モノツキ | ナノ



生活の為、給料のいい夜勤で働くあいつが仕事に向かう時間が嫌いだった。

ボロアパートのドアの先。広がる暗がりに呑まれて、あいつがそのまま何処かへ消えてしまうのではないか。
俺はまた、誰にも見られることなく取り残されてしまうのではないか。

それがとてつもなく恐ろしく、そして、途方もなく寂しかった。


「アオキ、ちゃんと歯磨きして寝るのよ」

「わかった……いってらっしゃい、かーちゃん」


一人になったことで、狭い部屋の中に広がる静けさに押し潰されそうになって。
圧迫感からどうにか逃れようと、あいつのいない寂しさを紛らわせようと、テレビをつけた。

眠気が来て、ちゃちい布団に潜りん混んですぐに寝付けるよう。適当にチャンネルを回して、バラエティーやらドラマで時間を潰す。

あの時間帯、週末には映画もやっていて、地上波放送するようなもんだから、まぁ凡そ当たり映画で。
ガキでも楽しめるモンが多かったから、あの日も、今日の映画はどんなものだろうと、期待していたんだが――。


「ぎゃああああああああああああああ!!!」



昼下がりのオフィスに谺する絶叫の傍ら。各々の業務に取り組んでいた社員達は「またか」と、依頼品の入ったダンボールを放り投げた男を眺めていた。

染めて痛んだ金髪に、両の耳を飾るピアスに、目付きの悪い凶相。
その見た目で、新聞紙の中からコンニチハした人形に慄き、取り乱すのはどうなのか。

もう二十代半ばに差し掛かる年頃だというのにと、呆れを含んだ視線を向けられながら、シグナルは床に転がった人形を指差し、叫んだ。


「ふざけんじゃねぇぞ昼行灯、アイツ!!『今回の荷物はアンティークドールです』じゃねぇよ!!大体意味あってるけど、これちょっと違ぇだろぉぉお!!」

「昼行灯、上手いこと言うな」


現在、急用により会社を出ている昼行灯の話術に感心しつつ、修治はシグナルが運ばされてきた依頼品を一瞥した。

アンティークドールと言われれば、普通思い描くのは、ふんわりとした金髪に碧眼。フリルやレースがあしらわれたドレスを纏った人形だろう。
しかし、文字通り蓋を開けてみれば、そこには明らかに伸びましたといった感じの毛先がばらついた黒髪と、真っ赤な着物。
”古い人形”には違いないが、”アンティークドール”というのは違うだろう。

真っ白な顔に微笑を浮かべる人形を拾い上げ、修治は苦笑したが、シグナルは「お前それ素手で持つんじゃねぇよ!!呪われんぞ!!!」などと慌てふためいている。

この見た目と、ツキカゲに持ち込まれたことから、人形に何かしら厄介な事情があるのに違いはない。
にしても、そんなに喚くこともあるまいと、次の仕事の資料を広げていたすすぎあらいは、溜め息を吐いた。


「いい加減、その過剰反応治したら?っていうか、なんでそんなにホラー系統苦手なの、シグナル」

「あれ、聞いたことなかったのか、すすぎ。こいつ、ガキの頃に留守番しながらテレビ見てたらホラー映画が始まって、それがあまりに怖くてトラウマになったんだぜ」

「それ言うんじゃねぇっつったろうがよぉ、修治!!」


シグナルの、心霊やオカルトに対する恐怖心の始まりは、幼少期に遡る。


義母・ミドリが夜勤パートで出かけている間、一人で留守番をしていた幼い頃のシグナルことアオキは、不安や寂寥を紛らわす為にテレビを点けていた。

そしてある日。週末の映画放送で、彼は帝都の映画史に残る最恐の傑作ホラー映画を見てしまった。


――ノック 〜真夜中の来訪者〜――


都内の質素なアパート。その中でもとびきり家賃の安い部屋に引っ越してきた主人公は、ある日、深夜にドアをノックする音に眼を覚ました。

しかし、夜更けであったことから怪しいと判断した主人公は、誰がドアを叩いているのかと、覗き穴から見てみたが、誰もおらず。ノックの音も止んでいた。

イタズラだろうかと思い、そのまま眠りについた主人公であったが、翌日、同じ時間にノックの音が響いた。
無視をしていれば音も止むだろうと考え、布団に潜った主人公であったが、ノックの音が次第に大きくなっていく。これに堪え兼ね、思わず怒鳴り付けると、音は止んだが、また翌日もドアはノックされた。

流石に警察に相談すべきかと思った主人公だが、ドンドンと激しく叩かれるドアの音に苛立ち、彼は思わず扉を開けてしまった。

だが、やはり其処には誰もおらず。寸前までドアを叩く音がしていたのに、何故――と固まっていた主人公の後ろで、今度は押し入れの襖から……。

と、手に汗握る展開と不気味な演出が人気の映画なのだが。
当時住んでいたアパートが、この映画の舞台とかなり酷似していたことや、タイミング良く――否、悪くというべきか。
部屋を間違えた隣人がドアをノックしてきたことで、幼かった彼は悲鳴を上げて気絶し。
アパートを震わせるような絶叫を聴いた大家から連絡を受け、パート先から飛ぶようにして帰ってきたミドリは、それはそれは肝を冷やしたという。

以来、彼はホラーに関わるものを異常に恐れるようになった……とのことだが。


「……そんな理由だったの」

「うるせぇな!!あぁそうだよ!それがどうした何か悪いか?!あ゛ぁぁ?!」

「いや、別に…………」


今も引き摺る程のことでもないだろうと、この話を聞いた凡その者は苦笑し、呆れる。

所詮フィクション。大人になった今になって見てみれば、そう大したものではないと、克服出来るのではないかと。
この話をする度にそういう反応を返されるので、シグナルは、自分がホラー嫌いな理由を知られるのを好んではいなかった。

故に、それなりに付き合いの長いすすぎあらいも今し方知ることになった訳だが。
彼もまた、洗濯機頭の中で、しょうもないという眼をしているのが、態度で分かる。

シグナルは、余計なことを拡散してくれたと修治を睨んだが、彼が持っている人形が視界に映ったのですぐに目を逸らした。その時だった。


「ただ……そんな理由で顔隠さなきゃなんない髑髏路が、可哀想だなと思って」


思いがけないすすぎあらいの言葉に、シグナルはきょとんと、らしくない顔をした。


髑髏路は、骨格標本のモノツキだ。
初めて出会った時、彼女はヘルメットをかぶっていたので、シグナルは髑髏路が入社するまでそれを知らなかったのだが。
新しい社員だと昼行灯に髑髏路を紹介された時、シグナルは叫び声を上げながら廊下へ飛び出し、その勢いで躓き、階段を転がり落ちた。

その後、シグナルが怯えないようにと髑髏路は自室以外で被り物をすることになった。

当初は手持ちのヘルメットだったのだが、重たく色々不便だということで、シグナルが買ってきたプロレスマスクに落ち着いた。
もっと可愛い物を選んでこいと茶々子は怒ったが、髑髏路はシグナルが選んだものならこれでいいと、今日まで愛着している。


こうして、彼女があまりにもすんなりと甘んじてくれているので、シグナルは意識していなかったが、言われてみれば確かに、髑髏路には酷な話であった。

好きであの頭になった訳でもあるまいに。恐れられ、顔を隠せと言われ、モノツキ達の中にいながら被り物をしなければならないなど。
髑髏路が、不平不満を口にせず、これが当たり前になっていて、シグナルはちっとも考えが及ばずにいたが。そう言われると、頬に嫌な汗が伝う。

次第に表情が曇っていくシグナルに、すすぎあらいは溜め息を吐いた。そこに含まれた呆れの色は、先程、ホラー嫌いになった経緯を聞いた時よりも濃い。
今更になって、髑髏路にしている仕打ちを自覚したことを、咎めているのだろう。

横で見ている修治は、人形をダンボールに戻し、手厳しいこったと思いながらも、彼を止めることなく静観を続ける。


「子供の頃見た映画が怖かったから、過剰に警戒して食わず嫌いしてるだけに思えるんだよね、シグナル。今もう一回、その映画見てみたら?」

「い、いやいやいや!!お前知ってんだろすすぎよぉ!!!俺がその理屈で、何回かチャレンジしてるっつかさせられたのよぉお!!」

「やり方が悪かったんじゃないの?」

「やり方もクソもねぇだろホラー克服に!!結局ホラー映画見るか心霊スポット放り込むかだろぉ!?それで駄目だったんだから駄目なんだよ馬ぁーーー鹿!!
ともかく、この話は終いだ、すすぎ!!俺は塩撒いて寝る!!」

「土俵入りかよ」

「うっせぇ!!」


ズシズシと荒い足音を立て、シグナルは何かを振り払うようにオフィスから退散した。

その何かが、人形に対する恐れではないことを、それとなく嗅ぎ取ったすすぎあらいと修治は、顔を見合わせた後、二人揃って軽く肩を竦めた。


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