モノツキ | ナノ



今更、祈る神もいない。

いたところで祈りたいとも、祈ってやろうとも思わない。拝む義理も感じない。


私たちの思う神は、いつだって自分のいい存在だからだ。





「おはようございまーす!」


有限会社ツキカゲのビルに、朝から威勢のいい声が響いた。清掃のアルバイトに来たヨリコだ。

普段、学校が終わってから此方にバイトに来る彼女が、何故朝から此処に来たのか。
それは彼女が授業を放棄するような不良少女になった訳でも、授業を投げ出してまで金が必要になった訳でもなく、理由は単純、今日が土曜日だからだ。


「おぅ、おはようヨリコちゃん」

「おはようヨリちゃん!ホントに朝から来てくれるなんて嬉しいなぁ」


朝日が差し込むオフィスには、今日も今日とて無機物頭がそれぞれの仕事に追われている。

ツキカゲに基本、定休日や公休日は存在しない。ついでに言えば勤務時間も決まってはいない。
彼らの請け負う、”人間がおよそやりたがらない仕事”は、いつ何時やってくるか分からないのと、それぞれの役職によっては退屈極まりない日もあれば、三日以上徹夜することもあるからだ。つまるところ、仕事次第でシフトが大きく変動するのだ。

よって、土曜日だろうと日曜日だろうと朝からこうして真面目に働く者もいれば、月曜日からずっと昼過ぎに起きてきて仕事に向かう者もいる。

三階のオフィス組は比較的前者が多いが、サカナは自分で入念にシフトを組んで土日は必ず休めるよう仕事を調整しているので、今日はまずオフィスに顔を出さないと、茶々子は言う。


「お、おはようございます…ヨリコさん」


そして、ツキカゲ社長・昼行灯はというと、茶々子曰く、彼女が入社してから休んでいるところを殆ど見たことがないらしい。

仕事中の負傷等で怪我を負ったり風邪を引いても、自室のパソコンで仕事をしているという。昼行灯にとって、休みをとったところですることもないので最低限休まないとのことらしい。

よって今日も朝から昼行灯はデスクワークに没頭していたのだが それもヨリコが来るまでの話である。


「おはようございます、昼さん!」


花が綻ぶような笑顔は朝日よりも眩しい。朝から心臓が忙しい昼行灯を余所に、ヨリコはさっさとオフィスから出て行ってしまった。

と、いうのも。彼女が今日朝からこちらに出向いた目的はゴミ捨てだからだ。


モノツキが多くいるこの地域にもゴミの回収はあるらしい。そして勿論分別もある。

月水土が燃えるゴミ、木が資源ゴミとご丁寧に収集場の看板に書かれている。

ヨリコはこの一週間でたまったゴミを捨てるべく、土曜日は朝からバイトすることにしているのだ。


回収自体は十一時時頃なのだが、何せすすぎあらいのお蔭で量が多い。全て運び出すには時間がかかる。よってヨリコは九時からツキカゲにやってきた。

昼行灯はヨリコの細腕に負担を…と気にしていたが、ヨリコは力瘤を作る真似をして「私、これでも結構力持ちですから!」とゴミ捨てを誰かに手伝ってもらおうとはしなかった。
これも仕事のうちなので、手伝ってもらう訳にはいかないとのことだ。


とは言ったものの、本当に量が多い。自室で出たゴミは本人達が回収日に出すことも少なくないのだが、それでも数が多い。

そのほとんどがすすぎあらいの机周りから出たゴミで、あとはヨリコ自ら住人たちの部屋を周って回収したりしたゴミだ。

オフィスから出たゴミもあったが、それが全体の十パーセント程度の量。


「…どうやったらこんなにゴミが出せるのかなぁ」


ヨリコは両手にゴミ袋を持って、収集場へと向かった。収集場は月光ビルのすぐ向いにある電柱の下だ。

そこにあの量のゴミ袋を置くと考えると、ヨリコの良心が些か痛む。

だがそんなことを言っていては、月光ビルは瞬く間にすすぎあらいのゴミに占拠されてしまうだろう。ヨリコは覚悟を決めて、ゴミ袋を運んだ。


「おーおー、ご苦労なこったなぁ、嬢ちゃん」


何度目の往復か、流石に腕と腰が痛んできたヨリコに声をかけたのは、今日も今日とて赤い光が凶暴な信号頭のシグナルだった。

先日仕事に出向いていたと聞いたが、今帰りなのだろうか。


「シグナルさん、おはようございます。今お仕事帰りですか?」

「あぁぁ。向こうさんが舐めた態度取ってくれたからよォ、”交渉”してたらすっかり遅くなっちまったぜぇ」


シグナルはそう言うと、首を傾けコキッコキッと鳴らした。

彼の頭のランプがさらに凶悪性を増した色になったところを見ると、その”交渉”というのもマトモなものではなかったのだろう。
ヨリコは「あはは…」と愛想笑いしながら、残ったゴミ袋をよいしょと持ち上げた。


「しっかし嬢ちゃん、まさか俺が戻るまでここにいるたぁ思わなかったぜ」

「え?」


その力が抜け、思わず手から袋が滑り落ちると共に、シュボっと音を立てシグナルが煙草に火をつけた。

そしてそれを、当たり前のように信号の青のところへ持っていき、シグナルはすーっと紫煙を吸い込んだ。


先日の茶々子やサカナを見て多少慣れてはいるヨリコだが、それでも物が別次元に吸い込まれるように消えていく現象は思わず凝視してしまうものがある。

しかも今回は煙草。当然のごとく、煙を吐き出す時に煙草が出てくる。なんと奇妙な光景だろうか。


そんなことを思いながらも、シグナルの言葉の意味に気付いていないヨリコは首を傾げた。


「なァに、薄紅から忠告受けたり、昼行灯の野郎が本性現したりして辞めてんじゃねーかと思ってなァ。何せ、ここは辞表のネタの畑みてーなモンだからよぉ」


シグナルの言うことはおよそ当たっていた。だが、彼の言う”昼行灯の本性”というところが、ヨリコには引っかかっていた。


それは彼が本気で怒ってきた時のことだろうか、はたまた自分と火縄ガンを助ける時に見せた人殺しの姿だろうか。

だがヨリコには、シグナルの言葉がそれらとはまるで違う意味をは孕んでいるようにしか思えなかった。


「まぁ、なんにせよ早く新しいバイト探すことを勧めとくぜェ。
ここに以上に給料がよくて人間だけしかいないバイトなんざ探せばごろごろあるもんだぜ?例えばそこの…」


と、シグナルが、道路向こうの雑居ビルを指差しかけた時だった。


「ねぇ、アンタ」


会話中であることに構わず、若い女が声をかけてきた。
女であることが一瞬で見て分かる――人間だった。


ヨリコはシグナルを見つめる女に仰天し、パニックを超えて動けずにいた。

これまでの体験上、彼らモノツキに接触する人間といえば開口一番に罵声を飛ばすか、問答無用でナイフや銃を向けてくる者しかいない。
この若く、そして美しい女も…とヨリコが勘ぐった瞬間、長いようで短い沈黙を破ったのはシグナルだった。


「アンタ、そこの風俗で働いてる姉ちゃんじゃねーか?どうした、”こんなところ”によぉ」


その余裕綽々の声に冷静さを取り戻したヨリコは、改めて女を見た。


よくよく見れば女は、今までモノツキと対面した時のどの人間とも違っていた。

彼らを見る眼は然程変わりはしない。だが、狂気めいた殺意や、敵意が彼女にはなかった。


「あら…うちの店、モノツキはお断りしてたはずだけど?」

「客のモノツキはなァ。仕事上は何かと御贔屓にしてもらってんぜェ、あそこの支配人さんにはよお。
新店舗用の土地の地上げから、借金のカタに売られた女の配送まで、そりゃぁ色々とな。
そんで、中入った時にアンタの顔を見た。すげぇじゃねーの、ナンバーワン風俗嬢なんてよっぽどの仕事熱心なんだなァ姉ちゃんよ」


ヨリコは二人の話が今一つ理解出来ずにいた。

というのも、ヨリコはこの歳で風俗の意味を知らないからである。もし知っていたのなら、いかにシグナルが女に失礼なことを言っているか分かって彼を殴り飛ばすくらいしていただろう。同じ女が聞いて気分のいい内容ではない。

しかし、そんな彼の言葉にも激昂することなく、女は淡々とした口調で続けた。


「まぁ、そんなことはどうでもいいわ。それより…今、お宅営業してる?」


そこでヨリコは、初めてこの女の彼らの見る眼が違う意味に気が付いた。


「依頼、持ってきたんだけど」


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