モノツキ | ナノ


いつも鮮明に浮かぶ、最期の瞬間。

忘れられる訳もない人間を失ったあの日。
世界の全てが手のひらを返した時。私を嘲る声が、響いて止まなかった。





「……………」


まだ陽が昇り切っていない内に眼が覚めてしまうのは、もう慣れたことだった。

昼行灯は久しぶりにベッドで眠っていた。普段ならば仕事をしたままデスクで寝ているか、ソファに倒れ込むようにして寝ている彼が、その日はまっすぐに布団に潜り眠った。

彼はどうしても、布団の中で考えたいことがあった。
頭まで布団を被ることで生まれる、一種の閉鎖的空間の中で、昼行灯は眼を閉じて思案していた。

あの日、ヨリコの言った言葉についてだった。


(私に昼さんの全部を教えてください!)


全部とは、何だろうか。

自分が彼女に抱える浅ましい想いも、分厚い面の皮を剥がした先に隠したご都合主義者の顔も、この呪われた頭についても。
知って、彼女が得をすることなど一つもない。

所詮呪われ、汚れた身である自分のことを知ったとて、彼女はただ気分を悪くするだけのことだろう。

いくら自分達の身を案じ、心を痛めてくれたヨリコといえど、善意で受け入れられることには限界がある。
薄紅のあの忠告もあって、それは尚のことだろう。

そう。知って困るのはヨリコであり、また昼行灯もそれを知られたくはなかった。
心の奥底で彼女に一抹の希望を抱いているとしても、拭いきれない絶望が彼を取り巻いている以上、踏み出しきれない一線がそこにある。


拒絶されてしまう位なら、この想いなど伝わらなくても構わない。

ただ彼女を想っているだけで、小さな希望に齧り付ける。それだけでも、昼行灯は十分だった。


「………十分、だ」


顔を洗い、鏡を見上げる。そこには確かに、痩せた男の顔が映っていた。

眼の下に薄いクマを作り、乾いた唇で自分を言い聞かせる虚しい独り言を呟く男が、そこには確かにいるはずなのに――。






「こ、こんにちはぁ……」


その日、ヨリコは珍しく恐る恐るオフィスにやってきた。

らしくない挨拶に三階組一同は驚いたが、すぐに先日の件を思い出すと、それぞれが吹き出しそうになるのを必死で堪えながらヨリコに挨拶を返した。

あの日、ヨリコの「全て教えてください」発言は、昼行灯がヨリコに手を出したというあらぬ誤解を生んだとして彼女により撤回された。
ヨリコにそんな気はまるでなかったのだが、何せ言い方が悪かった。

そのせいで昼行灯にロリコンだ犯罪者だといった不名誉な称号がつけられそうになったことをヨリコは深く詫び、その日逃げるようにツキカゲから去って行った。そんなことがあった後では此処に入りにくいのも無理はない。


「こんにちは、ヨリちゃん」


茶々子が笑いを堪えながらヨリコに声を掛けた。

もし彼女の頭がティーポッドではなかったら、きっと笑いを堪えて変に歪んだ気持ち悪い表情がそこにはあっただろう。
しかしそんなことも露知らず、ヨリコはもじもじと手をいじりながら、ちらちら向こうを気にしながら茶々子に尋ねた。


「あ、あのぉ…昼さん、は?」

「今日はねぇ、珍しく上の自室にいるの。あ、決してヨリちゃんのこと気にしてって訳じゃないのよ!最近働いてばっかで疲れたからって昨日の夜もすぐ部屋に戻っちゃって、まぁお休みって感じ?」

「そう…なんですか」


ヨリコは少しほっとしたような、しかしやはり申し訳ないような表情で昼行灯のデスクを見た。

確かにこれといった休みもなく働き、先日も急に倒れたりして疲れてはいたんだろう…と、およそ見当違いなことを考えながら、ヨリコはいつものように清掃を始めた。

しかし、いつもならテキパキと音がしそうなくらいに働くヨリコが、今日はどこか心ここにあらずといった感じで。
三階組は即座に集まると、彼女に聞こえない位の声量でぼそぼそ話し始めた。


「ねぇ、どう思う?ヨリちゃん」

「間違いなく社長のこと気にしてるよね、あれ」

「昼行灯も内心気になって仕方ないんだろうしなぁ…このままじゃあいつLANみてーに自室人間になっちまうんじゃねーか?」

「やっぱりここは」

「僕たちが動いてあげるしかないって展開だよね!」

「だな」

「……お前ら楽しそうだな」


その横で、社長代行として朝から依頼の処理をしていた薄紅が溜息をついた。

いい歳したオッサンまで混じって何をしているのかと呆れた眼でこちらを見る薄紅に対し、茶々子達は(多分)くわっと眼を見開いて
「社長の一大事ですからね!私たち社員が動いて当然ですよ!」
「そう!僕ら有限会社ツキカゲ!社長の恩に報いる為に行動しているだけのこと!」
と、どこで打ち合わせきたんだとツッコミたくなるような決め台詞とポーズを決め込んだ。

流石にこれに修治は乗らなかったが、後ろで腕を組みながらうんうんと頷く様は正直イラっとくる。

薄紅は眉間を指で押さえてまた溜息をついた。そして椅子を動かしてひそひそ話の輪に加わると、薄紅はヨリコに気を配りながらサカナ達に話し始めた。


「お前ら…あまり余計なことはするもんじゃないぞ。昼行灯とヨリコさん…もしあの二人がくっついたとしても、本物の愛に到達出来なかったら、間違いなく全てが崩壊するんだぞ」

「私はお似合いだと思うんですけどねー、昼さんとヨリちゃん。まぁ歳は結構離れてますけど昼さん結構暗いとこあるから、ヨリちゃんの明るさでカバーしてあげれそうだし、ヨリちゃんのどこか危なっかしいとこも昼さんなら守ってあげれそうじゃないですかぁ」

「そういう問題じゃなくてだな」

「社長若い頃は結構女の人と関係あったらしいですし、ヨリコちゃん初めてでも上手いことエスコートしてあげれるんじゃないですか」

「お前の頭はそれしかないのか」


薄紅は近くに立てかけていた刀を手に取り、しゅっと柄でサカナの頭を小突いた。

どいつもこいつも人の色沙汰をいじくり倒すことしか頭にないのか、と薄紅が嫌なことを思い出すと、「でもよ」と修治が零した。


「本物の愛って、運命の赤い糸で決まるもんでもねーんじゃねーの?例えあの二人が、そういうもんで結ばれてたとしても、たぐり寄せなきゃ始まらないだろ」

「……………」


修治の言っていることは、耳を塞ぎたくなるようなこっ恥ずかしい言葉のオンパレードだったが、どこか説得力があった。

確かに、運命の赤い糸なんてものがあったとして、その相手と愛しあうこと運命だと言われても、口にしなければ意味もないだろう。
つまるところ、赤い糸など自分から伸ばして手繰らなければ意味がないということだ。

薄紅とて、あの日出会ったシオネを、そのまま彼女のことを手の届かないものとして諦めていれば、本物の愛に出会うこともなかっただろう。

つまり、やってみなけりゃ分からないだろ、ということらしい。


「…知らんぞ、昼行灯が元に戻れずに狂ってここが血の海になっても」

「その時は、その時で」


自分のデスクに戻った薄紅の了承を得て、三階組のお節介作戦が始動した。

三人の顔は無機物ながら、いつになく晴れ晴れしているようだった。



「ヨーリちゃんっ」

「は、はいっ!」


作戦は非常にシンプルだった。薄紅が「遊ぶのもいいが仕事だけはやれ」と言うので、三人それぞれデスクにつき、チャット片手に会議した結果”社長とヨリコを引き合わせてみよう作戦1”は決行された。
全く頭の痛くなるような作戦名である。


「これね、昨日社長が帰ってから心配した皆で買ったものなんだけど…私たち今とんっでもなく忙しい仕事が来ちゃって!」

「えっ」

「でも社長の身に何かあったら…ちゃんとご飯食べてるか心配で仕事に集中できそうもないんだ!」


茶々子とサカナの殴り飛ばしたいほどにわざとらしい演技を見て、薄紅は「もう駄目だな」と思った。何が駄目かは割愛する。

ちなみに、一応修治は仕事に没頭している素振りを見せている。そんなところばかり周到である。


「そこで!お願いヨリちゃん!これを六階の社長の部屋まで持っていってほしいの!」

「え、で…でも私…」


普段なら「はい!喜んで!」とすぐにでも受け付けそうなヨリコだったが、流石に先日の件が引っかかっているのかすぐに返事は出せないようだった。

だが、手応えはある。優しいヨリコの良心にさらにつけ込むように、サカナが畳みかけた。


「きっと社長も内心誰かに気に掛けてほしいと思ってるんだよ…でも、社長として僕らを不安にさせまいと強がって…」


当然嘘である。ここまで上手く口から出る出任せもそうそうないだろう。

しかし、この言葉は思惑通りヨリコの胸に響いたようで。


「………分かり、ましたっ」


ヨリコが茶々子から袋を受け取った瞬間、三人が見えないようにガッツポーズをした。

これでも裏社会を生き抜く、一企業に勤める立派な社員であるから世も末だ。


「ありがとうヨリちゃん!!」

「社長はインターホン嫌ってつけてないから、ノックしたらすぐ出てくれると思うよ!」

「はいっ…私、頑張ってきます!」


すっかりその気で張り切っているヨリコは、茶々子が渡した袋を手にパタパタとオフィスから出て行った。

数秒しぃんと静まっていた三階オフィスだったが、ヨリコの足音が上に消えていくのを確認すると、三人は「よっしゃ!」とハイタッチを決め込んだ。
薄紅は、もうツッコむのを止めていた。


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