モノツキ | ナノ


きっと、全ては貴方と出会う為にあった。


「お電話ありがとうございます。有限会社ツキカゲでございます」

「も…もしもし!あ、あの……アルバイトの募集を見て、お電話させていただきました!ホシムラと申します!」


この世界の何もかもが、そこで起きた様々な事柄が、流れては蓄積されていく日々が、私が生まれてきたことが、辿ってきた道が、感じて来た想いが、痛みが。

全ては、貴方と出会う為に用意された奇跡だった。


「ホシムラさん、ですね。ありがとうございます。早速ですが、いくつか質問にお答えいただいてもよろしいでしょうか」

「はい!」


悲しみや苦しみも、孤独も、暗がりも。貴方に出会い、貴方に救われ、貴方に照らされ、貴方に惹かれることに繋がる糸になっていた。
一人で膝を抱えて、痛んだ心を隠している間にも、運命は糾えられていた。

それがどれだけ眩く、尊く、素晴らしいことかを知るのに、とても時間が掛かってしまったけれど。


「……では、早速明日から研修に来ていただいてもよろしいでしょうか」

「えっ、じゃあ……採用、ですか?!」

「はい。場所はチラシに書いてある通り……ビル三階のオフィスに、ご都合よろしければ明日の午後四時、いらしてください」

「わ…、分かりました!あの……よ、よろしくお願いします!」

「此方こそ。今後、よろしくお願い致します」


今ならはっきりと、言える。

きっと、全ては貴方と出会う為にあった。貴方と出会うことは、運命だった。




街路樹が徐々に色付き始め、ふと金木犀が香る季節になった。

慌ただしく過ぎて行った夏が終わり、波乱万丈のままに迎えた秋もすっかり更け込んだこの頃。ツキカゲは、ある問題に直面していた。


「お、おはようございます!!」

「あぁ、おはようございますヨリコさ……」

「では!早速お掃除させていただきますね!!」

「…………」


まさに速きこと風の如し。オフィスに顔を出したかと思えば、即座に仕事に取り掛かり、それもまた凄まじい速さでこなすと、取り付く間もなく下のフロアへ向かってしまう。
バタバタと慌ただしい足音をさせながら階段を駆け下りて、そのまま今度は廊下やらトイレやら、ビルの隅から隅まで掃除し尽くし、一日中動き回って、あっという間に帰って行く。

ここのところずっとこんな調子で、ヨリコは殆ど社員と会話せずにいる。
いや、正確には殆ど昼行灯と関わらずにいる、というべきだろう。


「ヨリコ、二階のオフィスではわりとゆっくりしてるけど」


牛乳パックを啜りながらすすぎあらいがそう証言したことで、昼行灯は膝から崩れ落ちた。

シグナルや髑髏路も彼同様に「昨日もいくらか喋っていた」と語っているので、彼の気のせいという説は消え。
更に、昼行灯が仕事で留守にしている日は、ほぼこれまで通り――というより、従来よりもかなりのったりと仕事していると茶々子達が言っていたので、これで確定した。

ヨリコは、昼行灯を避けている。


「何でですか!!!私!!何かしましたか?!!!」


本人に言えない言葉を叫びながら、昼行灯はガンガンと壁に頭をぶつけた。

そうしたくなるのも分かる。
サカヅキの一件で受けた傷が癒え、退院し、職場復帰してから今日まで凡そ十日。その間、昼行灯はずっと、ヨリコに避けられていた。

当人は誤魔化しているつもりらしいが、正直露骨だ。
昼行灯が視界に入れば慌てて動き回り、話し掛けようとすれば移動し、剰え目を合わせてくれることさえない。

入院していた時よりもいっそでかいダメージを受け、昼行灯は血を吐きそうな程に苦しんでいた。
ニコニコクリニックで療養していた時は、傲りかもしれないが、ヨリコとかなりいい雰囲気だったと思っていたのに、この落差。
一体どんな罪を犯したらこんな手酷い罰を受けることになるのだと、昼行灯は悶えていた。

この由々しき事態に、当然社員達も何があったのか…と勘案していたのだが。


「……社長、もしかしてなんですけど、これは逆に来たんじゃないんですか?」

「サカナ、私は今、精神的に余裕がないんです。よく分からないことを言われても何のことか理解出来ないのではっきり言ってください」


内容によっては半殺しくらいにしますが、と付け足して、壁に頭をぶつけるのをやめた昼行灯が、完全に八つ当たりで恨めしそうな声を出してくる中。
サカナは、これがもし勘違いで、糠喜びだと判明したら三分の二殺しくらいにされそうだ…と思いながら、周囲を見渡し、視線で確認を取った。

大丈夫、多分そうだ。

無言で頷く社員達に一揖で返し、サカナは乾坤一擲だと、昼行灯に言われた通り、はっきりと物申した。


「ヨリちゃん、ついに社長のことを意識し始めたんじゃないんでしょうか」

「………………はぁ?」

「ちょ、や、やめてください社長!!これは冗談とかじゃなくって、マジ!マジで言ってるんですよ!!」


切羽詰っているせいか、問答無用で鉄蝋を取り出して、ドス黒い炎を揺らしてくる昼行灯は、変に希望を持たせるようなことや、笑えない冗談を言うなら、本気で葬る。そんな様子をしている。
これにサカナはすっかり怯えてしまい、水槽をちゃっぷちゃっぷと波立てながら、薄紅の後ろに回り込んだ。

昼行灯の様を見れば、俺を盾代わりにしやがって、と咎める気にもなれず。
薄紅はやれやれと溜め息を吐きながら、依然鉄蝋を握ったままの昼行灯を宥めんと、補足してやることにした。


確証はないが、このまま疑り続けていても埒が明かないし、昼行灯が壊れかねない。

言ってやった方が活路を見出せるかもしれないのだしと、薄紅はサカナが言わんとしたことを付け足していく。


「人を避けるのは、何も嫌気だけじゃない。好意もまた、相手から距離を取る理由になるだろう。
いつぞやのように、衝突した後に蟠りが残ったまま……ということでもないし、さっきお前が言った通り、彼女に何もしていないのなら……。
ヨリコさんがお前を避けているのは、お前を意識してしまって、困惑してしまっているからではないか……と、推測出来る訳だ」

「すみません、もっと噛み砕いて教えてください」

「お前と顔を合わせたり話したりすると落ち着かないから逃げ回ってるかもしれないということだ。分かったか、このポンコツランプ」


いい加減にしゃっきりしろ、と薄紅がピシャリと言い放つと、昼行灯はよろよろと壁から離れ、自分の椅子に腰かけた。

何と戦っていた訳でもあるまいに、何故決戦後のボクサーよろしく燃え尽きているのか。
また深い溜め息を吐く薄紅や、もう大丈夫かと様子を窺ってくるサカナを余所に、昼行灯は暫し思考の海に沈み、独り言のようにぶつくさと呟いた。


「ヨリコさんが私を……?いや、そんなこと、帝都が五回滅んで創り直されても有り得ないでしょう……。そうだ、きっと私が無自覚なだけで、知らぬ間にヨリコさんに失礼を……」

「もう面倒臭いから、本人に直接聞いたら?何か怒ってんのかって」

「それで『そんなことも分からない人の顔なんて二度と見たくありません!』とか言われたらどうするんですか!!そうなった日には私は首を括りますよ!!」

「このままでもお前は首を吊りそうに思えるがな……」

「何にせよ、このままあの子とちぐはぐしていたくねぇなら、動く必要があんじゃねぇの?昼行灯よう」

「そうですよぅ!好かれてるにせよ嫌われてるにせよ、はっきりさせずにいたら絶対ダメです!」

「そ、そうは言ってもですね!!」

「そうだ、いつぞやで思い出した。あの時使ったナイスな解決策があるじゃねぇか。今回もあれで行こう」

「あ、あれ……?」

「あぁ!あれですね!!」

「強引かもしれませんが、確かにショック療法的な感じで効くかもしれないですね!」

「それでいきましょう!」

「ちょ、あの!あれって……」


反論を許されぬまま、次から次へ、社員達に捻じ伏せられた末。
狼狽しきった昼行灯に突き付けられた、あれ。

当人はさっぱり何のことか分かっていないが、発案者の修治を始め、社員達はもうあれしかないとすっかり方針を固めていた。


この状況で、一体何をさせられるのか。

怯える昼行灯に向けられたのは、びしっと立てられた人差し指と、甘美にして苦々しい思い出の詰まったワードであった。


「デートだよ、デート。ほらあの、ホウジョーの一件の後、ヨリちゃんと改めて仲直りするのに誘ったろ?」

「…………えぇえええええええ!!?」


ずる、と上体を崩した後、ややあって昼行灯は、悲鳴にも近い叫びを上げた。


デート。まさにいつぞや、ヨリコと擦れ違いかけていた頃、打開策として提示されたプラン。

思えばあれも去年のことになるが。まさかこのタイミングで再来してくるとは想像だにしていなかった昼行灯が戦慄する中。
修治は顎らしき辺りに指を宛がいながら、うんそれがいい、そうしようと、頷いており。
社員達も、それしかないと言った様子で、此度も名案を弾き出した彼を称賛している。誰も昼行灯にはお構いなしである。


「もうそろそろ、あの子が此処に来て一年になるしよ。その感謝に〜とか適当な理由つけて、今回もデート作戦だ。
ヨリちゃんがもしお前のこと嫌いなら何かに理由つけて断るだろうしし、好きなら承諾してくれんだろ。おお、一石二鳥だな!我乍ら素晴らしいアイディア!」

「さっすが修治さん!」

「いやいやいやいやいやいやいや!!この状況で、なんてリスキーな案を出してくれてるんですか!!
何回でも言いますけど、私ホンットに今余裕ないんですよ!それで思い切ってデート誘って、断わられでもしたら!!」

「介錯は俺に任せろ」

「俺達、社長がいなくても会社回していけるよう頑張るから、心配しないで」

「鬼!!悪魔!!人でなし!!!」


昼行灯はわっと机に突っ伏し、この場に味方がいないことを大いに嘆いた。


嗚呼、此処にヨリコさんがいてくれたら、きっと庇ってくれたのに。

そのヨリコが離れているからこうなっていることを思い出し、増々悲しくなってきた昼行灯は、涙は流さず、嗚咽だけを上げて泣いた。

無明の迎え火・昼行灯ともあろう男が、なんて情けない姿をしているのか。
そう苦笑しつつ、絶賛ネガティブ最高潮の昼行灯の肩を軽く叩き、修治は前を向くよう、俯せた彼に檄を飛ばした。


「そう悲観的になんなって。断わられるのが決まった訳じゃねぇし、寧ろOKもらえる可能性のがでかいと見込んでるから、俺らは提案してるんだぜ?
なんだかんだ一年。色んなことあって、何度も離れかけてきたが、今もあの子はお前の近くにいてくれてんだ。その意味を考えてみろよ、な?」

「………………」

「それに、そう、一年経ったんだ。あの子が此処にいれる時間も、残り少なくなってる。
それも考慮すっと、そろそろもう一歩踏み出しておかねぇと……掴めた筈の赤い糸を、てめぇでチョン切ることになるかもしんねぇぞ。昼行灯」


ここ最近、立て続けに大きな騒動や案件が立て込んでいた為に失念していたが、気付けばヨリコが来て一年が経とうとしている。

高校卒業と同時に今の家を出され、社会人として自立しなければならないことが定められている彼女が、ツキカゲでアルバイトとして働いていられる時間も、残り僅かだ。

あと数ヶ月もして、冬が過ぎ、春が来れば、ヨリコは高校三年生になる。
来年度からは就職活動や新生活の準備で忙しくなり、此処に来る回数も、共に過ごす時間も大幅に減ることだろう。そして、また季節が廻れば、ヨリコは此処から去ってしまう。
それまでに、彼女との関係を、雇い主とアルバイトから発展させなければ、必死になって繋ぎ止めてきたもの全てが水泡と帰す。

何もかもが綺麗さっぱり消えてしまう訳でも、ヨリコが二度と此処に立ち寄らなくなる訳でもないが、離れた距離を埋めるというのは、大変に難しい。
縁が残っていても、思い出になってしまっては、情も薄れる。
ただでさえ奇跡的に保たれている繋がりが、一層か細く頼りないものになって、そのまま消えてしまう可能性だってある。
このまま堅実に回って、機会を見送り続けても、運否天賦に身を任せるような未来しかないのだ。

ならば、今此処で、泥船に乗り込んでみるのも同じ。いや、こっちの方がまだ望みがある。
猶予は短いが、時間は幾らか残されている。しくじっても挽回し、繕い直すことだって出来るかもしれない。


善は急げ。チャンスは転がっている内に拾っていけ。

修治は、依然しょぼくれたままの昼行灯の肩をもう一度。今度はより強めにばしっと叩いて、激励した。


「駄目だった時はよ、また考えようぜ。何が悪かったのか、何をすればいいのか。あの子なら、もう一回話し合うこと、分かり合うことを、許してくれるだろうしよ」

「……そう、です……ね」


陽を浴びた草花のように、昼行灯はぐっと背筋を伸ばした。

あの時も、これまでも、もう駄目かもしれないという状況を、自分はどうにか乗り越えてきたのだ。
あれらに比べたら、今回はまだマシだ。希望は未だ、死んでいない。完全に息絶えてしまうその前に、手を伸ばさなければ。

ようやっと腹を括った昼行灯は、ぐっと拳を握り固め、社員達を前に宣言した。


「……決めました。私、ヨリコさんをデートに誘います。断られても、自棄になるのは堪えます……可能な限り」

「おぉ!」

「その意気ですよ、昼さん!!」

「リベンジマッチだ!今度こそ、バシッと一日決めてこいよ!!」


そうと決まったなら、早く話をしてくるべきだと、昼行灯はオフィスから出された。

目標は、きっと今頃、上階でゴミ回収がてら、舞い込んできた落ち葉や砂を掃き掃除しているだろう。

昼行灯は、さて何と言って切り出そうかと思案しながら、遠いようで短い彼女までの距離を、一歩、また一歩と縮めていった。


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