モノツキ | ナノ
正義とは、常に自分に都合のいいものでしかない。
正しさとは、常に利益の先にしかない。
「うわあああああああああああああああ!!!」
有限会社ツキカゲに、子供の泣き叫ぶ声が谺した。
その声は恐怖に戦慄き、絶望に震え、引き攣った喉から絶叫を奏でる。
「っるせーぞ糞ガキ!!」
齢五歳前後といったところか。まだこの世の酸いも甘いも知らぬ、あどけない少年の横を、容赦のない蹴りが掠めた。
「止めなさいシグナル!そんなことをしては逆効…」
「びえええええええええええええええええええええええええええ!!!」
「っだああああああうるせーー!!」
飛び交う怒号、鳴り止まない鳴き声。子供を取り囲む、異形頭達。その手には
「菓子やるっつってんだから泣くんじゃねーよ!なんなんだこいつ!猿轡でも噛ませるか?!」
「あーもー、やっぱシグくんじゃ駄目ですよぅ!子供の相手なら私が…」
「うえええええええええええええええええええええええええええん!!!」
ぱりっとぽてちっこ、カラフルのびーるグミ、クロガネンジャーシールチョコレート、エトセトラ。
子供なら涎を垂らして喜ぶクロガネを代表する菓子と、誰が持ってきたのかも分からないミニカーや怪獣のおもちゃ。
「…あぁ、どうしてこうなったんでしょうか」
それらを意に介さぬ大音量の泣き声に頭を抱える昼行灯は、頭痛止めを手にこの状況の切っ掛けを思い出していた。
というか、現実逃避に入っていた。
それは小一時間前のことだった。
「ふぅ、今日のゴミ分け終わりっ!」
きらきらと爽やかな汗を拭い、今日も今日とてすすぎあらいの築いたゴミ山を片付けたヨリコが満足げな笑顔を浮かべた。
恋は人の眼にフィルターをかけるというが、昼行灯の眼に映るヨリコは他の誰が見るよりも輝いていた。
それこそ少女マンガのワンシーンかとつっこみたくなるほどに背景ごと煌めいている。
その視界は昼行灯にしか分からないので、それにつっこめる者はいないのだが、
それでも三階オフィスの面々はそんな感じに見えてんだろーなーと言った面持ちで彼を見て、笑いを堪えていた。
「お疲れ様ーヨリちゃん。今日もすんごい量ねー」
「えへへ。毎日これだけゴミ出されて、すすぎあらいさん中々手ごわいなーて思うんですけど、やっぱ終わったあとの充実感があっていいなーなんて最近思っちゃってます」
ヨリコは照れくさそうに笑って、分別したゴミが邪魔にならないよう事務所の隅へと纏めた。
いつも帰る前にゴミを一階に運んでいるヨリコは、すっかり仕事が終えたあと茶々子が出してくれる紅茶を飲んでいくのが日課になっており。
その日も応接間のソファでヨリコは煎れたての紅茶を堪能して一息ついた。
この日課が、とんでもない事件の引き金になるとは、思いもせずに。
ヨリコが紅茶に口を付けて間もなく。コンコン、とオフィスの薄い鉄扉が叩かれる音が響いた。
「あれ、今日お客さんのアポありましたっけぇ?」
その音に茶々子は慌てて今月の来客スケジュール帳を捲り、昼行灯も顎に手を当て、誰か約束があっただろうかと考えていた。
ツキカゲの社員であれば基本ノックはしない。こと、下の社員たちであれば特に。
では、わざわざこのドアをノックしてきたのは誰か。思わずヨリコも応接間から顔を覗かせたその時だった。
「おーい、入っていいか?いんだろ、昼行灯」
「あの声…!」
「はーいどうぞーー!」
低い男の声がしたと同時に、茶々子がドアへと走って行った。
ツキカゲの社員でヨリコが会っていないのはLANだけだ。しかし、そのLANは普段上に引きこもっているという。
社員である彼がノックをすることもないので、声の主はこの社員ではない。しかし、あの口ぶりから依頼人であるとも考えにくい。
では、誰かの友人だろうか。などと、様々な憶測をしていたヨリコの眼に飛び込んできたのは、やはり、意外な人物であった。
「お久しぶりです、ハルイチさん!」
「あぁ、茶々子か。確かに、俺が此処に来たのは二ヶ月前ってとこだな…久し振り」
今度は何の頭の人が来るのかと思っていたヨリコの眼に飛び込んだのは、やや日に焼けた男の顔だった。
そう、薄紅同様はっきりと分かる人間の顔。男は、モノツキではなかった。
ハルイチと呼ばれた男は、三十過ぎといったところか。無精髭を蓄え、コートを着込んだ姿は刑事ドラマの登場人物のようだった。
「よう、昼行灯。いきなり悪かったな」
「いえ、お得意様ですから。お気になさらずハルイチさん」
昼行灯のその言葉から、この男・ハルイチが客であることは発覚した。それもお得意で、茶々子に歓迎されるほどの人物のようだ。
ヨリコははっと、自分がいたらまずいのではないか、と紅茶を一気に飲み干し、持てるだけのゴミを引っ掴んだ。
「す、すみません昼さん!お客様来たので応接間空けますね!」
「あ、ヨ、ヨリコさん!?」
と、弾かれたように応接間の敷居から飛び出したヨリコを昼行灯が制止したが、時すでに遅し。
飛び出したヨリコは見事、ハルイチの眼に止まってしまっていた。
「…こ、こんにちわ」
「……………」
ハルイチは黙って昼行灯のとこまで歩くと、彼の肩をがっと掴んだ。
そして、ヨリコに聞こえない程度の声の大きさで、ハルイチは昼行灯に尋ねた。
「おい昼行灯。なんだあれ…まだ学生に見えるんだが、情婦か?それともこのご時世にメイドか?」
「…先月からここで清掃のアルバイトをしてもらっている、ホシムラ・ヨリコさんです」
ハルイチはちら、と頭をヨリコの方に向けた。ヨリコは慌ててぺこり、と頭を下げると、
邪魔にならないようにと気を遣ったのか、そそくさとオフィスから出て行ってしまった。
あぁ、やっちまったなという空気が流れる中、ヨリコがいなくなったので肩を解いたハルイチが、はーぁと大きなため息を零した。
「何考えてんだお前…。あの子普通の人間だろ?それをこんなとこで……」
「…色々事情があるんですよ」
呆れながら煙草に火をつけ始めるハルイチの視線から逃れるように、昼行灯は顔を逸らし、ネクタイを直した。
ハルイチの反応も、まぁ当然のものだろう。
二ヶ月ぶりに闇企業に足を運んだら、純粋無垢を絵にしたような女子高生がいたのでは無理もない。
恐らくヨリコが制服だったら、間違いなく通報されていただろう。
モノツキ(ロリコン)が女子高生を買っていると。
「とにかく、彼女は本当にただの清掃員で…情婦とかそういったものでは決してありません」
「だろうなぁ。あんなガチ純粋女子高生って子相手に欲情してたら病気だぜ」
ハルイチのその一言に、昼行灯は「ぐっ」と机に倒れ込みかけた。
そのやり取りを見ていたサカナは小声で「ロリコンは病気…」と呟いたが、即座に復活した昼行灯の鋭い視線に制され、すぐ仕事に戻った。
以降こういった状況では「社長はロリコン改めヨリコンとする」という決まりが例の三人の間で決められたが、それは置いておこう。
「まぁそれはいいとしてよ。突然来てなんだが、仕事頼みてーんだわ」
「………」
ハルイチは修治に軽く頭を下げて彼の灰皿を借りると、そこに煙草を捩じ込んだ。
その顔が語る、いかにも面倒事の匂いに、この場の誰もが乗り気になることはなかったが、それでも彼はこの会社のお得意だ。
昼行灯は椅子に座り直し、指を組み合わせた。それを了解の意と捉え、ハルイチはにぃっと口を吊り上げた。
「今回は運び屋の仕事なんだが…配送先も荷物自体も厄介でよ。出来れば何人か動かしてもらいてーんだが、俺が指名してもいいか?」
「まずは荷物のほうを確認させていただいてからでもよろしいですか?ハルイチさんが厄介と仰るような物ですから、見て対策を…」
昼行灯はこうして仕事を受ける前提で話を進めたことを、現在非常に後悔していた。
何故最初に「荷物は何ですか?」と聞かなかったのかと。
「びゃああああああああああああああああああああああ!!」
「…………」
「これが、今回の荷物だ」
荷物は車に置いてある、と一度下に降りたハルイチが担いできたのは子供だった。
そして逃げられないよう布団のようなもので簀巻き状にされた子供は、これでもかと泣きまくっていた。
此処に来るまでは布でも噛まされていたんじゃないかと思う程泣いている少年だったが、更に昼行灯たちの顔を見てからは酷かった。
下からシグナルが「うるせえ!!」と突撃し、着替え終わったヨリコが「何事ですか?!!」と戻ってくる程度に。
「こいつの名前はホウジョー・トキマサ。過激反帝都政府組織のリーダー、ホウジョー・モトマサの息子だ」
「わあああああああああああああああああああああああああん!!!」
「なるほど……これは確かに、政府に大打撃を与えますね…」
昼行灯達は何処にあるのか分からないが、手で耳を塞ぐようにしてトキマサを見た。
そして昼行灯の頭のガラスやサカナの水槽に顔が映ると同時に、トキマサは更にに大口を開けて泣き叫んだ。
これが、ハルイチが厄介と言った理由だろう。
「こいつを、モトマサの潜伏先まで送ってもらいたいってのが俺の依頼だ。
ただし、こいつは過激派同士で争ってる他の組織から人質としても狙われているんで、そう簡単には配送出来ないと思ってくれ」
「いや、それ以前の問題が……」
「びいいえええええええええええええええええええええええええ!!」