モノツキ | ナノ
「そういや、お父さんが怒ってたよ」
自分が作ったパスタを貪る男の横にちょこんと座り、体育座りの姿勢でフミは改めて口を開いた。
こちらの顔を覗き込むような頭の動きに合わせ、嫋やかな黒髪をさらり、と揺れた。
「こないだの雑誌の取材。あれもっとちゃんとしたこと言えなかったのかってさ。
適当でもいいから深いこと言っておけば、もっと絵の値段は上がってたはずだって…勝手なこと言ってた」
「…なら兄貴がインタビュー受けりゃよかったのに」
そう不服そうに言いながら、男はずるずると、まるでうどんか蕎麦でも食うようにカルボナーラを啜る。
ちゃぶ台だから胡坐なのは仕方ないとしても、パスタはそう豪快に啜って食べるものではない。
こういうところもフミの父親を怒らせるのだが、それを咎めたところで男が直す訳がないことは、フミもよく知っていた。
「俺は電話で五分。それでいいなら受けるって言ってOKだったから答えたのに…理不尽だ」
「まさか内容があんな酷いとは思わなかったんじゃない?」
フミは近くで山積みになった雑誌に手を伸ばし、あらゆる年代の雑誌が入り混じる中で最も新しいものを取った。
湿気で少し柔らかくなったように思える雑誌の表紙には、赤い文字ででかでかと書かれたキャッチコピーに、フミが見慣れた絵がプリントされていた。
「月刊・ニューアート。今月は若き天才画家独占インタビュー!名画”全焼世界”の真実に迫る!…って、超詐欺だよねー。このキャッチコピー。
中を開けば大体『感覚で描きました』と『特に意味はないです』のオンパレードだもん」
何度も開いて跡がついたページを開くと、表紙と同じ絵が贅沢にペースを使って印刷され、つるつるとした材質の紙の中で暴力的なまでの緋色が、此方の眼を焼こうとしているように思えた。
キャンバスに放置された絵と比較すると、より鮮明に映る赤、赤、赤。これが世に名画と言われる作品、”全焼世界”だ。
「事実を述べることが悪いだなんて、俺はがっかりだ」
「そうだね。おじさんは正直者だもんね」
群青のコントラストが掛かった、帝都の影。それを平らげる炎と、真っ赤な空。
荒々しく力強いタッチで描かれたその油絵は、男の名を世間に知らしめた、言わば代表作と言うやつだった。
まるで地獄を描いたような光景の中に感じられる、現代の若者が世に抱く不満や怒りを現した、挑戦的とも言える抽象画――というのが、評論家達から”全焼世界”につけられたいかにもな見解である。
だが、後に自称コレクターの富豪に三億で買い取られた絵を、下描き段階から見てきたフミは知っている。
この絵に、そんな深い意味はない。
これは、男が四時まで爆睡した果てに見た窓の外の光景を見て、
思うがままに描いただけの絵で、突き詰めれば風景画なのであることを。
「欲望にだけ正直な連中と、一緒にされたくないからな」
男は正直なのである。
見たままの風景を描いていく内に妙なものが付け足されていくのも、彼の感性のままに絵を描いていくからで、深層心理で彼が思っている何かが現れているというよりも、
彼が見た街の狂気が、其処に見えたから描いたということになるのだろう。
建物を食う炎も、灰色の空に浮かぶ気味の悪い孔雀の羽根も、何処かの誰かが発信しているメッセージだ。
男はそれを受信して、筆を取って描いているだけ。
この薄っぺらいインタビューの通り。彼は感覚のままに描いただけで、彼にとってそれらに深い意味はないのだ。
「そうだね」
フミは雑誌をもとに戻して、窓の外を見た。
折り重なる雲の層、降りしきる雨のカーテンと霞む街は見えても 孔雀の羽根など彼女には見えなかった。
だが。彼女に合わせて視線を窓の方へ向けていた男の顔には、
あの不気味な羽根の眼が、絵具をぶちまけたようなタッチで描かれていた。