも言えるあの騒動からあっという間に四ヶ月が経ったある日。
出産を終えたシオネと 無事誕生した第一子を抱えた薄紅が、ツキカゲを訪れた。


思い返せば仕事中、シオネが破水したと病院から連絡を受け、人が変わったように車を出した薄紅が事故でも起こすんじゃないかという社員達の心配をよそに、母子共に健康、彼も五体満足で無事我が子の誕生に立ち会うことが出来たのも二週間前になる。

無事に出産が終わったと聞いて電話越しにクラッカーをバンバカ鳴らすサカナ達に、薄紅は携帯片手に物凄い形相を浮かべていたというが、呆れる程に祝ってくれた社員達の気持ちは嬉しくないと嘘になる。
その感謝の意を込めて、シオネ達が落ち着いた頃に娘のお披露目に向かうと薄紅が言ったのも一週間前になる。

時が経つのは早いものだ、と薄紅は眉間に皺を寄せながら、奇声に近い声を上げてはしゃぐ茶々子を窘めた。


「おい茶々子、あまり大きな声を出すな…。シヅキが泣き出したらどうするんだ」

「あ、すみませぇん。あまりにも可愛くってぇ…うふふふふふ」

「なんでお前がテンション上がってるんだ…」

「シヅキちゃーん、こんにちわー」

「おいサカナ、お前は触るんじゃない!シヅキに有害だ!」

「薄紅さんも声大きいですよぉ〜」


しかし、茶々子達は三人の来訪を一時間以上前からそわそわしながら待っていたのだ。
一同のテンションの上り様は気持ち悪いの域に掛かるのも、仕方ないと言えば仕方ないし、そういう薄紅も滲み出る幸せを隠しきれていないのがよく分かる。

人斬りシザークロスの異名はどこへやら。完全に目が娘にメロメロの、ただのパパだった。正直こっちも相当気持ち悪い。


「やっぱ女の子は父親に似ちまうもんかぁ。眼とかすげー薄紅に似ちまってまぁまぁ…」

「…それは目付きが悪い俺に似てしまった同情か、修治」

「いやいや、精悍で凛々しい女の子になるなぁと思っただけだって」

「薄紅に似ないようこれから頑張るネ、シヅキ。鋏がうつるヨ」

「おい火縄!」

「はーぁ、あいつら揃いも揃ってはしゃいでんなぁあ」


そんな中、一応上司のめでたい話ということで、二階組の面々も三階に集められていたのだが。
シグナルは応接間のソファにどっかりと腰かけ、悪影響だと煙草を没収された苛立ちを紛らわすように茶を啜っていた。

乗り気ではないのはすすぎあらいや髑髏路もそうだろうと思っていたが、意外にも彼らはあの輪の中に入っていた。

赤ん坊が珍しいのだろうか。すすぎあらいは相変わらず無関心そうではあるが、髑髏路は明らかにテンションが上がっていた。
さっきからしきりにシヅキの顔を除いては、おたおたと謎の動きをしている辺り、触りたくて仕方ないのだろう。

シグナルは非常に居心地悪そうに湯呑を口に付けた。


「まー、めでてぇことには違いねぇけどよ。そこまで取り囲むほどのもんでも……」


と、シグナルが脚を組み直したところで。茶々子が懇願の末に抱くことを許可されたシヅキをずい、と彼の前に出した。

この異形頭の群れに放り込まれても泣き出さない辺りすでに大物の風格漂うシヅキだが、
あぁこいつは本物だと一同に思わせたのは、シグナルを前にしてにぱぁっと微笑んだ瞬間。
あのシグナルが眼に見えて心を射抜かれているのが見えた時だった。


「お、おおぉぉ…ど、どうした赤ん坊よぉ。な、何も面白かねぇだろろろ」

「完全に赤ん坊の可愛さにやられてるなぁ」

「まぁ可愛くなっちゃいますよね〜」


頭のライトを赤と青同時に点滅させるシグナルを見て、陥落完了を悟った一同は、
このいつになく和やかなムードに思わず苦笑したその時。


「あ、もう来てたんですね薄紅さんたち!」



賑わうオフィスの扉を開けて、この場にいなかった昼行灯と、ヨリコが入ってきた。
いつものようなつなぎ姿ではなく、制服のままのヨリコは、茶々子からシグナルへと渡ったシヅキを見て眼を輝かせた。


「この子がシヅキちゃんですか?!わぁ…可愛い!」

「ふふ。よかったねぇ、シヅキ。ヨリコお姉ちゃんが来てくれたよ」


シオネはシヅキを渡され戸惑いっぱなしのシグナルから彼女を受け取ると、感動で紅潮しているヨリコに娘の顔を見せた。

ヨリコは内側から込み上げてくる何かに口角を吊り上げられ、どうしもうもなく浮かんでしまう笑顔をシヅキの目線に合わせるようにして少し屈んだ。

近くで見るとまた、様々な気持ちが湧いてくるもので。
ヨリコは何から言おう、と言葉も分からない赤ん坊相手に悩んでしまったが、まずは挨拶からとにっこり笑った。


「こんにちわー、シヅキちゃん。えへへ…私分かるかなぁ」

「シヅキがお腹の中にいた頃から声かけてくれてたもんねー。ほら、分かるよーって」


本当に分かるかどうかはさておき、此方に挨拶を返すように手を小さく握っては開くシヅキに、ヨリコの心はノックアウトされていた。

すぐにでも触りたい気持ちはあるが、それを抑え、ヨリコは急いで手を洗いに行った。
赤ん坊に触れる時の所作は心得ているらしい。
ヨリコが丁寧に手を洗った後に小走りで戻ってくると、シオネはそっとシヅキを彼女に渡した。

壊れ物を抱くように神経を集中されると、両腕に軽やかな重みが加わった。
それから布越しにも伝わる体温と、確かな重み。
間近で触れた新しい命に感動しているヨリコの横で、ちゃっかり手を洗ってきた昼行灯がシヅキの顔を覗き込んだ。


「……眼が、薄紅に似ていますね。女の子は父親に似ると言いますが…」

「もうそれはいい」


薄紅があからさまに不機嫌な声で言ったが、それもシオネの小さな笑い声の前に消えていく。

昼行灯は長年仕事を共にしてきた父親そっくりの娘を見て、この子の将来はどうなることかと思ったが、それも此方を見て微笑まれるまでのことだった。

全く赤ん坊の笑みというのは恐ろしい破壊力である。


「はぁ、いいねぇ赤ちゃんって。癒しだよねぇ…私もほしいなぁ」

「茶々子さん、今夜僕空いてますよ!」

「サカナ、今日はその手のネタやめろ。薄紅がシザークロスの眼になってっから」


いつものような会話も、今日は和やかな笑いを呼ぶ。束の間見出された安息の時間に、ヨリコも目を細めていた。
昼行灯は横目で見た彼女の、その慈母めいた微笑みにぼっと一瞬蝋燭の火を強くしたが、
それもヨリコが此方を向く頃には落ち着いた。

女性というのは子供ながらに母親としての顔を見せるというが、今のがまさにそうだったのだろうか。
だが、此方を見上げるヨリコは、やはりいつものあどけない面持ちのヨリコだった。

赤子をその腕に抱いていたことが関係するのか、それとも彼女の成長によるものなのか。
分からないが、垣間見えたヨリコの新しい表情は、やはり彼にとって愛おしいものだった。

そして、見慣れてもなお胸を躍らせる、いつもの表情も。


「なんだか、不思議ですよね。私達も皆…こんな風に、誰かに抱っこされて育ってきたんだって思うと」

「…そうですね」


ヨリコは抜刀し始めた薄紅から声を上げて逃げるサカナと、やっちまえなどと囃し立てるシグナル達を見て、それから腕の中のシヅキを見た。


この事務所にいる人間も、かつては人として、誰かの子供として存在していた。

そう。呪われたこの身も、人であることには変わらないのだ。


産声を上げ、腕に抱かれ、育まれ。その点は、誰も変わらなかった。

その先で歪んでしまったが故に、姿を変えられ、社会を追われ、今こうして身を寄せ合うことでどうにか生きているのだが。
始まりは、誰もが変わらない。そして、終わりもまた然り。


「はいっ、昼さんもシヅキちゃんのこと抱っこしてあげてください。
この子が将来幸せになれますようにってお願いしながら抱っこしてあげて下さいね」

「お願い、ですか?」

「はい。昔、お母さんに教わったんです」


昼行灯はおっかなびっくりしながらもシヅキを受け取り、ヨリコの言うお願いについて尋ねた。

ヨリコは、シヅキの頬を軽くつつきながら、眼を伏せがちに続ける。


「赤ちゃんを抱っこする時は、その子が幸せになれるようにってお願いしながらねって。
そうしてたくさん愛情をかけてあげれば、健やかで優しい子に育って、絶対幸せになってくれるからって」


そうどこか得意げにそう話すヨリコを見て。それから、昼行灯はしばらくシヅキに視線を向けた後、彼女をヨリコの腕に返した。

そして昼行灯はこの場のほとんどの人間が、何故か「お父さん、これに勝ったら娘さんを将来僕にください!」とヤケになって叫ぶサカナと、「お前にやるくらいならどこにも嫁に出さん!!」と彼に関節技をかける薄紅の謎の試合に夢中になっていることを確認して。
軽く屈むと、ヨリコにだけ聞こえるように囁いた。


聞かれたくない、という訳ではなかった。ただ、その言葉は 彼女にだけ届けたかったのだ。

昼行灯は、長くもないその言葉をいやにゆっくりと呟いた。
伝えたい言葉が、彼女の胸にまで届くように。少しでも自分の声で、覚えられるように。


「………えへへっ」


昼行灯が恥ずかしそうに硝子を指の腹できゅっきゅと掻く横で、ヨリコは咲き誇るような笑みを零した。

その次の瞬間、ふいに振り返ったシオネが昼行灯に何か言いたげにウインクをしたが、
ヨリコはそれに気づいた様子もなく、シヅキをシオネへと返した。

そして、サカナが絶叫を上げても尚きゃっきゃと笑うシヅキを抱っこしなおし、シオネは「あなた、頑張ってねー」と声援をかけ。
ヨリコもその隣で、断固負けはしないと容赦なく技をかける薄紅、悲鳴を上げるサカナを交互に応援し始めた。

少し離れたところで一人になった昼行灯は深く溜息を吐きながら、
シオネに何か見透かされてしまったような悔しさを紛らわす為に、窓の向こうを眺めた。



この世界は今日も、正しい世界の外側で、神の手のひらの上で廻っている。

どこかで産声が上がり、どこかで悲劇が芽吹き、どこかで人がゴミのように死に、
どこかで人が人でなくなり、どこかで人が人に戻って。この歪んだ世界は、廻り続けている。

絡まった運命の糸を手繰り寄せるようにして、引き合いながら、人は今日も。


「昼さん」


見事勝利を納めた薄紅に、修治らが勝利者インタビューをしている中、ヨリコがそっと、昼行灯の隣へと駆け寄った。


どうしようもなく馬鹿らしく、運命と言うには滑稽で不格好な出会いから半年が過ぎた。

片や神に呪われ、片や神を呪い。その果ての出会いが、はたして何を齎すのか。二人には分からない。

出会わなければよかったと思う結果になるかもしれない、何を残すこともなく終わりが訪れるかもしれない。

それでも。脚を引くようなこの糸が赤いものであると、今は信じてみたくなる。


「私、きっとそうなれますよね」


――それなら、貴方もきっと幸せになれるでしょうね。


彼女に掛けたその言葉は、不思議と彼自身の背中を押していた。
深い愛情を受け、優しく育った少女を待つその結末に 自分が片隅でもいられればと。

そんな望みを抱く彼の顔は、その時確かに、窓ガラスの中で笑っていた。




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