モノツキ | ナノ


「どういうことだこれは!!」


力任せにデスクを殴り付け、ミツルは声を荒げた。

先祖代々受け継がれてきた究極の秘術。マドカの専売特許とも言うべき結界が、見るも無惨に破られた。
挙句、万が一、億が一にと配置していた見張りまでもが、瞬く間に倒され、床に伸びている始末。

誇り高き”真実の民”が、あろうことか、一介のモノツキを相手に。いよいよ始祖の悲願が果たされようという、この時に。


「何故、ただのモノツキに過ぎないあいつが、我等”真実の民”の霊術式に対抗出来る!!此処に来て……柱を打ち立てるだけというところまで来て、何故こんな!!」


もう二度と出会うことなど無かった筈の、ランプ頭と神殺し。
二人が今、世界を支える柱の構築を目前にして再会を果たすということは、最悪の未来を否が追うにでも浮かべさせる。

箱庭の創造主達は、神殺しによって一匹残らず殲滅された。
一時的に世界を支えている極大結界が消滅すれば、この世界は崩れ、今日まで築かれてきた帝都クロガネという大都市と、二千万人の命が消滅する。
それを阻止すべく、彼女を――ホシムラ・ヨリコを柱として打ち立てねばならないというのに。

モニターに映る悪夢めいた光景に思考を掻き乱されながら、ミツルは何としても、昼行灯を討ち、ヨリコを世界に捧げなければと策を講じた。その時。


「鬼に金棒、虎に翼。俺が対霊術の術式を施した鉄蝋を手にした社長は、まさにそういうものだ」

「お前、は――」


聞き覚えのある声に、まさかと思いながら振り返った先。背後に佇む青年の姿に、ミツルを始め、”真実の民”の面々は瞠目した。


「久し振りだな、兄さん」


まるでこの場に似つかわしくない、だらけきった小汚いスウェット姿に、鬱陶しい程伸びた黒髪。覇気の欠片もない面構え。
不精と堕落を絵に描いたようなその佇まいは、最後に見た時と何等変わらない。

天才的な霊術式の才能を持ちながら、享楽の為にマドカの使命を捨てた一族きっての不心得者。始祖の崇高なる思想を理解しようとしなかった”真実の民”の面汚し。忌々しき愚弟、マドカ・ナナミ――。

今更になって、どうして彼が自分達の前に現れたのか。
度重なるアクシデントによって、これ以上となく混乱しきったせいか。ミツルの頭は此処に来て妙に冴え渡り、全ての答えが彼にあることを、直ぐに理解した。


「ナナミ……まさか、あれは」

「お察しの通り、俺の仕業だ」


眼鏡の位置を直しながら、さも当たり前のように答える弟。
その平然と澄ましたような顔と、眼鏡の奥に光る、嫌に達観したような眼に、ミツルの怒りは一瞬にして頂点に達した。


「ふざけるな!!始祖から受け継がれてきた崇高なる霊術式を、あんな輩に齎すなど!!」


低俗なサブカルチャーに耽り、一族の使命から逃げ出しただけでは飽き足らず、始祖から相続されてきた、選ばれし者のみが使うことを許される霊術式を、外部の人間――しかも、ラグナロクを阻まんとする者に使用するなど。
何処まで恥知らずなのだと憤慨するミツルの怒号にも動じることなく、ナナミは低く溜め息を吐いた。


「……俺からしたら、ふざけてんのはあんたらだよ、兄さん」

「何?!」

「世界を救うとか、人類を偽りの神から解放するとか……そんなくだらないことの為に、あんたらは、ただ優し過ぎるだけの普通の女の子を利用した。先祖代々受け継がれた厨二病も大概にしろってんだ畜生が」

「ナナミ……貴様!!」

「黄昏時だ。いい加減、眼を覚ませよ馬鹿兄貴」


怒りのままに胸倉を掴まれても、ナナミは撤回も弁明もしなかった。


元来、彼は誰が何と言おうと譲らない頑固な性分ではあったが、兄のミツルはそれ以上の聞かん坊だ。

”真実の民”として、始祖から代々受け継がれてきた使命を果たし、偽りの神の打破と人類の救済という一族の悲願を遂げることに、ミツルは誰よりも熱心で。
故に、下位文化に興じる弟を、彼は誰よりも見下し、嫌悪し、ナナミの思想を頭ごなしに否定し続けてきた。


そんな兄を説伏することを放棄し、ナナミは全てを置いて家を出た。
この野暮天に、何を言っても無駄だ。相手にするだけ此方が疲弊するだけだと。ナナミは彼と対峙することを放棄した。

だのに今、ナナミは真っ向から、面と向かって、かつて背を向けた兄と対峙している。
これだけは決して譲れないと言うように。ナナミは愚兄を見据え、彼が妄信し続けてきた思想を切り捨てる。


「俺達は、少し特異な力を持っていたがばかりに、妙な使命感に駆られたご先祖の血を引いてるだけの、ただの人間だ。何も特別ではないし、高尚でもない。”真実の民”なんて名乗って、身内で勝手に盛り上がってただけ。それが、無関係な女の子を巻き込んで、剰えその命を弄ぶなんて、ちゃんちゃら可笑しいって、どうして気が付かないんだよ」

「御祖を愚弄するか!!恥を知れ、痴れ者が!!」


淡々と吐き散らかされる暴言に堪え切れず、ミツルは渾身の力を込めてナナミを殴り付けた。

怒りに任せた一撃は、自身の拳を痛める程に重かった。だというのに、まるで暖簾を殴り抜けたかのように、手応えを感じられず、ミツルは俄かに血の気が引いていくような思いをした。
咥内を切ったのか、口の端から一筋血を流しながらも、ナナミは、殴られたことへの反抗心を欠片も見せてこなかったのだ。

例え鼻がへし折れていようが、歯が持っていかれようが、彼はきっと同じように、ただ黙って、ミツルを見据えていただろう。
拳で語って通じるような相手ではない。激情に身を委ねたところで解決しない。そう分かっているからこそ、ナナミは殴打されたことなど、どうでもいいことだと済ませている。

そのいっそ底気味悪い程の賢明さに、ミツルの怒りは行き場を失い、誰よりも見下している筈の弟から食らった敗北感の苦味だけが後を引く。
それを吐き出すように舌打ちすると、ミツルはナナミから眼を逸らし、再びモニターを見遣った。


「もういい……。今は、お前のような愚弟に構っている場合ではないのだ……オイ、壱号!!聞こえるか!?」


作戦は、予期せぬ乱入によって中断しているだけで、失敗した訳ではない。
ヨリコの手は、世界の心臓から離れてはいないし、極大結界も未だもう少し保持出来る。
昼行灯を突き放し、再び世界との融合に入れば、制限時間内に柱を打ち立てることは可能だ。

抱き竦められたまま動けずにいるヨリコが、昼行灯に惑わされる前にとミツルは叫ぶが、彼女からの反応は恐ろしい程に皆無であった。


「おい、どうした壱号!!返事をしろ!!」

「無駄だ」


苛立ちを越えて狼狽する兄の姿を、澱んだ眼で睥睨しながら、ナナミはずれた眼鏡の位置を直した。

きっとまた吹っ飛ばされるとは思っている。だが、全てをしかと見納めなければという使命感が、知らぬ存ぜぬをさせなかった。
ナナミは、再び殺気立つ顔で此方を見遣るミツルに、敢然と己の企みを吐露する。


「社長が到着した時点で、外野の声が聞こえないよう、結界を作動させてもらった」

「貴様――ッ!!」

「いいから、其処に座って、黙って見てろ」


案の定、一度引いた怒りを露にするミツルを適当に宥めながら、ナナミはちょうど近くを彷徨っていたオフィスチェアを引き寄せ、それに腰掛けた。


年がら年中、四六時中、自室に引きこもっている生粋のインドア人間が、こんな所まで来たものだから、体が重くて仕方ない。
昨日から殆ど寝ていないのもあるだろうが、徹夜は慣れっこだ。
無我夢中でゲームに没頭したり、好きなアニメの一挙放送を見たり――そんな快適で有意義な毎日を過ごす内に、寝ずの朝を迎えることくらい、慣れていた。

それにしても、こうも異様に眼が冴えているのは、今が世界の瀬戸際にあるからなのだろうか。

ナナミは、モニター向こうに広がる曇り空のように曖昧な運命を見据えながら、疲弊した脚を伸ばした。


「世界の命運をあの子に託したのは、他ならぬお前らだ。なら、その眼でしかと見届けろ」


此処まで御膳立てしたものの、最後にヨリコがどう転ぶか、ナナミには分からなかったし、そもそも、決定権を握る気も無かった。

世界を救うも滅ぼすも、自分一人を犠牲にするも、命よりも大切な人達を巻き込むも、選ぶ権利は彼女にある。
文字通り、命懸けで世界の中心に立つ彼女だからこそ。破滅も救済も、孤独も類焼も許されるのだ。


だから、此処からは自分も只々、見守っていよう。
ヨリコが何を願い、何を望み、何を祈るか――。彼を嗾けた責任者として、静観していよう。


今この時だけは、世界に二人の声だけあればいい。


ナナミは、彼自身さえ気付かぬ程、僅かに口角を上げて、モニターに映る昼行灯とヨリコを眺めた。


「あの子がどちらの”真実”を選ぶのか……決めるのは、彼女自身だ」


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